ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

すべてに好奇心

2007-01-31 22:54:11 | Weblog
会社で飲み会があった。イロイロな話で盛り上がった。

最近、朝の通勤電車が込んで死にそうだと言う話になった。私の会社は従業員は私と男性4人の全部で5人である。内、二人は松戸から通っている。北千住から千代田線に乗換えが死にそうだと言っている。時々、小競り合いがあるそうだ。

40代後半の同僚が「昔は、よく喧嘩があったけど、今はあんまり見ないな」と言う話になり野次馬の話になった。

私は自他共に認める、好奇心一杯の野次馬である。もちろん、人が群がっていれば「なんだろう?」と見に行く。子供が小さい時、家族で繁華街を歩いていて、何かに引っかかり遅れるのは決まって私だった。気になったしょうがないのである。どうしても、何があるのか、何があったのか知りたいし、確かめたい。

子供が幼児期から小学高学年の頃まで、高槻市に住んでいた。ある年、火事の多い時があった。ある夏の日曜日の夕方、夕飯の準備が出来、夫と子供達が風呂から上がって来るのを待っていた。と、サイレンの音。ベランダに出ると、いつも行く商店街の方で煙が上がっている。「火事だ!」すぐに風呂の夫に「火事だから、見に行ってくるね。先に食べていて」と飛び出した。

走って行くと、商店街の一軒から煙リが出ていた。まだ、消防車もそろわず、放水も始まっていなかった。下が店で上が住宅の商店街が軒を連ねている。隣のお店の人達が物を運び出している。二階の窓の中は煙が充満していて炎は見えない。やっと消防車の放水が始まった。その時、2階の窓ガラスが割れて突然、炎が膨れ上がって家を包みこんだ。そして、それは隣の家まで伸びて行った。

その年の真冬の夜中、サイレンの音で目が冷めた。カーテン越しに窓が明るい。起きてカーテンを開けると、マンションの隣の民家の屋根の向こうに火柱が上がっている。夫に「見に行って来る」と言って着替えて飛び出した。知り合いの何代も続いた酒造りの家の母屋が燃えていた。大きな大きな古い家である。すべてが炎に包まれて、火柱が高く上がっていた。あの時の光景は忘れられない。冬の乾燥した空気と、古い家なのでアッと言う間に燃え落ちた。

そんな話をしていたら、30代前半の二児の父親である同僚が「僕は、野次馬は大嫌いだ。」と言う。「喧嘩していても無視?」「止めさせられないのに見てるだけの野次馬なんて大嫌いだ」「でも、何か変わった事があったら、何だろうと思わない?」「思わない」そんな考え方の人もいるんだ。私は田舎生まれだけど、江戸っ子みたいに変わった事にはワクワクソワソワする。

40代後半の同僚が言った。「野次馬は大事だよ。特にウチの会社は新聞社(親会社は小さな新聞社)なんだから、それじゃ記者はつとまらないよ。好奇心は記者の生命だよ」と言った。そう、彼は何でもよく知っている。私は、“雑学の帝王”と呼んでいる。彼とは話題が尽きず、いつまでも話し続けられる。

彼曰く。「最近、ホームで喧嘩していても昔のように野次馬が取り囲まないよな。皆、チョロと見ながら通り過ぎていく。最近、自分以外に興味を示さない人が多すぎる様な気がする。だから、喧嘩になっても。歯止めが利かなくて、行く所まで行っちゃうだろうな」と。

興味が無いのか。周りで起こっている事が自分に関係ないから、目にも心にも留まらないのか。自分と親しい人以外は、物としか感じられないのか。それとも、人間に成りきっていない人が増えているのだろうか。だから、ジャマだと思えば、ナイフで人を刺し、バラバラにする。他人だけでなく、親や子や兄弟でも。

耳に音楽、目に携帯の人が多すぎる。たまには、全てをカバンにしまって、歩こう。冬の引き締まった青空を見上げてみよう。木枯らしの声も聞いてみよう。歓声を上げて走っていく子供達に目を留めてみよう。枯れ木のような木々にも蕾は芽を出しつつある。そして、夜空のオリオン星座も見上げてみよう。

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今日のおはよう

2007-01-29 21:25:14 | Weblog
FC東京のオフの時だけ、携帯サイトに“今日のおはよう”が立ち上がる。そこでは日替わりで選手達の朝のメッセージが文字と動画で載る。「おはようございます。今日も元気で頑張りましょう」とか「朝ですよ。起きて下さい」とか。いつも、朝の電車の中で見る。

