ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

大曲の花火

2011-08-29 10:53:41 | Weblog
私は花火が大好きだ。昔は、よくバスツアーで花火を見に行っていた。寒い寒い冬の花火も見に行った事がある。

花火は、行くのはいいが、帰りが大変なので、あなた任せのバスツアーが一番だ。個人だと、駐車場探しも苦労するから。

最近は、「調布の花火で十分ね。」 と、遠くまで行かなくなった。

夫とは、「今年こそは大曲の花火を見に行こうか」 と毎年言っていた。でも、どうしてもお盆には田舎に帰ったり、FC東京の試合を優先したりで、「来年こそは 」で終わっていた。

今年はFC東京がJ2に落ちてアウェイへ行きづらい事もあり、調布の花火も中止になり、夫が行きたかった大曲に娘と行く事にした。

東京駅の集合場所には、沢山のツアーの旗が掲げられていた。私達のツアーの添乗員の男性は、目立つようにと黄色と黒の大きなシマシマのポロシャツを着ていた。なるほど、目立つからはぐれない。

新幹線からバスに乗り換え、現地に向かったが、そんなに渋滞もなくバス用の駐車場には入れた。

去年は、大曲の花火が始まって、100周年記念だったから、80万人もの人が集まり行きも帰りも凄まじい渋滞で混乱し、ホテルに帰り着いた時には朝の5時を回っていたそうだ!!

割り当てられた指定席は、土手の斜面を階段状に板で設えてあり、非常に見晴らしがいい。前の方の平らな所の指定席よりもいいかも、と思った。

何の日陰も無い、カンカン照りの河原。娘と一般の人達が広げるパラソルの日陰のおこぼれの所に敷物を敷いて、時間まで寝転んだり、美味しそうなものを買って来て食べたりして時間を潰した。私は、サッカーで待ちは馴れている。

「昼の花火大会」 というものを始めてみた。煙に色を付けての花火は、それなりには綺麗だが、やっぱり、明るい青空に沈みゆく太陽との共演は…。





オープニングは迫力あるナイヤガラから始まった。

それぞれの花火師の作品には題名があり、その題名にふさわしい音楽や歌があった。音楽とのコラボレーション花火は初めて見た。

北島サブちゃんの「祭りだ祭りだ祭りだ」 の歌に合わせた花火は最高に華やかで祭りらしくて見物人の拍手で盛り上がった。

星の王子様にはバオバブの木が、青鬼と赤鬼のタンゴには赤鬼青鬼が、カエル帰るきっと帰る無事帰るにはカエル達が、宇宙誕生には沢山のきらめく星やビックバンが、等々、上手く花火と音楽や歌が合うものだと感心する。

楽しかったのは、「今夜、どこかのBARで~男と女の物語~」。何、それ?と思ったが大受けだった。

男と女がバーで語らいながらお酒を飲む。「マスターおかわり」 「わたしも」 「マスターおかわり」 「わたしも」 「マスターおかわり」 「わたしも」…。何杯おかわりするの。開場は笑い声で盛り上がる。

空には、そのセリフに会わせて、カクテルグラスが舞い、お酒が弾ける。そして、男が女に結婚を申し込み、空には、綺麗な指輪が数々舞い、結婚式へと華やかな花火が躍る。

競技大会には、27の作品が上げられ、その合間にスポンサー花火が華やかに夜空を舞う。

そして、フィナーレ・特大スターマイン。全ての人達が、口を開けて上を見上げ、歓声の声と拍手喝采。

素晴らしい花火大会が、素晴らしい感動を残して終わり、暗い夜空が戻って来た時に、70万人からの帰る人達の忍耐が始まる。

駐車場を出れたのは、12時半頃。ノロノロの大渋滞でホテルに着いたのは、2時ごろ。私達は寝ていればいいだけだから、個人で行くよりは楽だ。

翌日は、ホテルを10時に出発して、世界遺産の中尊寺と厳美渓に行った。

ここも、前日、花火を見た人達と思われる人達で溢れていた。

また、いつか大曲の花火に行きたい。素晴らしかった。

でも、花火の写真は難しい。



















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ニセアカシア

2011-08-25 09:59:34 | Weblog
どうして、ニセアカシアと言われるのだろう。ニセって?

