ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

flumpool

2011-07-31 08:49:52 | Weblog
今、私の周りに音楽が無くなって久しい。

昔は、朝から晩までウォークマン(古い)を離さない時期があった。電車の中も、家事炊事の時も、大好きな音楽を聞いていた。

今は、思い出したようにCDを聞く事はある。

私が、音楽に夢中になっていた時には、夫はあまり興味がなかったみたいだった。

私が、音楽から遠ざかった頃から、夫の方が家でも、どこかに行く時にもイヤ―フォンを離さなかった。

彼が亡くなって、膨大なMDが残されて呆然とした。

今日の朝刊の一面広告に “flupool” が乗っていた。最近のミュージシャンを知らない私は、もちろん彼らを知らない。

そこに、「どんな未来にも愛がある」 と、「証」 の歌詞の一部が書かれていた。

何の気なしに読んで、思わず胸が一杯になり涙がこぼれた。

<どんな未来にも愛はある>
 ただ、あなたが笑ってくれるから 僕は生きていける
 もし この声が涸れてもね 唄うから 歓びの歌
 美しく輝くほどに 心に咲く花よ
 いま称えよう どんな未来にも愛はある

 何もかもを 失ったとしても
 求め与え合うあなたと明日がある

 慌てなくていい ゆっくり育んでゆこう
 数えてみようか 願った星の数を

 いま、あなたが涙に暮れるなら 傍で唄っているから
 “負けないで”が辛い響きなら言葉じゃなくて紡ぐ旋律(しらべ)
 苦しみも刹那も越えて この世に咲く花よ
 瞳(め)を閉じて 芽吹いた“絆”はここにある

 あたたが足を止めるのなら 僕はそこに腰をおろして
 ともに歩めることが 何より愛しいから

<証>
 君の指さす その未来(さき)に 希望があるはずさ
 誰にも 決められはしないよ
 一人で抱え込んで 生きる意味を問うときは
 きっと思い出して あの日の僕らを

 “またね”って言葉の儚さ 叶わない約束
 いくつ交わしても慣れない
 なのに追憶の破片(かけら)を敷き詰めたノートに
 君のいないページは無い

 溢れだす涙 拭う頃 君はもう見えない
 想う言葉は“ありがとう”
 傷つけ合っては 何度も笑い合えたこと
 絆を胸に秘め 僕も歩き出す


このグループの歌を聞いた事はないから、メロディーは浮かばないが、この詩が私の涙腺を刺激した。

夫の事を想い、彼が居なくなったあの日からの日々を思い、思わず泣いてしまった。

最近、田舎の妹と従姉から電話があり、「大丈夫?ちゃんとご飯食べてる?立ち直った?」 というようにいわれ 「大丈夫よ。二人で頑張っているから、ありがとう」 と答えていた。

そして、娘と二人で 「お父さんが亡くなっても、直ぐに毎日の生活が続くのだから、朝から晩まで想って引きこもっているわけではないよね」 と、話しながら東北の人達の事を思った。

“一人じゃないよ”とか“前を向いてあるこう”とか、いろんな励ましのキャッチフレーズが溢れた。そして、いろんなイベントや慰問があり、そのたびに 「ありがとうございます」 「勇気をもらいました」  「前を向いて歩いて行けます」 「感動をありがとうございます」  とかの感謝の言葉を引き出していた。

私は、夫が亡くなってから、彼らの言葉に違和感をもっていた。インタビューアーに上から目線を感じ、被災者はもっと違う気持ちがあるのだろうに、と思っていた。

私の友達も知人も、今までと同じように普通に関わっていてくれるし、夫の事も自然に話題に出来る。

でも、遠く離れた人は、私達の時間があの時で止まっていると思っているみたいに感じた。本当は、食べたい物は食べ、行きたい所へは行き、楽しい事には笑っている。だから、普通に日常的な話や、思い出も話したい。

それが、東北の人々も、今は違う言葉を言いたいのでは、と思う。相手が望む言葉を紡ぎ、心の中では「そうじゃないのよ、ホントはね」 とつぶやく。

昨日も、新潟の豪雨の事で妹に電話した。やっぱり、最期は 「二人で頑張って生きて行くから」 で終わった。

だから、この詩に、心を動かされたのかもしれない。

起きて来た娘に、「何、グスングスンしてるの」と、言われた。





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地デジ移行になって

2011-07-28 21:49:17 | Weblog
TVは地デジ対応だから問題ないし、多摩ケーブルに入っているので、アナログ用のビデオデッキでそのまま録画ができるので、何の問題も無い。

