ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

ベランダの秋

2012-11-30 22:37:47 | Weblog
田舎の実家の庭にはモミジの木が沢山ある。母がモミジが大好きなので、いつのまにか増えた。

ずっと前、父が生きていた時だから、もう、7年以上になるけど、庭に芽を出していたモミジの赤ちゃんを二株持って来た。

ベランダで植木鉢に植え、大きくならないように上に伸びる枝を切っていた。

秋になっても綺麗に紅葉しなくて、枯れたように葉が落ちていた。

ところが、今年は一鉢が綺麗に紅葉した。もう一鉢は紅葉しないで枯れて散ってしまったが。

紅葉すると、なかなか葉が散らない。嬉しくて毎日、眺めている。



モッコクの木が、やっぱり今年綺麗に紅葉した。



モッコクは、子供が小さな時だったから、30年以上も昔だったと思う。

田舎の母と父が東京に出て来て、靖国神社に行きたいというので夫と連れて行った。

母のお兄さんがノモンハンで戦死したので、お参りしたいと。長い間お祈りしていた母は、スッキリしたように、「兄は、ここにはいない。もう来る事はないよ」 と言った。

その靖国神社で、境内に芽を出した小さな木々の赤ちゃんの鉢植えを売っていた。記念にと買う事にして、あまり馴染みのない「モッコク」 という名札の付いた鉢植えを買って来た。そして、大きくならないように上に伸びる枝は切っていた。

靖国神社に一緒に行った父も夫も、もうこの世にはいないけど、モッコクはずっとベランダの隅に生きている。

世田谷時代と川崎時代に買ったサザンカも咲きだした。





この暑い夏に眠っていたシクラメンも、10月から水をやり始めたら、起き出した。それぞれ、寝起きがいいのに、やっと起き出した寝起きの悪いシクラメンと。



お店にはシクラメンが華やかに咲き乱れているけど、ウチのシクラメンはいつ頃咲くかな…。

そして、今年、父の七回忌に田舎に帰った時に、又、小さなモミジの赤ちゃんを連れて来た。







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映画「希望の国」

2012-11-29 14:59:44 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
「希望の国」は予告編で見ていて、見に行こうとは思っていたが忘れていて気が付いたら、夜の一回しか上映していなかったし、もう今週で終わりになる。

この監督の映画は初めて見た。TVのインタビュ-で、あの東北の震災の映像は沢山撮っていていつかドキュメンタリーか記録映画化をと思っていたが、でも思いを伝えるにはドラマ仕立てがいいと思ったと言っていた。

だから、あの3.11の映画かと思ったが違っていた。

あの震災後に、架空の原発がある町で、また大きな地震が起き、そして原発が爆発してしまうのだ。

認知症の妻を愛する老夫婦と、その息子夫婦と、隣の家の息子と恋人との3組の地震後を追っていた。

はっきりいって、どう感情を表していいか分からない映画だった。

老夫婦が本当に良かった。妻のチエコがとっても可愛かった。

「おとうさん、お家に帰ろうよ」 「ああ、帰ろうね。あと10分したら。あの長い針が9の所に行ったらね」 と、何回も繰り返されるシーン。

「お父さん、原発出来たの?」 「ああ、出来たよ」 「お父さん、反対してたよね」 「原発が爆発したよ」 「お父さん、爆発するのを心配してたよね。お父さんのいう事が当たったよ。お父さん偉いね」 と、繰り返されるシーン。

盆踊りに行きたいと、着物を着て飛び出し、津波で全てが流され新雪で覆われた所で楽しそうに踊るチエコ。「家へ帰ろう」 とおんぶする夫。チエコの頭の中にある町内会の盆踊りは未来永劫絶対に開かれない。

私が小さい頃、田舎で盛大に開かれた盆踊りや村対抗の運動会。はるか前に無くなり、二度と再開されない寂しくさびれた故郷を思い出し胸が詰まった。自分が18歳だと思っているチエコが帰りたがる“お家”は、私にももう無い。