私は夫の転勤で引っ越しを繰り返した。転勤では無くても、都内で2回も引っ越している。

下の子が2歳の誕生日を祝って、直ぐに関西に引っ越しをした。そして、下の子が4年生になる時に東京の世田谷に引っ越して来た。

上の子は中学入学時だったので、そんなに心配しなかったが、下の子の転校は心配した。

大阪のドラえもんの世界のような田舎で育った娘は、周りは大会社の社宅や政治家達の裕福な家が多い世田谷の生活に馴染めるだろうか、と。

言葉も文化も違う学校で、随分と苦労し苛められたらしい。

ちょうど5月頃、娘の表情が尖って来て心配した。そんな頃、風邪をひいたので、たいした事は無かったが、私もパートを休み3日間程、学校を休ませて一緒に過ごした。

風の強い日だった。中学校から帰って来た息子と三人で、玄関の階段に座り、非常に早い勢いで様々な形に変化して行く空の雲を見つめていた事があった。周りが暗くなるまで。

どんな話をしていたのか覚えていないが、それから、娘の表情が明るくなり、元気に学校に行き楽しい話もしてくれるようになった。

世田谷に6年間住み、会社の都合で川崎に引っ越した。

世田谷の2軒だけの社宅の周りは、大きなニセアカシアの木が沢山あった。隣の公園には桜や大きな木が鬱蒼として緑多い所だった。

思い出として、芽をだしたばかりのニセアカシアを鉢に植え、庭の万両と挿し木したアジサイも持って行った。

アジサイは2~3年に一回しか花が咲かないが、万両は赤い実を鳥に食べられながらも、増えた。

ニセアカシアは大きくならないようにカットしながら、花は咲かないが、夏は涼しく葉を揺らしていた。

ところが、夫が亡くなって何か元気がないな、と思っていたら、枯れてしまった。



でも、諦めきれず、水だけはやっていた。

何と、脇から芽が出て来た。一つ、二つ…。





嬉しかった。

そして、何と久しぶりにカマキリも見た。





川崎に引っ越しした時に、草花にくっついて来たのか、何年も姿を見せたり、見せなかったりしながら、今の所にも付いて来た。でも、いつの間にか姿を見せなくなっていた。

それが、ひょっこり姿を見せた。ああ、居たのね、と嬉しくなった。でも、また、姿を消してしまって見えなくなったが。

去年、ミカンの葉にいたアゲハの幼虫は、あなたが食べたのね。楽しみにしていたのに、残念だった。

思い出が一杯詰まったニセアカシア。もう、枯れないで。






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FC東京、栃木に敗戦

2011-08-22 17:48:31 | FC東京とサッカー
昨日は、栃木に負けてしまった。

でも、雨の中、沢山のサポーターが応援に駆けつけていた。待機列は雨の中、足場の悪い小道を登ったり降りたりと長く長く続いていた。







そして、餃子の列も長く長くグルグルと続いていた。もちろん、私達も並んで餃子を買った。美味しかった。

久しぶりにポンチョを着たが、そんなに降らなくて本当に良かった。

でも、ピッチ状態はボロボロ。

選手達は、いつものようにゲームをしていたように見えたが、ハンドを取られる事が多い。きっと、ボールが思わない方向に弾んでしまうからなのだろう。選手達も私達が見ている以上にやりづらかったのかもしれない。

全体に、栃木のディフェンスは激しかった。東京のボランチが狙われて激しく寄せられていた。それで失点に繋がったのか。

でも、コーナーキックやフリーキックが沢山あるのに、それがちっともチャンスに感じられない。セットプレーから点を取れるようになれば、本当に楽なのだけど。

東京は先に失点すると勝てないというが、どうして勝てないのだろう。何とか点を取らなければと前に急ぎ過ぎるのか。終了間際にタツヤくんが1点返してくれたのは遅すぎたけど、それでも、0で終わるよりは良かった。

昨日は、交代がうまく行ったようには思わなかったし、勝つために攻撃していたけど、力強さが感じられなかった。

それに思うのは、大竹くんがいたらなと。彼が絶対に何とかしてくれるとは思わないが、彼が出てくればやっぱりサポーターが盛り上がる。私も、彼が入って来ると嬉しいし、楽しい。昨日のように負けている時には、彼のような存在が欲しいと思う。

負けても、まだ首位。でも、リベンジの栃木戦にはコンちゃんがいない。

だから、次回の富山戦は絶対に負けられない。

ガンバレ!トーキョー!