ウチのマンションは小学生が多い。朝は迎えに来た子や、ウチのマンションの子供達で外玄関が賑やかだ。そんな中、いつも一人で学校へ行く一年生の男の子がいた。

彼のお母さんはとってもステキな人だ。前は会社の帰りに時々電車を降りると一緒になった。「これから、子供を保育所に迎えに行くの」と急いで帰って行った。小学一年生になると、毎朝、外まで送りに出て不安そうに見送っていた。彼は大きなランドセルを背負い、下を向きながらイヤイヤそうに歩いていた。

寒くなって、又、朝、彼に会うようになった。やっぱり一人で歩いる。寒そうに寒そうに下を向きながら歩いている。追抜き様に「おはよう!」と声をかける。ビックリしたようにこっちを見た。次に会った時も「おはよう!」と声をかける。下を向いてモゾモゾしている。しばらくして、又、会った時「おはよう、寒いね」と声をかける。下を向いて「おはよう・・・」と小さな声で答える。可愛い。

そんな事が、何回か続いた。私はいつも急ぎ足だ。その日も早足で追い越しながら「おはよう!」と顔を覗きながら声をかける。「おはようございます」と元気な声が返って来た。「あら!」と嬉しくなる。と、後ろから駆ける足音がした。「行ってきます!」と元気な声と共にランドセルがカタカタ走って行く。

「行ってらっしゃい。頑張ってね」「はーい」と。

これから、沢山沢山楽しい事がある。辛い事もあるだろう。地道にしっかり歩いて行けば、人生って素晴らしいよ。頑張れ、未来人。
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レッズフェスタ

2007-01-28 21:28:03 | FC東京とサッカー
レッズはファンとの交流会が今年もさいたまスーパーアリーナで開かれた。

FC東京はいつからサポーターと選手との交流会をしなくなったのだろう。J2の時はまだサポーターが少なかったので、イロイロなイベントがあった。選手が作る焼きそば等を食べたり、一緒にゲームをしたり。J1に上がっても、何回か交流会があった。選手の別の顔や性格が見えてそれなりに楽しかった。

せめて、年間チケット購入者のソシオ会員には何かイベントがあってもいいのにと思う。もっともっとソシオ会員を増やしたいとフロントは思っているのだから。

選手とサポーターとのミニサッカーは、やっている人達も、見ている私達も楽しかった。それに、私は選手の持ち物のくじ引きに当たってしまった。キーパー№1の堀池さんのユニフォーム。激戦の後の残る毛羽立ったオレンジのキーパーユニ。私の宝物である。

初練習の時に小平に行った時に、新監督と新選手達の紹介はあったけど、サポーター人数が多すぎて、又、私達の所と練習場がフラットなので声だけで全然見えなかった。選手の走る姿も、人々の背中で見えなかった。

オフの間が長すぎる。せめて、レッズのようにキャンプに入る前に新しい選手の紹介も含めて、味スタであったらいいのにと思う。フロントさん、お願いします。
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早速、福西効果

2007-01-26 23:50:58 | FC東京とサッカー
磐田から福西選手がFC東京に移籍して来た。聞いた時は微妙な気持ちだった。彼はあまりにもジュビロ色。福西=ジュビロみたいな。

でも、考えてみれば藤田俊哉や名波選手は、もっとジュビロ的だった。それなのに今は違う色のユニを着ている。いまだに私にはシックリ来ない。彼らはジュビロで終わると思っていた。もう生涯ここでという時代ではなくなったのね。

自分が愛するクラブと愛する選手。どちらも手放せないと思っても、いつかは涙ながらに選手にサヨナラと手を振らないといけない時が来る。戸田チャンや宮沢選手のように皆でサヨナラが出来なかったのは 悲しすぎる。

でも選手にとってみれば、自分のプレーがマンネリになるのが一番怖いだろうと想像出来る。新しい環境でプレーし新しい自分を見つけるのも必要かとも思う。福西選手の青赤ユニもすぐに見慣れるだろう。違う意味でも彼のプレーを見るのは楽しみだ。