しかし、困ったのがラジオ。

台所で料理をする時、後片づけをする時、いつもラジオでTVの音声を聞いていた。

特にNHKのニュース関連は重宝していた。映像が見たければ、目線の先にTVがあるので、何の不自由がなかったが、音声だけで十分だった。

ところが、デジタルになって、TVの音声がラジオから聞けなくなったのだ。

昔は、よくラジオを聞いていた。特に子供が小さい時は、あまりTVはつけず、もっぱらラジオだった時もあった。あの頃は、ラジオが面白かった。

今、ラジオのニュースは物足らない。

デジタル放送での音声を聞く方法ってないのだろうか。

私のように不便に思っている人もいるのだろうな。








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南山そぞろ歩き

2011-07-26 20:42:04 | 南ちゃんと南山
朝、曇っていてそんなに暑くない。

南山を歩いてみたくなった。

1人、カメラをもって南山に入る。

人口の音が聞こえない南山は、種々の鳥の鳴き声とセミの鳴き声。

そして、大小の蝶が舞っている。

圧倒的な緑。













そして、歩けば所々に手入れされた畑。時には開墾している人もいる。















私達“南ちゃんの会”で下草刈りする“一の森”。今は、人が入れないほど荒れているが、下草刈りをして見違えるほど、素敵な林になるだろう。今、南山に生えている木々を挿し木し、ドングリから木々を育てている。篠笹だけで、木が育っていない所に植える為に。

どんな姿にしようかとデザインを考えている。非常に楽しみでワクワクする。

8月は夏休みなので、9月になって下草刈りをするのが楽しみだ。









南山を歩けば、元気になる。












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真夏の夜の歓喜

2011-07-25 16:49:12 | FC東京とサッカー
涼しい日が続き、昨日も一時のような猛暑では無かった。

夜には涼しい風も吹き渡り、楽しいサッカー観戦となった。

久しぶりの国立。屋根がないので、空が一杯に広がって解放感があり、気持ちいい。





いつものように、前半は攻めても攻めても得点に繋がらない。いつかはシュートが決まるだろうとは思うが、やっぱり、これだけ攻めていればネットをゆらさなければダメだろうと思う。特に、J1に上がってからの事を考えれば。

でも、それが、一発レッドのPKに繋がった。

国立での「わっしょい、ワッショイ」 は、格別に楽しい。遮るもののない空一杯に、両手を上げてのバンザイは最高!

それも、5回ものワッショイ!!



昨日は、最期の最期まで、もう一点と走っていた選手達を見るのが楽しかった。本当に、よく走る。

羽生さんの走りは、いつもながら感心するが、セザーが前線から相手ボールに向かって走り続けたのは感動した。シュートは決められない事が多いが、それでも、羽生さんと二人で前線で相手ボールを全力で追いかけ回しすのを見れば、誰もさぼれない。

東京を見ていて、なでしこもそうだけど、パスサッカーは、ボールを回す事では無い、選手が足を止めずに走り続ける事が大事なんだなと、私は、そう思った。パスの受け手が、最適な場所に走ってくれなければ、パス出来ない。パス出来る場所が無ければ、結局バックパスで、攻めが停滞してしまう。

今、東京は、しつこいくらいに後でパスを回し、相手をじらせる事が出来ていると思う。気持ちに余裕があれば、時に、パスミスしても、しっかりと戻ってディフェンス出来る。気持ちに余裕があれば、味方の意図もしっかりと共有出来る。

今、見ていて楽しい。きっと、選手達も楽しんでサッカーが出来ているのだろうと思う。

去年の後半、そして、今年の前半、辛いなと思いながらも応援して来て良かったね、と友達と話した。今、その我慢しての応援に、こんなに楽しい時間のご褒美がある。

これから、時には、もしかしたら勝てない事もあるかもしれない。でも、きっと、彼らは勝利し続けてくれるだろう。だって、勝つ事の楽しさ、嬉しさを彼らが一番分かっているのだから。勝てなかった苦しさ悔しさを味わいたくないと、彼らが一番思っているのだから。

まだまだ、猛暑が続くだろうが、暑さなんて吹き飛ばすゴールを期待する。

勝ち続けよう、東京!
熱い応援を続けよう、東京サポーター!!

