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東京の緑を守ろうプロジェクト

2011-08-21 08:04:10 | Weblog
昨日、“南ちゃんの会”は都庁で開かれた 「東京の緑を守る将来会議」 に行って来た。





私達、「南ちゃんの会」 は、ボランティアで里山の下草刈りと保全の為に立ち上がった団体。その為、何といっても資金が無い。下草刈りをするにしても道具がいる。

初めは自分達で持ち寄って、“お父さん”に借りたり。そのうちに、私達のような団体に資金を助成している所があると知り、申し込んだ。

朝日新聞に申し込んで下草刈り用の鎌を10個もらえたのはありがたかった。

そして、こんど、「セブンーイレブン記念財団」 に申し込み、3年間助成してもらいるようになった。

昨日、緑を守り知恵を分かち合い未来にいかそうと、東京都とセブンーイレブン記念財団の共同事業で行っている 「東京の緑を守ろうプロジェクト」 が開かれ14団体が参加した。

日本全国で2010年度は224件もの助成を受けている団体がある事にビックリした。総額で1億5千万弱。

14の市民団体が順番に活動内容を発表した。私達の南ちゃんの会長もしっかりと発表した。













その団体が、東京都でも西側にかたよっているのに気が付いた。それだけ、緑が残っていて、それを何とか守り育てて行こう、と思う人達が多いのだろうか。

そして、思うのは、ほとんどの団体が、それぞれの市の行政が協力してくれていると言う事だ。羨ましい。

私達の稲城市は、今のこの時代にどうして?と思うほど、里山・雑木林を崩しての宅地造成に邁進している。10ヶ年計画をみても、土木事業が目白押しだ。

稲城駅前に広がる素晴らしい里山の2/3が宅地開発される事になり、見直し運動が盛り上がったが、行政は開発組合と一緒に開発を始めた。始まってしまえば、悲しい事にどうする事も出来ない。

私達は、残った里山を何とか守る事は出来ないかと考えた。

昔は、里山は村人達と共生していたのだろうが、今は、所々に畑が広がるだけで、ほとんどが荒れた里山になっていた。

守れというだけでは、いつかこの残った里山も開発されてしまうだろうと思い、私達は、まず、行動する事の方が大事なのでは、と集まった。

足を踏み入れる事も出来ないような所を1年かけて下草刈りをし、木漏れ日も入らないほど薄暗くなっている所の常緑樹を切り倒し、小道を作り、頂上(?)に“桜の広場”と名付けたイベント広場を作り上げ、1周年記念にミニコンサートを開いた時には感動で胸が一杯になった。





“トトロの森”を作り上げた人達の講演会に行って来て、私達も基金を作り、何とか里山を保全出来ないかと考え、その為にNPO法人を取る為に申請をした。寄付を募り、残った里山を未来に残したいと。

その手始めとして、仲間でお金を出し合い、わずかな土地だけど拠点となる“一の森”を取得した。

土地の半分以上が背丈の3倍程の、笹林になっている所を刈り始めている。そこに、南山に育っている木や南山で育っている山野草を挿し木等で増やして植えて、誰もが楽しめる素晴らしい里山に再生する事を夢を見ている。

他の団体の活動報告は、私達の参考にもなり、未来へのワクワクした希望にもなった。

雨に佇む緑濃い南山を見ながら、頑張ろうと思う。

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健康診断

2011-08-17 21:28:26 | Weblog
月曜日に、本当に久しぶりに健康診断をした。

会社勤めの時は会社で健康診断を受けていたが、仕事を辞めてからは一回も健康診断を受けて無い。子供達にも、「ちゃんと受けて」 と言われてイヤだな、と思いながらも受ける事にした。