絵に描いたようなお役所仕事に、思わず片頬で笑ってしまった。

原発から20キロ圏内が強制避難となった。

キッチリと20キロに杭を打ち、立ち入り禁止の柵を作る。田んぼを斜めに横切り、老夫婦と隣の家との境の庭に杭を打つ。隣は強制避難でバスに乗せられ避難所に無理やり連れて行かれる。

老夫婦と息子夫婦に「柵を超えたら罰せられます」 と役所は言う。現実の役所仕事にもありそうで怖い。

映画の中でも、放射能は目に見えないから、過剰に怖がる人や考えられない人や。

妻のお腹に子供が出来た息子が医者に聞く。「本当の事を教えてください。お腹の子に放射能は影響するのですか。誰がウソをついているのですか」と。

医者が怖い事を言う。「あの、福島の事故でウソをついていたのは医者です」 と言って、あの福島の事故からの子供の体内被曝の推移のグラフを見せる。

お父さんが息子に、「とにかく、遠くへずっと遠くへ逃げろ。政府の言う事も、役人の言う事も、政治家の言う事も信じるな。自分で考えて生きていけ。とにかく遠くへずっと遠くへ逃げろ」 と最後の別れをする。

津波で何もかも流されて白い雪に覆われたガレキの上に忽然と現れ、ビートルズのレコードを探しているという幼い妹を連れた男の子が「これからは一歩一歩一歩一歩歩いて行かなければならないんだよ」 と、一歩一歩、大地を踏みしめるように歩いて行く姿に涙がこぼれた。あの福島でまだ、冷たい海の中で眠っている人達が生き残った人に語りかけているようで。

最後の方で、老夫婦が結婚した時に植えたという、大きな葉を落とした木が、暗くなりかけた空に燃え上がるシーンが印象的に象徴的に描かれていた。

この映画の、「希望の国」の意味は?
この映画の、私達の「希望の国」は何処かあるの?
この映画の、私達の「希望の国」はどこにも無いの?

衆議院選挙の政治家達は、私達の希望の未来を示す事は出来るのだろうか。


外に出たら、夜の街には綺麗なイルミネーションが平和に瞬いていた。










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FC東京、ガンバと引き分ける

2012-11-25 18:46:25 | FC東京とサッカー
アウェイ最後の試合。それも、ガンバ大阪。あんなに強かったガンバが今期は降格争いをしている。信じられない気持だ。

でも、東京だって、まさかのJ2降格したんだから、サッカーって本当に分からない。分からないから、楽しいし、怖い。

昨日は、午前中は京都を少し観光する為、家を、朝の6時前に出た。

新横浜で、自分の乗る場所にいったら、東京マフラーを巻いた二人連れ。私も青赤マフラーをしていたので、お互いに「おはようございます。寒いですね」 と挨拶。ちょっと話をしたら、彼らの乗る新幹線が。私は、その次。

品川から乗って来た友達と合流。チラホラと東京の人らしき人が。皆、早いな。

私達は京都で降りた。昨日は京都観光をしたが、いつも、ガンバへ行く時は京都で降りてJRで茨木まで行き、そこからバスで万博に入る。その方が早いし安い。

京都は、建仁寺へ行った。風神雷神の屏風絵や天井画の双龍図等をゆっくりと見た。















昼食は参道にある、祇園「美都幸」 に友達が予約を入れてくれていたので、時間の余裕があまりないので助かった。そこの、“祇園御膳『舞』”。食事付のJRチケットだったので、いくらか確かめてビックリ、3200円もした。

綺麗で美味しくてお腹一杯になった。

今度は、河原町から阪急電車で茨木まで行き、バスで万博へ向かった。

席は、メインのアウェイ寄り。30分前頃に着いたが、十分に座る席はあった。

私の隣に座っていた男性3人は、ガンバサポだった。面白い人達だった。試合前から、彼らと盛り上がった。

直ぐ隣の人が、ガンバではないマフラーを巻いていたので、「ちょっと、それ違うでしょ」 と言ったら「あ、これは汗拭き。見えないよ」 と襟を立てて隠してしまった。

「今ちゃんと中澤くんはウチにいたんだよ」 「え、中澤も。じゃ、米本もちょうだい」 「ダメ」

選手入場で、青い紙を掲げたので、ユルネバを歌っていた私はマフラーでその青い紙にマフラーをかぶせた。「あ、周り中がFC東京だ!」と彼らはキョロキョロ。紙を半分にしたり、広げたり、本当に関西人は面白い。