会社の熱烈ガンバサポが休み時間に私の事務所まで来た。彼女は昔は日ハム命だったそうだ。学生時代は日ハムの追っかけをやっていたそうだ。でも、ひょんな事からデビュー頃の稲本のプレーを見てからはまったそうだ。今では彼女とは、サッカーフアンとして会社で東の東京と西のガンバで横綱を張っている。

彼女がウチのジュビロ戦をぜひ見たいと言う。彼女の友達が福西をどうしても見たいと言うのでと、お喋りに来た。チケットの事や席割の事とか、お互いのチームの事とか。当日は彼女達のように福西選手を見たいと思う人と、原サッカーを見たいと思う人でスタジアムは埋まるかも。

非常に楽しみではあるが、残念ながら私はスタジアムに行けない。まさか日曜日になるとは思わなかったので、母の為に旅行の予定を日・月曜と立ててしまったのだ。年老いた母の為に少しサッカー観戦を削って親孝行しようかなと思っている。だから、夫の分も彼女達に年チケを譲ってあげる事にした。

本当にスタジアムで見れないのは残念である。あの独特の雰囲気で新しい福西選手を見たかったけど、サッカーはずっと未来まで続いている。でも母の時間はどのくらい残っているのだろうか。



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文庫「ラッシュライフ」伊坂幸太郎著

2007-01-17 21:29:56 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
何とも不思議な小説だ。物語が始まる前に、英語のラッシュの綴りと意味が書いてある。lasu,lush,rash,rush。ラッシュにはコレだけの言葉があり、そして意味がある。この小説はすべてが当てはまる。そして、エッシャーの騙し絵。

新進の女性画家、空き巣専門の泥棒、新興宗教の教祖にひかれる画家志望、それぞれの配偶者を殺す計画を立てる女性精神科医とサッカー選手、どうしても採用されない失業者、この人達の物語。この人達が、仙台の駅前を中心にして関わったり、すれ違ったり。

初めの頃は、普通に読み進めていたが、途中から時間軸がずれて来る。時間はページ通りには流れていない。前に見た映画「21グラム」みたいだ。最後まで読まないと全体がわからない。エッシャーの騙し絵のように、階段を昇っているのに、また元の場所に戻ってくるような。最初の方が終わりの方であったり、終わりが真ん中であったり、いますれ違ったのに、彼には過去であったり。私も、時々、前の方に戻って「ここは何処だろうと」探したり、「どうして、ここにコレが」と思いながら読んだ。

死体をバラバラに切るシーンがあるが、何となく可笑しかった。それに、何と言っても最近の現実の殺人事件の方が、小説よりも悲惨であり理解できない。そういう事は小説の中だけにしてほしい。

また、この人の本を読んでみようかな。

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海外ドラマ「インベイジョン」

2007-01-16 22:06:54 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
とにかく面白い。最近は日本のTVドラマよりも海外ドラマを見る事のほうが多い。

フロリダの水辺のある町に巨大ハリケーンが襲った所から、ドラマは始まった。ハリケーンの最中に光るものが湖に降り注ぐ。水の中に何かがいるのである。

アメリカのB級映画によく異性物に取り付かれたり、乗っ取られたり、寄生されたりとかある。これも、それに類似した物語だが映画と違い、人々の関係や心情がよく描かれていて本当に面白い。

映画と違い、主人公達が知らない俳優なのがいい。映画に出てはいるみたいだが。特に主人公のラッセルの前妻の女医マリエルが本当にキレイだ。高校生くらいの息子がいるのだが、そんな風に見えない。美しい金髪、憂いを含んだ瞳、悲しみが漂うようなはかなげな口元(私だけがそう思うのか)、高すぎず低すぎない魅力的な声、ウットリと見とれる。

マリエルの夫の保安官のトムが、初めは?と思っていたけど、今は主人公のラッセルよりもカッコいいと思う。ラッセルはドラマの主人公にピッタリな感じだが、今はトムのほうが私の好みになっている。大人の渋くて強いアメリカの男性。う~~ん、カッコいい!

