ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

稲城からのダイヤモンド富士

2014-01-31 19:53:38 | 南ちゃんと南山
今日は、南ちゃんの作業日。

普通だったら、朝の10時からだけど、今日は、一の森からのダイヤモンド富士を見る為に午後から行った。

一の森に行くと、じゅんさんともみじさんがいた。もみじさんは午前から来ているので、一旦、帰ってまた夕方来ると言う。

そのうちにサラさんが来て、お昼を食べると言うから、私も来たばかりだが休憩。

気持ちのいい一の森で、しばらくおしゃべりの花を咲かす。



そろそろ、笹刈りでもしょうかと、腰を上げる。

さらさんは上の方で、私は下の方での笹刈り。時々、大声で話しながら。

背中に太陽がポカポカと暖かく、作業もはかどる。





そろそろ太陽が傾いて来たので、作業をやめてお茶を飲みながらおしゃべり。

でも、今日は、モヤがかかっていて富士山がよく見えない。

そのうちに、ふうさんやさつきさん、ブラン(犬の名前)とパパも来る。あら、大ちゃんも。

ダイヤモンド富士を見る為に、人々が集まった。



その時が来たが、やっぱりもやっていて良く富士山が見えない。

カメラを向けても太陽が眩しく光が拡散して良く撮れない。

太陽が沈んだら富士のシルエットが表れ、空がオレンジに染まった。











しばらく見ていたら、寒くなった来たので帰る事にした。

もし、明日も晴れていたら、もう一度見に来る事にした。

もしかしたら、晴れていれば明日の方が綺麗に見えるかもしれない。



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昨日の“南ちゃん”

2014-01-29 16:53:16 | 南ちゃんと南山
今日も天気がいいな、と思いながら外に出た。

フッと見ると、道路の反対側の歩道を、じゅんさんがユックリと自転車で、あれ、何処に行くんだろう。

山に行くのなら、今、通り過ぎた所で曲がらないといけないのに。ホイップで私達の為にケーキを買ってくれるのかしら、と思いながら私は、じゅんさんが曲がらなかった道を山の方へと歩いて行った。

太陽がまぶしくて、毛糸の帽子ではなくてサンバイザーを被ってくれば良かったかなと、山道を登って行った。

後でじゅんさんに聞いたら、曲がる所をうっかりと通り過ぎてしまったとの事、そろそろ春かな…。

畑に着いたら、まだ誰も来ていないので、畑の中の野菜達を順番に見ていたら、「おはようー」 の声。

もみじさんが歩きながら、何か言ったが、「眩しい」 の所しか聞こえなかった。

「本当に、太陽がまぶしいね」 と言いながら、もみじさんんの所に行った。

もみじさんが、「逆光で写真が良く撮れない」 と言いながら畑の向こうにカメラを向けている。

フッと、そっちを見てビックリ!!

「ええっ!! 木が全部無くなっている!!」 と私。





もみじさんもビックリして
「さっき、木が無くなって、太陽がまぶしいね、と言ったじゃない。だって、すぐ分かるのに、どうして気が付かなかったの」
「だって、太陽が眩しかったから、下向いて歩いていてそっちは見なかったし」
「だって、見なくてもすぐ気がつくじゃない。アンさんは、いつも見たくないものは見ないものね」
「そうなのよ。見たくないものは、目が見ても頭は認識しないし、イヤな事は聞いても流して行くし」
「アンさんて、発想が可笑しくて、いつも笑わせてくれるよね」

と、二人で大笑いしていたら、ふうさんとさつきさんが、「何大笑いしているのよ。私達は、林が無くなって悲しんでいるのに」と言いながら来た。

もみじさんが、「実は…」 と訳を話して皆で大笑いした。

「誰だって、畑に入って来たら気が付くよ。アンさんだけだね」 と、皆で笑った。

悲しいかな、この間まであった林の木々が、一本残らず切り倒されている。いつかは、切られて整地されて、家々が建つのは分かっていたが、現実に見せられると悲しい。だから、無意識に見ないようにしていたのか。