徳くんのシュートが決まって、「ほら、入ったよ、ウチが先行したよ」「あ、ヤバい。」「ウチは先行すると負けないよ」「わー、やばい、やばい」 と。

ガンバに目の前で決められた時には、「ほら、入ったよ」と、バンと叩いてやった。「うん、入った入った」 と3人で大喜び。

ルーカスが何回もシュートを外すたびに、私と彼らは「わー、」とか「アー」とか騒ぎ、シュートが決まるたびに騒いだ。

私は、何しに行ったのだろう。応援する為にいったはず。最後まで、彼らの大阪弁のノリで一緒に楽しんでしまった。本当に愉快な人達だった。

引き分けてしまったけど、試合も面白かった。前へ前へとプレーしていた。後で知ったけど、シュートもガンバの3倍も打っていた。

でも、シュートが枠に行かない。徳くんのあんなに凄いシュートが決まって、簡単に決めれそうな所で枠に行かない。そこが来年への宿題だ。

しかし、スタジアムのガンバのサポーターを見ていると、2010年の私達の辛かった事を思い出す。あの時も東京はホーム最終戦で引き分けたのだ。勝っていたら…。

今まで、カズマに不満が一杯だったけど、昨日は良かった。友達と、「今日のカズマは良かったね。アーリアは相変わらずだけど」 と笑った。

試合が終わって、選手の挨拶が終わって、直ぐにバスへと急いだ。手間取るとお土産を買う時間が無くなるから。

観光もし、美味しい食事もし、サッカーも楽しかったし、充実した一日だった。

以外に早く家に着いて、Jリーグタイムを途中から見れた。

次は、いよいよホームで最終戦。

ぜひ、勝って今年を締めましょう。天皇杯はないのだから。本当に、終わりなんだから。

ガンバレ!! トーキョー!!







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友達と奈良へ、2日目

2012-11-22 17:53:05 | 旅行
朝は、ホテルの朝食バイキングをユックリといただき、支度をして出かける。

まず、五重塔を見ながら興福寺へ行く。特別公開の仮金堂へ。ここに来たら阿修羅に会わなければ。





夫と、再建した平安京を見に行った時にも興福寺に行ったが、とにかく人が多くて阿修羅等をじっくりと見れなかった。

でも、今回は平日という事もあり、人がまばらで、じっくりと見れた。友達と小さな声で一体一体の感想を言いながら堪能した。

阿修羅も、前から見たり、右からのぞきこんだり、左からのぞき込んだり、又、正面に戻ったり、誰にも邪魔にならずに行ったり来たりした。

友達が奈良国立博物館に行きたいと言うので向かう。前にも来たから分かるというので。

行ったけど、入り口が分からない。こっちだあっちだと2~3回行ったり来たりして、ベンチに座っていた人が?と見ていた。

でも、どうみても彼女がいう新館に人影が見えない。

「あそこに、看板があるし、警備員みたいな人がいるから聞いてみましょう」

聞いたら、今、新館は改修中でやってないとの事。本館の方はやっているからと、そっちに行く。

友達は「ちゃんとネットで休みがいつか調べたのに、そんな事のって無かったよ」 と。笑っちゃう。

地下にミュージアムショップがあって、そこでの買い物も目的だったそうで、いろいろ買いこんでいた。

お昼を過ぎて、「さあ、何食べようか」 と。ふっと見ると行列の出来ているお店がある。

そこに行って、並んでいる人に「有名な店ですか?」 「超有名ですよ」 と、ビックリするほどのお化粧した人が答えてくれた。

30~40分程かかるというけど、急ぐ旅でも無いので並んで待つ事にした。

椅子に座っていると、8人くらいの若い男女の話声が聞こえ、片言の日本語も聞こえた。それで、「どこから来たの?」 とそばの男性に聞いたら、言葉が分からないらしくて、別の人が答えてくれた。
「香港から来ました」 「あら、留学?」 「いえ、旅行です」 「日本語上手ね」 「香港で2年前から勉強してます」