健康診断で胃の検査のバリウムを飲むと、いつも胃の調子が悪くなる。

普段は、「胃なんて、どこ?」 というほど胃は丈夫だと思っている。

バリウムを飲んでも、直ぐに出ると言う人もいるが、私はなかなか出る様子がない。いつもそうなので、家で寝る前に下剤を飲む。

そうすると、夜中に苦しみ、1~2週間は胃の調子が悪い。

だから、会社勤めをしている時にも、胃の検査が選択制になってから、一度もバリウムを飲まなかった。

今回は、コースにちゃんと胃の検査が入っているし、迷ったけど、ずっと検査してないからとバリウムを飲んだ。

夜寝る時になっても、何の兆候も無い。このまま朝まで出なかったらどうしょうかと思い、下剤を飲んで寝た。

やっぱり、夜中に猛烈に胃が痛くなり、吐き気もしてくる。腸が痛くなるのなら分かるが、胃が苦しい。

苦しくて、汗が流れる。トイレに何回か行きながら、Tシャツも2~3回替えて、ヨレヨレで朝を迎えた。

翌日の火曜日は、“南ちゃんの会”で畑仕事があったが、断りの電話を入れる。でも、お昼に話し合いがあると言うので、その頃、やっと山道を登って行った。

「畑に日傘をさして来た。」 と笑われた。いつもは麦わら帽子でそれなりの格好をして行く。

その後に、南山を散策すると言ったが、行きたいのはヤマヤマだが、帰って横になった。

今日も、まだ、胃を感ずる。特に、お腹がすいて来るとド~ンと何となくムカムカする。何か飲むか食べるかすると収まるが。

もう、絶対に胃の検査でバリウムは飲まない。もう、イヤ。



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FC東京、草津に勝利

2011-08-14 13:50:04 | FC東京とサッカー
昨日は、夫の新盆に、お坊さんに来てもらいお経をあげてもらった。

話好きのお坊さんで、今回もいろいろな話をした。

夫が亡くなって2ヶ月半も過ぎると、皆で思い出話をしていても、もう、涙が溢れる事は無い。でも、やっぱり、諸々の話が出来ないのが悲しい。

息子も娘も、東京のサッカーを見に行く事はあまり無いが、昨日は、東京が大好きだったお父さんの為に、連れて行った。

アーセナル大好きな息子は、昔ほどJリーグを見なくなった。去年までは、東京の試合をTVで放送する時には見ていたそうだが。まして、今のJ2の東京はTVでやっていないから、今年は見ていないらしい。

私も息子に影響されて、東京以外の試合は、アーセナルを見ている。でも、どんなに、欧州サッカーが素晴らしい試合であっても、私には、どうしょうもなくグダグダの試合でも、スタジアムで応援する東京の試合が最高だ。

それでも去年は、あの数々の試合を応援に行きながら、何回もガックリして帰って来たものだ。

でも、今年は、楽しい。

昨日も、子供達に、「絶対に、勝つから、花火もあるし、浴衣まつりだし、今日だけはお父さんの為に一緒に応援に行くよ。」 と、連れて行った。

もっと、点を取れると思ったけど、シュートは枠に行かなかったり、ポストに当たったり、相手キーパーに阻まれたり、ゴールが嫌われる日なんだと思った。

それでも、PKでの一点を守っての勝利だった。

勝ち点 “3” が、今は何よりも大事。特にこんなに蒸し暑い真夏には。

コンちゃんが、インタビューに 「え、ピンチなんかありましたか? 」 との言葉に笑った。確かに無い事は無かったけど、それでも、相手の守備の寄せは早かった。ガンガンボールを奪いに来ていて、後半まで持つかしら、と思うほど走っていた。