さっさと道具を持って一の森に行った。

この間の続きに、道との境の垣根を作る為に、竹を一本切り出しに行った。



運びやすいように三等分して、よいしょよいしょと一の森に運んだ。

一の森の上の方に、ヒジリくんの団体が、富士山の方を見ながら話している。

「こんにちは」 と言いながら、その前を横切ったら、持っていた竹の葉を踏んで、転んでしまった。

「大丈夫ですか?」 とヒジリくん。
「大丈夫です」 と私。別に、笑いを取るつもりではないけど…。

何か、私って、ちょっとおっちょこちょいの所があるみたい。ちょっとじゃないよ、と娘達には言われるけど。

垣根にする篠笹を運んだり、密集している篠笹を少し刈りこんだり、枯れて倒れ込んだ篠笹を整理したりと、夢中で作業しているうちに、アッと気が付いて、

「お腹すいたよー。」 と時計を見たら12時を過ぎている。

「12時過ぎているよ、お昼にしょう」 
「いつ、アンさんが言いだすかと待っていたよ」 と仲間達。

そうなのだ。いつも私が、「お腹すいたから、お昼だね」 と。

昨日は、富士山がずっとボンヤリと見えていた。お昼頃には雲が出て見えなくなるかなと思ったが、風が強かったからか、薄く浮かんでいた。



お昼を食べて、私とふうさんは帰る事にした。

布団を干してきたが、あまりにも風が強くて心配なので帰る事にした。

ふうさんと、帰りに畑の向こうの丸裸になった場所に行ってみようと、そっちに回ってみた。

丸裸になった場所の向こうで、以前私達は畑を借りて野菜を作っていた。今、そこは、見上げる程に盛り土の壁になっていて、家を作るのだろう雛段が作られている。



私達の畑は、両方を山に囲まれた谷になっていた。私達でさえも、そこで畑をしていたなんて、もう想像できない。

丸裸の山から、私達の畑とクヌギ林をパチリ。



山を降りて家に着いたら、そんなに風は吹いていない。

あらあら、山の上はあんなに風が強かったのに。もうちょっと、山で遊びたかったな。



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稲城の生き物見つけ隊

2014-01-27 21:32:28 | Weblog
夜、「稲城の生き物見つけ隊」 の集まりがあった。

娘に言ったら、「何、それ?」 と言われた。

私も、生き物見つけ隊のイベントに参加した事が無い。

去年、さらさんに、
「会費、まだもらってないけど…」
「あら、私も会員だったっけ」
「そうよ。一緒に立ちあげたじゃない」 と言われた。

そう言えば、そうだったっけ。

毎年、夏ごろに、参加者を募集して、稲城の里山を散策してチョウや昆虫等を観察する。

夜の観察会もある。

もう、子供よりもお父さん達の方が夢中になるらしい。子供にお父さんから目を離さないでね、というほどに。

私が参加した事がないのは、イベントがどうしても土曜日とか日曜日に開催されるので、サッカーの方を優先するからだ。

去年も、大丸用水の散策の日の夜に観察会があった。

私は、大丸用水を散策した後にサッカーの応援に行ったから、その夜の観察会には行けれなかった。

稲城の飲み屋さんに12人程が集まった。名前の知らない人達もいる。

それぞれが自己紹介をし、チョウや昆虫の話し、里山や自然の話で盛り上がる。

特に、チョウや昆虫に夢中の人の話には、私は聞く人状態。チョウを求めて南米にも行ったそうだ。

夢中になっている事には、年は関係なく、皆さん本当に目を輝かせて、「聞いて聞いて」 と。

そういう話には、詳しくない私は、時々質問しながら、ニコニコと聞き役に、そして食べる役に。

ミュージシャンのアカシさんの自己紹介を聞きながら、結局、ここに集まった人達は、皆、稲城の里山繋がりなんだと思った。ますます、私達の里山が愛おしくなった。

飲んで食べておしゃべりして、楽しい時間を過ごして、ほどほどの所で解散した。

その後、南ちゃんだけ残って、入院している仲間に「元気になって」の色紙を書く為に、ちょっとテーブルを貸してもらう。

貸し切り状態だったので、他のお客さんがいなかったので、飲み屋さんの御夫婦とおしゃべりをした。

飲み屋さんのトイレに、ハーレーダビットソンのバンダナが壁に貼ってあったので、親父さんに聞いた。
「ハーレーダビットソン、乗ってるんですか?」
「今度、後に乗せてやろうか」
「本当?」
「サイドカーの方が良いかな」
「あら、本当なら嬉しいわ」

そばで、ママさんが、
「持って無いよ。夢、夢よ」
「あら、あら」
「バブルの時には、お金一杯あったんだけどね」
「あら、そうなんですか」
「ここも、本当にお客さんが一杯でね。儲かってね。バンバン使っちゃったね。今はね、定年が無いのだけがいいのかなと思ってるけどね」