2年で、こんなに話せるなんて。友達と「私達、何年、英語習った?全然、話せないよね」 と笑った。

それから、順番が来るまでずっと話していた。

「日本は綺麗で、人は親切で、素晴らしい国ですね。京都のモミジが綺麗でした。でも人が一杯でした」と。

後は、もっぱらサッカーの話。香港ではJリーグが人気だそうだ。FC東京の事も知っていて、「有名です」 と嬉しい事を言ってくれた。

「この、土曜日に大阪に行くのよ」 「あ、ガンバですね」 と詳しい。

行列が出来るのもうなずけるほど、そこの釜めしは美味しかった。

又、地図を見ながら、近鉄奈良駅は 「あっちだ、こっちだ」 とそれぞれ違う方向を指さしていたら、それを聞いていた傍のおじさんが、「駅はこっちだよ」 と詳しく教えてくれた。

京都駅は、奈良とは違い、人々でごった返していた。団体の観光客も一杯。お土産でパンパンの人ばかりで景気のいい光景。

京都駅では、それぞれ、お土産を買う。私はあまり買わないけど、彼女は一杯買っていた。

夕飯はうどんを食べた。外人の団体さんがうどんを食べていたが、皆、それなりに箸を使って食べていた。彼らにも美味しいのか聞いてみたい。

そろそろ、新幹線の待合室で休もうかと、そこで、カサの事を思い出す。

どうしても、買いたいと言うので、お店を探したが分からない。あっちかこっちかとウロウロした。

二人で「確か近鉄に乗る時に見たよね。でも、さっき見たけど無かったよね。どこだったかしら。もう一度、近鉄に行ってみよう」と。

でも、改札のそばにはそれらしいお店が無い。ふっと、改札の向こうを見たら、あった!

駅員さんに 「あそこのお店にカサを買いに行きたいので入れて下さい」 「いいですよ、どうぞ」と。

彼女は、赤い地に可愛い小さいネコちゃんが浮かび上がるカサを買った。

移動するたびに二人で「カサ、カサ」 と言いながら帰途についた。

家に着いたのは11時過ぎ。目一杯、歩き回ったが、楽しかった。

来年もどこかに行こうね、とサヨナラした。



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友達と奈良へ、一日目

2012-11-22 15:54:14 | 旅行
友達が、奈良の吉野へ紅葉を見に行きたいと言うので、20・21日と行って来た。おしゃべりと笑いとの珍道中。

珍道中は前日から始まった。

前日の夕方、友達とは路線が同じなので「何時の電車に乗るの?」 とメールが入り私はあわてた。私は、21・22日と思いこんでいたのだ。

新幹線のチケットを確認したら確かに、20・21日だった。直ぐに電車の時間を調べてメールをし、20日に用が入っていたので、電話をして理由を言って22日に変更してもらった。電話の向こうの声は笑っていた。

チケットやホテルは友達が取ってくれていて、私は、手帳に書き間違えたのに、そのまま気が付かずにいたのだ。娘は、「お母さんらしい」 と笑っていた。

早朝、5時半に家を出て、友達とは無事に電車の中で一緒になった。日にちを間違えた事を話して大笑いになり、「メールが来なかったらどうなっていたかしら」 と想像して笑った。

京都駅で近鉄特急に乗り換えるが、時間があったので駅中のお土産屋さんを見ていたら、素敵なカサを売っていた。骨が一杯のしっかりした長カサで、水に濡れると絵が浮かび上がるのだ。友達が気に入って、どうしても欲しいから買う、と言う。

「これから、旅が始まるのに、今買ったら持ち歩くのに大変だし、どっかに忘れたらどうするの?どうせ、帰りはここに来るのだから帰りにしたら」 「あ、それもそうね。帰りにするわ」 と。

平日なので特急はガラガラ、途中の乗り換えた電車もガラガラ。ロープウェイも混んでいない。歩く山道も人はまばら。地図を見ながら、沿道のお店をのぞきながら、おしゃべりをしながら登って行く。