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“南ちゃん”でペンキ塗り

2011-07-25 14:10:19 | 南ちゃんと南山
昨日は、“南ちゃんの会”で、畑の道具小屋のペンキ塗りをした。

朝は天気が良く、「ペンキ塗りは暑いな~」 と思っていたら曇って来た。

ここ最近、涼しい日が続いていたので、曇りでの作業は楽だった。

以前、「何色に塗ろうか」 と話していた時には、赤だの黄色だの焦げ茶色だの様々な色が上がり、シンボルのうさぎちゃんのイラストも書こうか、と盛り上がった。







結局、上半分を透明に、下半分を焦げ茶にする事となった。

皆で、賑やかにおしゃべりしながら、台風の汚れを落とし、サンドペーパーを欠け、手分けして塗り始めた。

ペンキ塗りなんて久しぶりだ。昔、結婚した頃、入った社宅が古く、白壁が何色か分からないくらい汚れていたので、夫と一緒にペンキを塗りなおしたのを思い出した。結婚したばかりで、何もかもが楽しい時だった。

ペンキを塗りながら、「まことちゃんハウスのようにカラフルにしたら楽しいよね」 と言ったら、「タヌキがビックリするよね」 と、そこから、屋根は何色、壁は何色、窓は、入り口は、と様々な色の小屋の出来上がりを想像して楽しんだ。

小屋作りの責任者の男性が、私達の所にいて指示を出していたが、あとの男性は畑の中で、もくもくと草取りをしている。多分、私達のおしゃべりがうるさいからかな。

取りあえず、女性の素人にはそれなりの出来栄えで、完成となる。





でも、この小屋も今年一杯で解体して、別の所に作りなおす事になった。

借りている畑は今年一杯と言われたのだ。

いよいよ、畑のある場所の開発の工事が始まるのだろう。

たった一年しか畑仕事が出来なかったこの場所。もったいないほどの土の肥えた畑に適した場所が、開発されて何に変わるのか知らないが、本当に残念でならない。稲城砂を含んだこの南山は、畑に最適な土質だ。

田舎育ちの私の実家も畑が沢山あり、よく手伝ったが、比べても土質がフカフカと豊かでカチカチにならない。草はよく生えてくるが。



私達の国の緑豊かな自然、未来永劫変わらないと思って代々住み続けていた優しいたおやかな山々、森、林、川、海。そして、人間に自然の恵みを心にも身体にも与え続けてくれて、安心してゆだねていた日々の生活。

でも、ほんのちょっと大地が身震いしただけで、地獄の惨劇となってしまった東北地方。

大事に大事に守り育てて来た自然が、時には人間に牙をむく。

それなのに、わざわざ、人間が自然に機械の牙を打ち付けていいのだろうか。関東にも大地震がいつ来てもおかしくないと言われているこの時に、何も、里山を開発しなくてもいいだろうにと思う。

過去の人々が、その恩恵を受けて共に生きて来た里山。気候が厳しくなっているだろう未来人達が、どうして里山を取り崩してしまったのか、と恨むかもしれない。

今、この瞬間を生きている今の一部の人達だけの儲けの為だけに、世界でも貴重になって来た“SATOYAMA”を消滅させてもいいのだろうか。人間が自然を意のままに支配して来た事は、人間に幸せをもたらしたのだろうか。

じゃがいもを収穫した畑に、今年一杯しか使用できない畑に、何を植えようかと皆で話し合いながら、このすばらしい畑がコンクリート化されるだろう事に、何の力も無い私達に悔しさと寂しさを感ずる。



















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サッカー観戦は楽しい!