主人公のラッセルとラーキンの夫婦は本当にアメリカ人らしいラブラブな関係。でも、マリエルとトムの夫婦はクールで不思議な雰囲気。二人が見つめ合っているのを見ると夫婦ではなく、何と表現していいのかドキドキする。

いよいよ、異性物の正体が現れつつある。“ロスト”が今中断しているので、とにかくインベイジョンの日が楽しみである。


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FC東京小平練習場にて

2007-01-14 20:19:40 | FC東京とサッカー
友達に誘われて、FC東京の練習場に行って来た。天気は良かったけど寒かった。沢山のサポートが来ていた。

記者会見などが長引いたのか、結構出てくるまで待った。寒くて、寒くてヨーロッパのように今がシーズンだと辛いなアと心底思った。

選手達が一列に並んで挨拶した。沢山の人で後ろの方だったので、良く見えなかった。新しい選手の紹介と挨拶。もちろん、新監督の「いろいろありましたが、戻ってきました」の挨拶。笑った。吉本君の相変わらず元気の良い声。

その後、ランニングとボール回し。初日なので軽めのメニュー。ワンチョベは終始練習には加わらなくて、隅の方でストレッチをしていた。

練習場が改装されていて、人口芝の面が増え、見学場所が入り口の片面だけになった。盛り上がっていた所は平らになり、夜間の青赤に塗られた照明灯が設置されていた。

練習後の選手との触れ合いは、場所が限定となっていた。今日の人数では本当に一部の人だけしか当たらないだろう。それに、今日はサインは無し、握手のみ。

私達は参加しなくてもいいと思っていた。ちょっと離れて、それでも見える所のフェンスに寄りかかっていたら、たまたま範囲が広がって丁度、私達の所までとなった。

最初に現れたのはコンちゃんだった。側で見たワンチョペはカッコ良かった。顔が小さく目鼻立ちがハッキリしていて握手をしながら見つめられたらドキっとした。

ドイちゃんが、はしょって行こうとしたから、「ドイちゃん!ダメ!握手は?」と言ったら戻って来た。皆で笑った。

ナオくんと監督は範囲を超えて、集まっていたサポーターに応えていた。偉い、今年も応援するよ。

新人のカワイイ子と握手した後で「可愛いね!」と言ったら「え!」と困ったような顔をして、終わりの範囲を超えて範囲外の人達のほうまで挨拶に行っていまった。友達と「あら、あっちまで行っちゃった。可愛い」と笑った。

今年はこのメンバーで戦うのだ。不安のような楽しみのような。どんな一年間になるのだろう。喜んだり、悲しんだり。あと一ヶ月半。もう、少しの辛抱だ。
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子守唄

2007-01-13 22:34:13 | Weblog
ある新聞のコラムに、こんな事が書いてあった。

ある国で、新生児に音楽を聞かせる実験をやっている。新生児はモーツアルトとビバルディがお気に入りとの事。

そして、今は亡き越路吹雪さんが友人とパリのレストランで食事をしていた時のエピソード。バイオリンを弾きながら歌ってくれた人が、越路吹雪さんも一曲どうですかと言った。越路吹雪さんはバイオリンを受け取り、裏返して小さく叩きながら日本の子守唄を歌った。

♪おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんと 盆が早よくりゃ 早よもどる・・・・

そう、五木の子守唄である。周りの人達は、歌詞はわからなくても思わず涙ぐんだ。

コラム氏は言う。どうせ、新生児に音楽を聞かせるのなら子守唄はどうだろうか。何処の国でも母親は赤ちゃんを抱いて子守唄を歌って育てた。どこの国にもその国の子守唄があるはず。

以前、日本人は他の国の人に比べて、相対的に音痴が多かったそうだ。それは、母親がそれぞれの歌い方で自分の子供に子守唄を歌っていたからではないか、とコラム氏は言う。でも、愛情という旋律はわが子を健やかに育んでくれたはずだと。

子守唄だけでなく、日本にはステキな童謡が沢山ある。昔、日本が貧しかった時、母親は大事な労働者だった。辛い毎日にホッとする時間は、幼子を抱いてお乳を含ませて寝かせる時だけ。そんな時子守唄を歌ったのだろうな。

私も赤ちゃんを寝かせる時に、思わず子守唄や童謡を歌っていたように思う。専業主婦だったので、たっぷりと時間があった。毎日が楽しかった。まだまだ首も据わらないような赤ちゃんを相手に歌ったりお喋りしたり、雨が降ってもお散歩に行ったり。

今のお母さん達は、自分の子供達をひざに乗せてユッタリと子守唄や童謡を歌って聞かせる余裕があるのだろうか。TVもパソコンもCDの音楽も買い物もレストランのお喋りも等々・・・忙しそうだし・・・