その頃の凄い話を聞かされて、私にはバブルなんてあんまり関係なかったな…、だから、バブルが弾けても、あんまり関係なかったな…。

帰り道、寒さに気持ち良さを感じながら、今年の生き物見つけ隊の活動日に参加したいなと思った。サッカーが無い日だったらいいな。









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昨日は一の森

2014-01-25 10:07:41 | 南ちゃんと南山
ちょっと早めに行ったので、畑には誰も来ていない。

昨日は、一の森の下草刈りをしょうと思っていたので、小屋に「一の森にいるよ」の札をぶら下げて、一の森に行った。

昨日は、富士山も丹沢や秩父等の山並みも、もやっていて見えなかった。



下草刈りをしょうと思ったが、篠笹を刈ってそのままになっている所があるので、それを綺麗に片づける事にした。

乾燥している今のうちに片付けておかないと、後で難儀するので。

葉がついている篠笹は、この間の活動日に間伐した木々を積み上げた所に運んだ。ちょっと距離があるので何回か行ったり来たりしていたら、暑くなった。

葉の付いていない篠笹は、カントリーヘッジとして崖に積んだ。



丁度、仲間がやって来て、
「真っ赤な顔しているね」
「そうなの、一生懸命やり過ぎた」
「一人で作業すると、どうしても、夢中になっちゃうよね」
「誰かいると、おしゃべりの方向に行っちゃうものね。ちょっと休憩」

この間、間伐した木々の枝を積み上げた道との境の所が、背の高い篠笹を刈り過ぎて、道から林が良く見えるようになった。



散歩の人々が入りこんでもいいように小道を作った所ならいいのだが、入っては困るエリアまで、道から見えるようになった所がある。

そこは、入っては困るので、小道を作っていない。そこには、南山で絶滅しそうになっている山野草を移植してある。

道との境に、間伐した枝や刈った篠笹等を積み上げて緑の塀のようにしてあるが、そこに無断で入り込まないように、又、花が咲いた山野草が見つからないように目隠しを作る事にした。沢山、増やしたいのだ。





昔、南山にはキンラン、ギンラン、シュンラン、エビネ等、沢山の山野草が咲き乱れてたと、農家の人が言っていた。

それが、ほとんど盗掘されてなくなったと言う。だから、私たちみたいに林の手入れをすると、よそ者が入って来るので困ると言った人がいる。

たしかに、手入れをしなくて篠笹、やぶボウボウになっていれば、誰も林の中には入らないだろう。それでは、それらの山野草も芽を出してはくれない。そして、荒れて散歩したくない山になってしまう。それでは、開発してしまいましょう、となってしまう。

私達は、下草刈りをして、気持ちのいい林に再生して、散歩する人々にも私達にも素敵な時間を過ごせる場所にしたいと思っている。

そして、芽を出してくる数々の山野草は愛でて、写真をとるだけにして欲しいと願う。

近くの調布や府中、遠く都心から電車に乗って散歩に来てくれる人達と話をしていて、「気持ちのいい所ですね。」 と言ってもらえるのが何よりも嬉しい。

この間、山の中で会った男性は、「電車を間違えて乗って来て、たまたま、電車の窓から山が見えたので降りて、外へ出たら、目の前に山があってビックリした。それで、日を改めて来て見ました」 と。

それで、私は、その方を、私達が綺麗にした林の中を案内しながら、いろんな話をした。

「又、遊びに来て下さい。時々は、林の中で写真展やミニコンサートなどをしていますから」
「時々、散歩に来ます。」 と。

ドングリから育てたクヌギやコナラ等を植え、挿し木して育てた山アジサイ、山つつじ、ハナイカダ等を植え、畑を耕し、春・夏・秋・冬と素晴らしく移り行く里山に遊びたい。

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今日も、落ち葉集め

2014-01-21 17:21:35 | 南ちゃんと南山
今日も、落ち葉集めをした。

クヌギ林の落ち葉は、集めても集めても集めても無くならない。本当に有りがたい。



クヌギ林の手入れを頼まれる前は、落ち葉集めの為にあちこちの山道で集めていた。畑まで運ぶのは大変だった。

今は、畑の直ぐ上の林なので、落ち葉満タンのゴミ袋を、ポイポイと下に落とし、最期は道に落とした袋を、「えい!」 と、皆に笑われながら蹴り落とす。









落ち葉囲いの中に入れて、踏み踏みしてカサを減らす。

もう終わりかな…もっと入れるのかな…。

お昼前に帰る人と、お昼を食べて帰る人と。私は、ポカポカお日様に当たりながら、お弁当を食べる。丁度、食べ頃になった白菜漬けを持って来て、仲間に食べてもらう。

夫が生きていた時には、漬ける時には2玉漬けていたが、今は、1玉漬けている。ちょっと寂しい。

帰りは、サトイモ、大根、間引きしたノラボウのお土産。


今日は富士山は見えず。





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今日から南ちゃんの活動が始まる

2014-01-19 19:36:01 | 南ちゃんと南山
今日から、“南ちゃんの会” の活動が正式に始まる。

南ちゃんの会の活動日は、第一と第三の日曜日。

会を立ち上げた時、いつを活動日にしょうか、週に何回?月に何回?と話し合い、結局、月に2回に落ち着いた。

今思えば、丁度良かったかなと思う。

畑をやり始めたので、畑の作業は火曜日と金曜日と決めた。畑作業は、これは来れる人だけ。私のように、リタイヤ組だったり、仕事は主婦だったり、行くのも行かないのも自由。