2011-07-18 14:58:14 | FC東京とサッカー
スタジアムでのサッカー観戦は最高だけど、TVの前での応援も楽しい。それが勝利のゲームなら最高。

昨日は、夜は味スタでFC東京と岐阜戦を応援した。

いつもはバックスタンドが定位置なのだが、あまりにも日差しが暑くて、ゴール裏の応援となった。

久しぶりに私の友達も一緒に応援した。彼女とはもう25年以上の付き合いになる。

昔は、野球が大好きだったので二人でよく野球を見に行った。主にジャイアンツ戦。時には日ハム戦を。

そのうちにJリーグが出来て、TVではよく見ていたけど、スタジアムにはあまり行かなかった。たまに代表戦を一緒に応援に行くぐらいだった。

それが、私がFC東京に夢中になってからは、野球を見なくなった。必然的に、私に引っぱられて、彼女もサッカーを好きになって行った。なでしこもよく応援に行った。

最近彼女は、時々、お孫さんを連れて来て、キッズエリアで応援している。

昨日は、1人だったので私達の所に来た。

「今日の試合はどう?」と彼女。
「今日の試合は、勝つ事よりも、何点取れるか、という試合ね」 と私。

圧倒的に、もう、東京との試合はイヤっというほどの試合をしてくれなければと。

昨日はアウェイのお客さんは数える程だったが、もし、これがJ1だったら、軽く2万は超えているだろうな、という程のお客さんが入っていた。

そして、スタジアムは可愛い仕草のドロンパに沸き、ルーカスに沸き、ゴールに沸いた。









昨日は、ゴール裏で良かった。楽しかった。

そして、何と首位!!

最初の頃、あんなに悩んでいたのがウソのように、気が付けば首位。まだまだ、残り試合の方が多い。慢心しないで勝ち続けて欲しい。

夜中には、なでしこ。

アメリカは、大きくて強くて速かった。でも、先行されても諦めずにくらいついて行ったなでしこ。その粘り強さ。名前の通りの“やまとなでしこ”。そして、彼女たちはアメリカを追いつめた。

ありふれた言葉だけど、感動した。

友達から、直ぐに電話がかかって来た、「見ていた?」って。そして、喜びを分かち合った。

明るくなった空には月が輝いていた。辛い事の多い日本、そして私。でも、頑張って前向いて生きて行こう。









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母に会いに行く

2011-07-17 08:41:09 | Weblog
夫の49日が終わったので、お義兄さんや姉の長男に挨拶を兼ね、母に会いに行った。

何回、姉の家に行く為に新幹線に乗った事だろうか。姉に会い、一杯おしゃべりが出来る楽しみと、母に会う事を思いながら流れる景色を眺めていた数え切れない日々。

でも、今回は、見なれた風景が涙に滲んだ。目をつむれば、姉の笑顔が、夫の思い出が浮かび、涙が頬を伝う。

姉の家に着き、姉の遺影に、「ああ、やっぱり、ここには姉はいないんだ」 と。庭に目をやれば、あんなに庭一杯に色彩豊かに花々が咲き乱れていたのに、緑色しかない。涙が溢れ、嗚咽がこみ上げる。

「ふみちゃんも大変だったね」 と、優しくて朴訥なお義兄さんが、夫の事を悼んでくれる。

去年の今頃は、二人とも元気一杯だったのに、一年後の今、二人にそれぞれのパートナーがいない。想像も出来ない事だった。

本当に、人生なんて分からない。いつ何が起こるのか、人間の想像を超えている。

残された私達も、先の事は分からない。いつどんな状態で、先に逝った人達の所に行くのか。誰もが、必ず逝くべき時が来る。その時までの残された人生を悔いなく一生懸命に生きて行く事しか出来ない。

特養にお世話になっている母は、私の顔を見た瞬間に、泣きだした。

「ふみちゃん、来てくれたんだ。もう、死ぬまで会えないと思っていた。」 二人で手を取り合って泣いた。

姉が亡くなった事を知らない母は 「はっちゃんが来てくれない。どうしたんだろう」 と。「姉ちゃんは、身体を壊して入院してるんだよ」 と。とても、姉の死を伝えられない。