父親が病院で亡くなる時、たまたま私が一人になった時に、意識のない父親の手を握り子守唄を歌った。女医さんが「人間は最後まで耳だけは生きているんですよ。だから、話しかけてあげて下さいね」とおっしゃった。85歳だった父。生まれた家は農家の子沢山だった。もちろん、子守唄など歌ってもらった事などなかったのだろうな。昔、貧しい農家の嫁なんて、牛や馬と一緒という時代でもあったのだから。

私も死ぬ時に、娘に子守唄を歌ってもらおうかな。

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庭付き一戸建て

2007-01-10 23:41:51 | 年老いた母
姉の家はかわいい庭付きの一戸建て。コタツに入ってガラス戸越しに庭を見ながら、母とお茶を飲む。太陽が暖かく降り注ぎ、そこここにガーデンシクラメンやパンジー、ビオラなどが植えてある。夏のペチュニアがまだ元気に咲いている。白とピンクの山茶花も枝一杯に咲いている。田舎の冬と違って、色彩が溢れている。

暖かい部屋の中から見ていると、外が寒いとは感じられない。落葉樹の裸木だけが冬だよと主張している。滞在している時、雨の日があったが、草花や木々に降り注ぐ雨脚を見ているのも心地よい。

母は、田舎の大きく広いだけの庭より、姉の庭の方がいいと言う。ほうきで掃くほどのスペースも無いし、草取りもチョッチョで終わりそうだしと笑う。

いいナ、庭があるのは。思う存分に土いじりが出来て、花も沢山植えられる。東京では、とても庭付き一戸建てなんて無理。

でも、家に帰ればやっぱり狭いながらもウチが一番。第一条件の駅まで3分。私が、終の棲家を探していた時の、譲れない条件が駅に近い事だった。バスや車に頼らない生活がしたかったから。だから、結婚してから所有していた車も手放した。車の無い生活は、お金もかからないし、自由で気楽だ。

姉の所から帰って来たら、すぐに私の花達に水をやりながら“ただいま”と声を掛ける。そして、フッと思った。家を購入する時は、私の好みと私の希望でここに決めたようなものだけど、夫は本当はどうだったのだろう。いつも私の気持ちを優先してくれる夫は、本当は庭付き一戸建ての方が良かったのかしら。真面目に聞いた事は無かったけど。

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母に会って

2007-01-09 17:01:15 | 年老いた母
父が亡くなり、姉の所に同居している母に、夫と一緒に会いに行く。

随分、年をとったなと、会うたびに辛くなる。いつ寝ているのだろうと思うほど働き者で。でもいつも笑顔一杯の母が、もう誰かの手を借りなくては生活出来なくなっている。記憶もおぼろになり、同じ事を何回も繰り返す。

一緒の部屋に寝るのを、何よりも喜ぶ。父が亡くなるまでベットを並べて寝ていた。寝付くまでイロイロな事を話しながら。だから一人は寂しいと。

朝、いつも混乱し涙ぐむ。目覚めると、自分がどこにいるのか分からず、どうしてここにいるのか分からない。分からないと言う事が悲しいと。母に言う。「分からないという事が分かるなんて素晴らしい。哲学だよ。本当にボケたら、分からない事も分かる事も考えられないよ」と。「お前は面白い事を言う」と笑う。

田植えしたり、稲刈りしたり、畑を耕し野菜を植える夢を良く見るそうだ。夢の中でも忙しくて、大変で辛い。そして目覚めると「夢で良かった。もう泥だらけにならなくていいんだ」とホッとする。そして、すぐ悲しくなっていつも泣いてしまうと。夢ではあんなに元気に走り回って仕事が出来るのに、現実の自分は歩くのもままならない。着物を縫い、布団も作り、セーターも編み、何でも出来ない事はなかった指がボタンも満足にはめられない。こんな体になってしまったと泣く。何と慰めていいのか、背中をさすってやる。

朝食を食べる頃は、普通になってニコニコと可愛いおばあちゃんになる。そして、ちょこんとコタツに入っている。

自分の未来を想像すると、年老いて行く事は辛く残酷な事なのだなと、悲しくなる。私は人生の長い道を随分と遠くまで歩いて来たんだなと思う。これからどれくらいの距離を歩いて行くんだろう。母の年まで歩けるのだろうか、それとも、その先まであるのだろうか。

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