本来の里山の下草刈りと保全の“南ちゃんの会” の活動日には、それなりの人数が集まる。

今日は、一の森の木の伐採。

混み過ぎた木、カシの木等、5本?6本?何本切ったのだろう。

ロープを巻きつけて、ヨイショヨイショと引っぱって。









倒したら、群がって、枝を切り落として、道との境に積み上げる。

まるで緑の壁。





もう慣れた物。あっという間に、木は解体されて、次の倒す木に向かう。

小道の整備もする。

真ん中を走る道の南側は立ち入り禁止にしようかと。こっち側には、盗掘されやすい山野草を移植してある。そっと落ち葉をのけると、去年よりも増えたように思う。

一の森の下草刈りをしてから、丸2年が立つ。

きっと今年は何かが芽を出して来るだろう。どんな山野草が出て来るか楽しみだ。

昔の南山には、キンラン、ギンランが一杯咲いていたそうだ。農家の人が盗掘されて無くなったと言っていたが、それでも、キンラン、ギンランが沢山出てきたら嬉しいな。

去年、見つけたキンラン、ギンランも増えているといいな。

久しぶりに目一杯、働いた。心地よく疲れた。

でも、風が強くて寒かった。動いている時はいいが、座ってお昼を食べている時は寒かった。

風が強いおかげで、富士山がいつまでも隠れずに白く輝いていた。



帰りは、畑に回り、大根を持ちかえる人は抜く。

畑を見ながら、じゃがいもをどこに植えようかと話しあう。もう、そろそろ種イモを買う時期だから。

来年度の事業計画を立てるために、集まる日を決めて解散。

南ちゃんが一生懸命に里山の下草刈り、保全をやっている事に対して、表彰状と金一封をいただいた。どこからいただいたのか、ややこしい名前だったので忘れてしまった。何か、ライオンズクラブの女性版とか言っていたような…。

「これで、じゃがいもの種イモを買えるね」 と笑顔の皆。

早く、暖かく鳴らないかな…。








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今日はFC東京の始動日だが…

2014-01-18 20:40:45 | FC東京とサッカー
今日、待ちに待ったFC東京の始動日。

毎年、ワクワクしながら小平に行っていた。その後、友達と丸亀製麺でウドンを食べながら温まるのが、定番だった。

正面に太陽を見ながら、一列に並んだ選手達を眩しく見つめながら、どんなに楽しいサッカーを見せてくれるかしら、早くスタジアムで応援がしたい。

そして、何よりも新しい選手を見るのが楽しみだった。

でも、今年は、行こうかどうしょうかと迷った。

先週、母が亡くなってから、“南ちゃん” と買い物に行く以外、ほとんど引きこもり状態。

電車で乗り換えてバスに乗ったりするには、まだ心が重い。結局行くのを止めて、FC東京のまだ見て無いDVDを見て過ごした。

小平に行った友達から、様子を知らせるメールが来て、やっと新しい年が始まるんだなと嬉しくなる。

新しい監督と、新しい気持ちの選手達と一緒に、優勝を目指しての楽しい冒険の旅が始まる。



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今日も里山へ

2014-01-17 19:49:14 | 南ちゃんと南山
里山へ行く時間が近づいて来たら太陽が出て来た。

最近は、作業日にはお弁当を作る。以前は、オニギリを持って行っていたが、いつからか、お弁当を作って持って行くようになった。本当に、簡単ワンパターンだけど、やっぱり、お弁当の方がいい。

あの、登り坂をヨイショヨイショと登っていたら、前をサツキさんが歩いていた。

話しながら、畑に向かう。

「今日は何して遊ぶ?」 と私。
「何でもいいよ。好きな事して」
「じゃあ、堆肥用の落ち葉集めをしましょ。桜の広場の方は満タンになったけど、畑の方は、もっと必要だよね」
「その前に、一の森へ行って富士山を見て来よう」