終了の笛がなってピッチに座りこむ選手が何人もいるほど、草津の選手は最期まで走り回っていた。

東京は、それに釣られる時もあったけど、それでも、うまくパス回しをして一点を守り切った事は良かったと思う。

味スタの芝が相当のダメージがあると聞いていたけど、味スタで練習の時間を持てた事が良かったのか、東京の選手達は苦も無くゲームをしていた。

息子に、「どうしてソータンを変えたの?90分、持たないの?それに、交代が遅いね」 と聞かれた。私もそう思うけど、監督には、交代のパターンが決まっているのだろう。この時間に、この選手を入れるなら、交代はこの選手と。昨日も、3人の交代は予想通りだった。

時には、もっと大胆に、時間も早くに、練習から調子のいいサブメンバーを使って欲しい。確定されているスタメンや、なかなか出番が回って来ないサブメンバーのモチベーションの為にも。それに、こんなに蒸し暑い季節にはなおの事、総力戦を選手達に意識させるのも重要では、と思う。

帰り道、後の女性が、連れの男性に話していた、「J2だと、勝ち試合を一杯見れて楽しいね」 と。

そう、内容云々よりも、この “試合に勝つ” 事が、見に来るファンには一番、大事な事だと思う。

たとえ、内容がダメダメでも、勝てば嬉しいし、帰り道が楽しい。勝てば、お客さんも増えるだろう。勝てば選手達も楽しいだろう。

コンちゃんがインタビューで、「今日は、沢山のお客さんが来てくれて、楽しかったです」 と言っていた。

去年は、選手達が辛そうに試合をしていた。私達もスタジアムに行っても勝てなくて辛かった。

今年は、選手達が試合が楽しいと言っている。

私達も楽しいし、次の試合が楽しみだ。

次回からしばらく味スタの試合が無い。なぜか、ホームゲームで熊谷まで行かないといけない。

でも、きっと楽しいゲームを見せてくれるでしょう。

ガンバレ!!トーキョー!!



















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松田選手

2011-08-09 14:31:33 | FC東京とサッカー
昨日、今日とTVでお通夜とお葬式の映像を見ていて、涙が溢れた。

特に、サポーター達の泣いている姿に自分を重ねて。

私は、代表でもマリノスでも、彼の思い出はあまり無い。だから、思い入れもそんなに強く無い。

4月初めの、松本山雅とFC東京との試合でも、私はウチの選手ばかり見ているので、彼のプレーの記憶が無い。

でも、夫が亡くなってから2ヶ月半しかたっていない事もあり、まだまだ涙もろくなっている私は、条件反射のように涙が溢れて来る。

松本山雅との試合の時は、夫も一緒に行く予定でチケットも用意し、バスツアーも申し込んでいた。でも、夫が入院したので、私一人で行って来た。

現地で会った友達にも、「旦那さん、来れなかったのね。」 「そうなのよ。残念がっていたわ」 と。

まさか、その時に、5月の終わりに夫が旅立とうとは想像もしなかった。

そして、その時に、松田選手が暑い真夏の8月初めに旅立とうとは想像もしなかった。

人生とは、本当に分からないものだ。

夫は、会社人生を終わり、第二の人生を歩んでいた。それでも、私には早すぎる別れだった。

松田選手も、マリノスから第二のサッカー人生として、大きな志を持って歩み始めたばかりだった。

まだまだ、まだまだ、早すぎる。これから、人生として人間として大きな成長と、豊かな実りの季節を迎えるはずだっただろうに。

本人にも、家族にも、周りの全ての人達が惜しむ、あまりにも早すぎる別れだ。

これから、松田選手がこよなく愛したサッカーを、選手はプレーで、私達は応援で楽しもう。

松田選手のご冥福をお祈ります。





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FC東京とFC岐阜戦

2011-08-08 16:29:58 | FC東京とサッカー
震災の前に、岐阜へは一泊で行くつもりで予約をしたけど、あの震災で延期になった。そして、今回は、一泊ではなく、バスツアーで行く事にした。

道路もそんなに渋滞はしていなくて、予定よりも早く着いた。時間があるので、待機列に荷物を置き、周りの綺麗な公園を少し歩いた。



フカフカの芝生の広い広場があり、大きな桜の壁画があった。何に使う為の美しい芝生の広場なんだろう。

 