そして、母の大好きな私の夫の事を 「元気にしてる?」 と聞いてくるが 彼が亡くなった事を言えない。

姉が、夫が亡くなった事を伝えれば、もしかしたら生きる気力を無くしてしまうかも知れない。残された人生を泣きながら暮らす姿を思えば、可哀想で言えない。

もっと、近ければ、頻繁に会いに来れるのだが…。

10月に姉の一周忌法要がある。その時に、また母に会いに行く。

すっかり頼もしくなった、姉の長男とこれからの事を打ち合わせて、帰って来た。

もう、当分、辛い事が起こりませんように、と思いながら、帰りの新幹線に乗った。




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感動のなでしこ

2011-07-14 20:17:52 | FC東京とサッカー
最近、ずっとTVでサッカーを見ているような気がする。

女子ワールドカップが面白くて、日本だけでなく他の国の試合も、ずっと録画しながら見ていた。

南米選手権も最初は録画しながら見ていたが、女子の方が面白くて、途中からは南米選手権は見なくなった。

TV画面で見るなでしこは、ワイドTVのせいか、小さくてコロコロと幼い少年のように見える。外国選手は、スラリと背も高く手も足も長く見える。

そのなでしこが、そんな弱点を自覚し、勝つための自分たちのスタイルを貫いて勝利する姿に心を動かされた。

そして、美しくピッチの上に描かれるパスのコース。強くても高くても届かなそうな前の空間に蹴りだされたボールでも、キチッとトラップして味方につなげるサッカー。

本当に、素晴らしい!!

そういえば最近、なでしこをスタジアムに応援に行かなくなったな、と思った。以前は、よくなでしこをスタジアムに応援に行った時期がある。

いつだったか、西が丘に友達となでしこを応援に行った。午後からなでしこを応援して、夜には国立でのFC東京を応援する予定だった。

ところが、なでしこを応援していた時に揺れた。照明塔が大きく揺れた。

地震だ!!友達と「ちょっと大きいね」 と、キョロキョロした。ピッチの選手達は気づかないのか、試合はそのまま最期まで行われた。

地震の為に、東京の交通機関は全て止まってしまったが、西が丘からの都営三田線が、唯一動いていた。でも、途中でストップしてしまった。

さあ、どうしょうか。後で考えれば、国立まで歩いて行ける距離だったのだが、地下鉄が動くまでウロウロしてしまった。

国立でのFC東京はキックオフの時間を遅らせて始まっていた。

あの頃は、西が丘や国立での試合は、いつも応援に行っていた。又、近場での試合には応援に行こうと思う。

あと、一試合、ぜひ金色のメダルを首にかけて欲しい。そして、真夜中の家々の電気が沢山、灯っていたらいいな、と思う。

しかし、“なでしこ”っていうネーミングがいい。いつでも、“なでしこジャパン”と呼ばれるのがいい。男子と違って、なでしこは、いつでも選手が主役の選手が中心の“なでしこジャパン”と呼ばれるのがいい。ゲームは監督では無く、選手がやるんだ、という、その主体性がカッコいい。

なでしこ、ガンバレ!!



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夫の49日

2011-07-10 08:45:45 | 夫の事
暑い暑い土曜日、夫の49日の法要を行った。

夫が亡くなって、もう49日が経ったのか、まだ49日なのか。

夫が入院していた56日間。毎日毎日、病院に通った。そして、毎日、洗濯物を持ち帰り、替えと新聞を持って行った。薬を飲む水や、食べやすいプリンやゼリーを一階のコンビニで買い、昼食や夕食の食べる手伝いをするのが、私の日課だった。

今思えば、あっという間の、入院生活だった。それに比べて、お葬式後の月日の、何とゆるやかな時間の流れだった事か。まだ、49日しか経っていないのか、との思いがある。

入院していた時から、家での日常には夫はいなかった。だから、日常に夫がいなくても、何となくそれが普通のような感覚がある。

でも、この世に夫がいないという事が、二度と話をする事が出来ない事が、洗濯をしながら、食事を作りながら、その圧倒的な量の少なさに、どうしても納得が行かない自分がいる。

毎日、夫とスーパーに買い物に出かけていた日常。今日は、何処のスーパーに行こうか?歩いて行ける所、電車に乗っての隣のスーパー、それとも行きは歩いて帰りはバスのスーパー。

別に、毎日、スーパーに行かなくてもいいけど、散歩を兼ねて、何を食べようかとか諸々の事を話しながら、根気よく二人で出掛けていた。時には、美味しい昼食を食べる為に出かけたり。

今、スーパーに行くのが楽しくない。

娘との二人の夕食は、毎日、買い物に行かなくても何とかなる。二人で食事をしながら、「お父さんは、まだ入院しているみたいだね。病院に行ったら、寝ていたりして」 と、彼との思い出を話す。