モミジが綺麗だった。









金峯山寺のご本尊様をお参りする。





ここにしかないという青いユニークな表情の三体。釈迦如来(過去)、千手観音菩薩(現在)、弥勒菩薩(未来)。友達と、私達は未来が少なくなってきたから、弥勒様にお願いしなくてはね、と言っていたら、傍のおじさんが「俺も、残りが少ないからな」 と、一緒に笑った。

吉水神社の展示を拝観し、“1目1000本”の看板のある所から吉野山を望む。秀吉が花見をしたという。桜の季節には山が一面にピンクに染まり見事だろうと想像する。















竹林院に行きたいと言うので、地図と看板と見比べて、「あっちの道?こっちの道?」と悩み、こっちの道を行く事にした。

でも、どうも違うような気がする。しばらく歩いて、トイレ休憩の駐車場があり、そこの看板を見たら、竹林院は崖の上の方だった。そこで、急な階段をハアーハアー言いながらやっと上の道に上がった。さっきの分かれ道で、あっちの道が正しかったのだ。

そして、地図を見ると行きすぎたので、少し戻る。

竹林院には誰もいなく素敵な庭園を二人でじっくりと鑑賞した。














帰りは、電車を乗り継いで近鉄奈良駅に出て、夕食を食べてホテルに向かう。

ここでも、地図を見ながら歩いていたら、どうも、見印が見当たらない。立ち止まってキョロキョロしていたら、旅行者に道を聞かれた。「ごめんなさい。私達も旅行者で迷ってます」と。

誰かに聞きたいが、夜の大通りはほとんど歩いている人がいない。

こういう時は、地元のお店の人に聞けばいい。丁度、目の前に不動産屋さんがあったので、中に入って地図を見せて聞いたら、反対の方に歩いて来ていた。

方向音痴もあるかも知れないが、おしゃべりに夢中なのも原因かもしれない。

とにかく、いろいろあって、楽しい一日だった。


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豪雨のFC東京戦

2012-11-18 17:49:35 | FC東京とサッカー
昨日は、凄い雨だった。

家を出る時には、降ったり降らなかったりで、でも、天気予報は風雨が強くなるとは言っていた。

開場を待っている時、青赤横丁は傘をささなくても食べれる状態だった。

しかし、味スタが、あんなに水たまりが出来るとは思わなかった。本当に、酷い状態だった。

国立で、雷が鳴って、椅子の下を滝のように雨が流れ落ちる豪雨の時があったが、ピッチは水たまりが出来ず、ゲームは支障なく続けられた。

友達と、江戸陸での試合を思い出すね、と話した。

あの時も酷い雨で、あちこちに水たまりが出来て、ボールは止まるし、水しぶきは上がるし。でも、アマラオのポーンと浮かしたミドルが見事に決まり、1-0で勝利した。

いまでも覚えているのは、一瞬、スタジアムが両方の応援の声が無く静まりかえった時、少年の良く通る声が、「トーキョー、トーキョー」 と。

すかさず、東京のゴール裏が、それに合わせて「トーキョー、トーキョー」と。なんか感動したのを今でも覚えている。

昨日は、前半の早い時間から、雨に対応した闘い方をするべきだったと思う。パスが回らなくなっても、まだパス回しにこだわっていた。神戸の方が、早めに切り替えたように思う。

後半に入り、水たまりが目立つようになってきてボールが止まるようになって来てから、やっとボールを浮かしてパスしたり、蹴ったりするようになった。



友達が、「監督のせいでは無いね。選手達がもっと自分達で考えて、状況にあったゲームの仕方をしないといけないよね。」と。

本当に、そう思う。いつだって、どの試合だって、ピッチ上で試合をするのは選手達。相手や状況に合わせて、自分達で考えて協力してサッカーをしなくてはいけないと思う。そういう事が普段から出来ていれば、どんなアクシデントにも、それなりに対応出来るのではないだろうか。

サッカーは、パス回しが目的ではない、相手よりも早く、相手よりも多くネットを揺らすのが目的のはず。

今日も、南ちゃんの会で里山の作業をし、昼食を食べながら昨日の試合の話になった。その時、ある人が「スペインとかのサッカーを見ていると、バックパスはめったにしないよね。どうして日本人はバックパスが多いのだろう」 と言う。