岐阜は、羨ましいほどの屋台が出て両方のサポーターでにぎわったていた。あちこち、長い行列も出来ていた。







隣のプールで、水泳の決勝をしていた。


もっと、涼しかったらラーメンも食べてみたかった。

取りあえず、ナスみそチーズ丼を食べてみる。


フワフワアイスのキャラメルソースかけ。美味しい。


隣に座っている岐阜サポーターと話す。
「沢山の美味しそうなお店が一杯出ていて、楽しそうで羨ましいです。」
「今日は、ちょっと少ないんですよ。あちこちでお祭りやイベントが一杯あるから、そっちに行って。」
「こんなに、美味しそうなお店があったら毎回、スタジアムに来るのが楽しみですよね。」
「来年も沢山の東京サポーターに来て欲しいな。でも、J1に上がっちゃうか…。」
「岐阜さんが、頑張っていつかJ1に来たら、絶対に又来ますよ。その時は、もっともっと沢山の東京サポーターが来ると思いますよ」

アウェイに行って、相手サポーターと話すのは楽しい。

でも、暑かった。蒸し暑かった。





トクくんのシュートも、ヤザワのゴールも素晴らしかった。

東京が綺麗なパス回しで相手を翻弄する時間もあったが、岐阜にお株を取られたようなボール回しをされて、追いかけて体力を使うシーンもあった。

しかし、蒸し暑かった。ハーフタイムのサブメンバーのボール回しをボーっと見ていると眠くなってくる。

後半、こっちサイドの私達の目の前のゴールネットを揺らして欲しかった。相手のシュートミスにも、パーやポストに助けられたシーンや、シオちゃんの頑張りにも助けられたシーンもあり、もうⅠ点入れば楽なのになと思いながら応援していた。

ナオくんやルーカスにも決めて欲しかった。

終了の笛がなったら、両方の選手達が ホントに疲れたーーというように、座り込んだり膝に手を当てたりしていた。負けた岐阜の選手の方が多かったけど。

この蒸し暑さ、2-0で失点Oに抑えたのは、上出来だと思う。

そして、勝ち点3を取れて、首位も奪還した。

帰りの長い道のり、バスの中は皆、眠りについていた。

夜中に調布に着き、タクシーで家に帰り、長い長い暑い一日は終わった。

次は久しぶりのホーム味スタ。

気持ち良く、勝ち点 “3” を取ろう。
ガンバレ!東京!

















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子供手当について

2011-08-06 09:51:21 | Weblog
民主党がマニフェストで子供手当の支給を掲げた時に、私は大賛成した。子供は社会で育てるという事に。

親の年収、働き方、諸々の状況に関係なく、子供一人一人に支給すると言う事に。そして、日本ではあまり話題にはならなかったが、日本の子供の貧困率はOECD諸国の中でも最悪のレベルと言われている。

モチロン、野党は自民党は大反対だった。

大金持ちにも一律に支給するなんてとんでもない、高年収の人には払う必要は無いと。そのお金で、パチンコに行く人もいると。

世帯の総収入を把握できない日本で、本当に年収で区切る事が出来るのだろうか。サラリーマンと違い、働き方により、不透明な把握できない人達も沢山いる。

事務経費が莫大にかかる方法よりも、単純に子供一人にいくらの方が安上がりだろうと私は思う。

財源が無い、震災にお金がかかると言う。でも、子供は国の宝だと思うし、日本の未来だ。こんな時代だからこそ、純粋に子供達を見て欲しいと思うのは私だけだろうか。

私は、専業主婦として、パート勤務として、正社員として、数々の不条理と男女差別を経験して来た。そして感じて来たのは、時の政府と男性達の “女子供” の目線である。

私の年代は、ちょこっとパートをしながら専業主婦として生活して来れた。その方が、絶対に得なのだ。

でも、今の若い年代が、夫婦共に正社員として必死に働きながら子育てしていると、高収入の夫のいる専業主婦のように、様々の税の恩恵を受けられないし、税金も余計に払わなくてはならない。専業主婦は、年金をもらう時にも、自分の年金だけでなく主婦手当なる年金が別にもらえる。