入院する前の日、味スタに出かけていて、夜には地域の会合に参加していた。翌日に病院に行って、即、入院。その日から、酸素マスクを離せなくなり、自力でトイレにも行けなくなり、食事も手伝いが必要になった。

今でも、不思議でしょうがない。入院した日の前と後の余りの落差に。

もっと早くに病院で精密検査を受けていたら、まだ、生きていたのだろうか。そして、治療をしていたら、九州の旅行は行けなかっただろうな、と思う。二人での最期の、あの楽しかった三泊四日の思いでは無かっただろうなと思う。

最期の最期まで、一生懸命に、生を全うした夫。

良き夫であり、子供達にとって最高の父親だった日々は、いつまでも私達の心の中に生きて行く。

いつか、あなたの傍に行く日まで、私達を見守っていて下さいね。






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第一日曜日は“南ちゃんの日”

2011-07-04 16:23:46 | 南ちゃんと南山
昨日は、久しぶりに里山の下草刈り。最近は畑仕事が多かった。

この間、“コミュニティービジネス講座”を受けた時、ボランティアやNPOについてもお話があった。その時、講師から、
「南ちゃんの会とは何をするのですか?」
「ボランティアで里山の下草刈りが主な仕事です」
「楽しいですか?」
「楽しいです!!」 と、仲間と声をそろえて言った。

そう、楽しいのだ。楽しいから、3年も続いている。

始め、「南山の下草刈りをしよう」 と言われた時、勢いで「やりましょう!」と言ったが、本当に出来るだろうかとの思いもあった。

でも、一度言いだしたからには、やらなければと初日に集合場所に行った。初めはどうするのかも分からず、指導してくれた地権者の“お父さん”に怒られながら始まった。お父さんは、集まった顔ぶれを見て「何だ、おばさんばっかりか。3回も続くかな」 と思ったそうだ。

そして、3回目の時に、お父さんは私達が本気だという事を認めてくれて、それからは好きなように任せてくれた。そして、私達は、お父さんの畑もボランティアで手伝うようになった。野菜の植え付けと収穫、シイタケ等の菌打ち、大根洗い等々。

今年からは畑も借りたので、道具入れの小屋も作ったりで、里山の下草刈りが御無沙汰だった。

山の中なので、畑仕事と違い、日陰の作業なので日焼けの心配は無いが、それでも手入れのしてない所を綺麗にする作業は、汗が一杯流れる。

でも、私の背丈の3倍以上にも伸びた篠笹等を刈り取る作業に没頭していると、頭も心も無になってクリーンにさわやかな世界に浮遊しているような気分になる。







「お昼にしましょう」 の声に我に帰える。混み過ぎた木々が倒され、下草も綺麗に刈られて木漏れ日が差し込んだフカフカな地面に座りこんで、ガブガブと水分補給をしてお昼をいただく。漬け物や、チマキやトウモロコシやデザート等が皆の間を回って行く。



さわやかな風が吹き渡り、汗が引いて、火照った顔も体も収まって行く。沢山の鳥達のさえずりに負けない程のおしゃべりをしながら、この、何とも言えない、大好きな素晴らしい空間と時間を満喫する。

こんなに楽しいのに、人に話すと、「大変ね、御苦労さま」 と言われる。なかなか、「私もやろうかしら」 と言ってもらえない。

午後は、刈った篠笹をカントリーヘッジとして、境に積み上げる。











帰りには畑に寄る。ジャガイモやルッコラが欲しい人は持って帰る。枝豆の育ち具合を見て、いつ収穫して塩ゆでしてビールを飲もうかと相談する。その時には、ソーメンも湯がいて食べようかと。

しかし、半端ない程の草が生えている。


















<番外>
朝、山道を歩いていると、撮影をやっていた。サムライの姿で。

「何の撮影ですか?映画?」
「お金が無いので、ユーチューブに載せます」
「何という題名ですか?」
「“三匹”です。見て下さい」



帰りも、まだやっていた。今度はもう少し人数が増えて、女性もいた。

稲城では、時々、TVや映画の撮影をしている。暇な時には、邪魔にならない所で見る時もある。

















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