今日は、あの東北の大地震と大津波が起こった日。
あの日、何をしていたかはよく覚えているが、あの年の1年間の事は記憶が抜けている。
前年の10月終わりに最愛の姉が亡くなり、辛く悲しく泣いてばかりの日々を過ごしていた。
やっと、少しは周りが見えるようになり、夫と気持ちを変え前を向ける様にと、2月にFC東京のキャンプ地の九州へ旅行も兼て行った。
夫は、何となく疲れやすいと言っていたが、年で運動不足かなと笑っていた。それなりに楽しかった。
そして、あの、地震と津波。夫と声もなくテレビを見ていた。
こんな悲惨な出来事が本当に起こったのかと、呆然とした。
姉は皆に見守られて、ベッドの上で亡くなった。でも、彼らは、と思うと涙が止まらなかった。
その翌々週、南ちゃんの会に協力してくれた、私達がお父さんと呼んでいる方が亡くなった。彼がいなかったら、南ちゃんの会は無かったかもしれない。
悲しかった。南ちゃんの仲間達と泣いた。
今度は、その翌週に夫が体調を崩し、インフルエンザかなと市民病院に行き、入院となった。
翌日入院の用意をし病院に行くと、「直ぐに大きな病院に行ってください」との事で、夫が月1で通っていた府中の都立病院に、救急車で向かいそのまま入院。
その夜、私と子供に「早くて1週間、長くて1カ月」と言われ、呆然とした。
それから、夫が亡くなった5月22日まで、毎日辛い思いで病院に通った。
私は、こんなご時世だし、始めは家族葬でと思ったが、賑やかな事の好きな夫だったので、普通のお葬式にした。
ところが、東北の震災の影響か、葬儀場も火葬場も予約が一杯で、10日先になるといわれた。
でも葬儀社の方が走り回ってくれて、ちょっと離れているが5日後には葬式を出せる事になった。
定年退職していた夫だったが、元会社の人や取引先の人達が、沢山来てくれて、天の夫は喜んでいただろうと思った。
あれから、この日が巡って来るたびに、夫や姉や父母を想い胸がいっぱいになる。
日本は、天災の多い国で、毎年少なくない人たちが亡くなったり怪我をしている。
でも、世界に目を向ければ、戦争でたくさんの人達が命を落としている。
だからウクライナの戦争の映像を見るたびに辛くなる。
あの攻撃の中で子どもたちが亡くなったり、ケガをして泣いているのかと思うと涙がこぼれる。
最近、非常に涙もろくなっている私を娘は笑う。確かに、映画でもドラマでも本でも、そこで泣くの?とよく言われる。
どんな些細な事でも、ふっと姉や夫や父母の思い出が胸によぎるからだ。
比べられない、諸々の日常と非日常の死。
そして、何千人、何万人、何百万人の死、と括られる非日常の死は数字だ。
9.11の犠牲になった3000人近い犠牲者。
でも、確か、ニューヨーク市だったか忘れたが、「9.11テロで亡くなった人達は数字ではない。ちゃんと名前がある」と、全ての犠牲者の名前を読み上げた。
凄く、感動した。
その9.11の犠牲者の一人に、翌週に私の会社に来る予定だった大手証券会社の若き女性がいた。仕事をしながら涙をこらえた事を覚えている。
でも、この戦争で亡くなるウクライナの人達は、数字で終わってしまう。
彼ら彼女ら子供たちには、ちゃんと名前があり、未来があったのに。
大義名分も何も無い愚かな戦争が早く終って欲しいと、強く強く思う。