でも、子供のいる家庭が、それぞれの、さまざまな立ち位置で不公平であっても、子供だけは、背景や状態に関係なく平等にと思っている。

親ではなく、子供にと思う。そうすれば、別居していても、DVで隠れていても、様々の理由で親と別れて施設や他の場所で生活している子供でも、親では無く子供自身に払われるのではないだろうか。もちろん、本人が自由に使えるわけではないが。

この子供手当が年収でカットされると決まり、野党はバンザイしたという。そんなに子供にお金を出したくないのか、と悲しくなった。

その浮いた7千億だったかは、被災者への支援に回されるとニュースで言っていた。

国にお金がないという議員さん達は、絶対に自分達の収入を見直さない。国会議員達への給料の何割かのカットや、諸々の諸手当のカットや、人数の削減や、政党助成金を無しにしたり、細かくは、宿舎入居者から正当な家賃を徴収したり、せめてその位やってから反対して欲しいし、見直さなければならない無駄は一杯、あるはずだ。

大金持ちの議員さんが、震災に多大な寄付をしたとは聞かない。法律で寄付行為は禁止されているからと。

でも、国会議員は法律を作るのが仕事。自分達が損になり、私達が拍手するような法律は絶対に作りたくないのか。皆で必死に知恵を絞れば、財源は出て来るはずだ。

どんな逆境にもめげずに頑張った“なでしこ”達を、政治家も見習ってほしい。お金も無く、思うような練習時間も取れなくても、それでも素晴らしい仕事をした彼女達。

涼しい場所で、自分達の思惑だけで、国の未来を弄んで欲しくない。

子供達に若者達に女性達にも目を向けて欲しい。

特に子供達が、未来に向かって、いつまでも瞳がキラキラ輝いていて欲しいと願う。

資源の無い日本にとって、子供達は日本の未来なのだから。私達は、子供達に日本の未来を託さなくてはならないのだから。













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小平で練習試合を

2011-08-04 20:16:00 | FC東京とサッカー
今日は、久しぶりに小平に行って来た。

武蔵小金井で電車を降りて、バス停へ歩いていたら、東京パッグを持った男性が、キョロキョロウロウロと歩いている。多分、バス停が分からないのだろうと、声をかけて、一緒にバス停に歩く。

彼は群馬から初めて小平練習場に来たと言う。バス停が分からなくて初めは違う方向に行ったそうだ。

城福監督の時から東京を応援するようになったそうだ。去年は楽しめなかったでしょう、と笑った。

彼は、初めての小平に感激していた。

私は、いつもスタンドではなく、奥の方でシートを敷いてネットの傍で見ている。知り合いが、そこにいたので傍にシートを敷き、彼にも、どうぞと一緒に話しながら練習試合を見た。

今日は、ナオくんを見たかった。ナオくんは2本目から出た。そして、ナオくんのゴールには、サポーターが一番に沸いて拍手と歓声。



ただ、高橋秀人が負傷して、動けなくなり、車で運ばれて行った。心配だ。



知り合いのおじさんが、「俺が来ると誰か怪我をする。平山の時もそうだったし。今年、2回なのに、2回も負傷者が出た」 と言っていたが、私も今年、2回目。そして、前回はやっぱり平山が負傷した試合。私とおじさんが見に来るとアクシデントが起こるのか。

サポーターサービスをしていた平山くん。髪が伸びて、色が白くなっていた。
「色が白くなったね」
「そーすね」



ルーカスは、選手サービスの後、奥の方で子供達とボールを追いかけ回していた。

ナオくんが誰よりも人気があるのが、ファンサービスしている彼の姿を見ているとわかる。

こよなく東京を愛した夫の形見をもって行って、それを持ってもらって写真を撮った時に、ちょっと夫の事を話しただけなのに、慰めてくれて、「絶対に試合に勝ってJ1に行くから。」 と強く言ってくれた。

ナオくんの写真をプリントアウトして夫の遺影の前に飾った。

ガンバレ!東京!
ナオくん!ガンバレ!









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