本当にそう思う。

又、そこまで戻すの、とガッカリする時がある。横パスも、かっさらわれる時がよくある。

昨日は、別の意味で面白かった。

パスは止まる、ドリブルしても人のほうが先に行ってしまう、転ぶ、滑ってぶつかりファールになる、クリアして外に出したはずのボールがピッチ内に止まり慌てる。本当に、どっちが早くボールに行けるのか、本人達にも私達にも分からない。

もう、最期の方はお笑いサッカーみたいで、ずっと笑っていた。

テレビでは、絶対に味わえない格闘技がそこにあった。勝てなかったけど、面白かった。

選手達は、相当に疲れただろうと思う。本当にお疲れさまでした。

今年は、味スタの芝の状態が悪かったり、水はけも悪いのだと分かった。

夏の猛暑、蒸し暑さ、このところの考えられないほどの集中豪雨。

国立競技場の建て替えが決まり、その絵を見たが心配になった。開閉式の屋根だそうだが、芝にとってはどうなのだろうと。絵を見た限り、風通しが悪そうだし、太陽は一日どのくらいの時間、芝に届くのだろうと。

今の、国立の芝の状態を保てるのだろうかと心配になった。凝った素晴らしいデザインである必要は無いと思う。シンプルで芝の為に最高のデザインであって欲しい。世界に自慢できる最高の芝のスタジアムであって欲しい。

昨日の負けは、何とも言いようがないが、次のガンバ戦は意地を見せて欲しい。万博では、大量失点の印象が多い。友達と少し京都を観光して京料理を食べる予定だが、それだけだった遠征では困る。「良い人東京」も困る。

そして、最終戦の仙台との試合。ホーム味スタでの優勝セレモニーは絶対に見たくない。やっぱり「良い人東京」では困る。

あと、2試合。勝って有終の美を。


味スタの秋。
















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映画「みんなで一緒に暮らしたら」

2012-11-16 20:50:35 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
今日は、夫の納骨堂にお参りに行ったついでに映画を見て来た。

見たいと思っていた映画で「みんなで一緒に暮らしたら」。2時40分からを見たけど、満員だったのにビックリした。

年とった仲良しの、二組の夫婦と一人暮らしの男性の日常。そして、手伝いに雇った優しい若い男性。

一人暮らしの男性が心臓発作を起こして、息子に老人ホームに入れられる。そこに、見舞いに行って、余りにも可哀想で連れて帰り、皆で一緒に共同生活する事にした。

病気が進行して死を覚悟しているジャンヌ役のジェーン・フォンダが素敵だった。年とっても艶めいて美しい。

その夫が認知症で、いろいろな騒ぎを起こす。それでも、若いディルクが老人達の心にそって優しく接するのが、すごくいい。

階段がいっぱいあり、段差もあり、全然バリアフリーではないけれども(エレベーターをつけようかとの話し合いをしたが先送りになった)、昔からの仲良し達が人生の最期を一緒に暮らそうというのは、ちょっと羨ましかった。

老人なのに、やっぱり、そこはフランス。日本の老人達とは違っておしゃれで明るい。

ジャンヌの遺言で、彼女の棺はピンク。そして、彼女のお墓にはバラの花のアーチ。皆の大好きなシャンパンで乾杯して、そのジャンパングラスを棺に置いてサヨナラする。

ある日、認知症の夫が、「ジャンヌはどこ?ジャンヌー」と探しながら外へ出て行く。その後を、若いディレクと仲間達が後を付いて行く。

「ジャンヌ、ジャンヌ」 と探しながら公園に入って行く。ディレクも仲間達も一緒に「ジャンヌ、ジャンヌ」 と探す所で終わる。

その、「ジャンヌ、ジャンヌ」 と探しながら遠ざかって行く彼らを見ながら、母を思い出し涙がこぼれた。

母も、心の中で姉を呼び、私を呼び、妹を呼んでいるのだろうか、と。

私も、姉と老後は一緒に暮らそうね、と約束していた。叶わぬ夢となってしまった。

10年後、20年後、私はどんな生活をしているのだろう。





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今日も畑へ

2012-11-13 20:57:58 | 南ちゃんと南山
今日も、畑の日だけど、どうしょうかなと思いながら行く事にした。

誰も来なかったら、野菜だけでも持って帰ろうかなと思いながら。

晴天ではないけど、気持ちいい。

やっぱり誰も来ないので、5種類の野菜と、そろそろ終わりの食用菊を少し。





種をまいて目を出した野菜達の、そら豆、かき菜、人参、さやえんどう、小松菜、レタス・サラダナミックス等。













その後、久しぶりに絶景ポイントに行った。この、素晴らしい風景!これぞ、“里山” の素晴らしさ。いつまで、この風景のままでいるのだろうか。10年、20年、40年…。




その後は里山を散策。まだまだ、紅葉には早い。






一の森に、ドングリから育てて植林したコナラ達も元気に育っている。




そして、秋をパチリ。

























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今日も里山へ

2012-11-10 20:13:34 | 南ちゃんと南山
昨日、畑から取って来た野菜等を料理しようと思ったら、食用菊を畑に忘れて来た事に気が付いた。

それで、今日、畑に取りに行く事にした。

里山の登り口に、今日はトトロさんの自転車が止めてあった。

畑についたら、トトロさんが枯れ草を燃やしていた。

下の畑の農家の人も燃やしている。燃やす物が多くて、ウチの畑にも持って来て一緒に燃やしてもらっていた。

「おはようございます」
「ああ、おはよう。ひょっとして、食用菊忘れて行った?」と笑われた。

しばらく話をして、もう少し、菊を摘んで、「じゃ、散歩しながら帰ります」 と。

今日は、昨日と違う道を歩く事にする。

天気がいいから、富士山も見えるだろうと。

やっぱり、雪の富士山が見えた。

朝の太陽が昇る前か、夕日が沈んだ時なら、本当に綺麗だろうな、と思う。

ここに住む前は川崎に住んでいた。その時、マンションの住む部屋を東南の角か、南西の角かどっちにしようかなと迷った時、大家さんが、「西向きなら富士山が見えますよ」 と言われ、迷わず南西の角部屋にした。家族は、「夏、暑いよ」 と言ったけど。

冬の夕焼けの中の富士山のシルエットが本当に綺麗だった。

一の森から見た富士山と、別の所からの富士山。








まだまだ、山の中は紅葉には早い。でも、枯れ葉をサクサク、カサカサと歩くのは楽しい。冬は、葉が落ちて、木漏れ日が枯れ葉にキラキラと本当に気持ちいい。







途中、畑で作業している人に声をかけて、しばらく話し込む。

その畑は、以前、背丈ほどの篠笹が生い茂った所だった。根気よく根気よく、篠笹を刈り、畑にした。それも一人で。その過程を見て来たので、つい、話したくなったのだ。

畑に続いて林の一部が綺麗に刈り取られているので、
「あそこも、畑にするんですか」
「あそこは、木を植えようと思って」と。

それで、私達も林を手入れして、木を植えようと、ドングリから育てている事を話す。南ちゃんの看板があるので、一の森の事を知っていた。

山はまだ紅葉には早いけど、家の前の道路の街路樹のケヤキは、美しく燃えている。















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南ちゃんの活動に

2012-11-10 13:58:48 | 南ちゃんと南山
昨日は、南ちゃん畑の日。

里山に入る入口に自転車が止めてある。誰かが来ているのね。

さばねこさんが、一人で畑の草取りをしていた。

もみじさんも来て、今日は3人なので、くぬぎ林の手入れをする事にした。

この間、ととろさんが草刈り機で篠笹刈りをしてくれて、そのままになっていたので、その後始末をする事にした。



まず、笹を積み上げるカントリーヘッジの場所を決めて、間伐したシラカシを持って来て杭を作って打ちこむ。



3人で、おしゃべりしながら、刈り散かしてある篠笹を集めてそろえて、カントリーヘッジの場所に運んで積み上げた。



作業はお昼まで。

オニギリを食べながら、それぞれが持って来たお菓子等をつまみながらの四方山話に花が咲く。

食後は野菜を収穫して、里山を散策して帰る。


秋をパチリ


















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