小屋の入口に、「一の森にいるよ」 の看板をぶら下げて一の森に行った。

あいにく富士山は雲の中。どうして、いつも富士山の所だけ雲があるのだろう。不思議。





丸太のベンチに座って、話をしていたら、もみじさんが来た。

木々に名前を書いたプレートを巻きつけてあるが、それを新しく変えるという。

それに、下草刈りをする時に、間違えて刈らないように、移植したり芽を出した山野草に印を付ける作業をするという。

もみじさんは、木々や野草に非常に詳しい。だから、仕分けは彼女の仕事。特に、今の時期のように葉が無くて、ただ、地面に棒をさしたような物が生えていても、私達には何か分からない。

さつきさんが手伝うとの事で、私は畑に戻り、落ち葉集めをする事にした。

クヌギ林の、まだ、落ち葉集めに手を付けていない奥の方の落ち葉を集める事にした。



一人で作業していると、おしゃべりする人がいないので、どんどん、落ち葉満タンの特大ゴミ袋が増えて行く。

夢中で作業していたら、ふうさんが来た。

ゴミ袋を下の道路に落とし、道路から下に、いつものように、サッカーボールを蹴るように、蹴り落とす。

「えい!!」。楽しいーー。

囲いの中に落ち葉を入れ、上に上がって、よいしょよいしょと踏む。楽しいーー。





今日も、お昼を食べて大根を抜いて帰る。

じゅんさんは早めに帰り、さつきさんはお昼前に帰り、私はお昼を食べて帰り、ふうさんともみじさんは午後も作業をするという。

何の規則も制約も無く、自分の時間に来て自分の時間で帰る、用があれば行かない、この、自由さいい。

仕事が忙しくて、年に1、2回しか来れない人もいる。それでも会員。

早く、周りが豊かな色彩で溢れる春が来ないかな…。



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昨日、一の森へ

2014-01-15 12:57:52 | 南ちゃんと南山
昨日、前の日の夜に母の葬儀から帰って来て疲れていたが、天気もいいし、里山に入りたくなった。

南ちゃんの日だけど、誰も来なかったら、一の森で下草刈りでもしょうかなと思っていたら、仲間が来た。

昨日の話しで、明日、調布の幼稚園の子供達が遊びに来るという事で、一の森を整備する事にした。

一の森に行くと、うっすらと富士山が見えた。作業しているうちに雲に隠れてしまったが。



小さな子達が来ると言うので、林の中の小道をもう少し広げる事にした。それと、遊んでいい広場も、もう少し広げる事にした。





狭いと、どうしても、入らないでね、の所まで入ってしまうから。

次に、桜の広場に行き、落ち葉集めをした。

山盛りだった落ち葉囲いの中も、少し、凹んできたので、又、そこに山盛りに落ち葉を入れ、中に入って踏み固める。立派な堆肥になってね、と。



もう、あふれそうなので、お昼になった事もあり、作業は終了。

仲間の一人が、「木って、1年も経つと、ポロポロになって土に帰るのね。南ちゃんに入って初めて実感したわ。下ではゴミでも、ここではみんな自然に帰って行くのね。」 と感激していた。

その方は、畑で種をまいて野菜が育って行く事にも感激していた。私のように、農家出だと、当たり前に思う事に不思議と言われると、私も不思議に思えて来て笑ってしまう。

お昼を食べながら、母の事を話す。

父、母、姉、夫を思い出しながら、青空に屹立する裸木を見上げた。

林の中の木漏れ日に、本当に心が癒される。

里山で畑で一緒に作業する仲間達がいてくれて、本当に私は幸せだと思う。

春になれば、又、サッカーが始まり、一緒に応援するな仲間達もいる。

一人の暮らしでも、元気に歩いて行ける。




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母の葬儀

2014-01-14 16:20:46 | 家族
先週の火曜日に安城の特養にいる母の所に行き、母のそばで一泊し、水曜日に、戻って来た。

私達と、特養との最終の打ち合わせを終わり、私は、その日の準備のために一旦家に帰った。

柏崎にいる妹と電話で打ち合わせをし、受け入れ態勢を整えてもらう。母が亡くなったら、そのまま、母を柏崎まで運んでもらい、向こうで葬儀を行う。

そして、母は、故郷を離れて、7年以上も経つので家族葬にしようと決めていた。

翌木曜日に、お昼を食べていたら、安城の特養から電話が来た。「直ぐに、来て下さい」 と。

慌てて、いつ帰るか分からないので、あれもこれも、喪服もと詰め込み、又、新幹線に乗って安城に向かった。

私が見ても、長くは無いと思った。

それで、妹に電話したら、「明日の早朝に行く」 との事。

その日も、母のそば泊まる。

特養のスタッフの方々が、本当に良くしてくれた。感謝してもしきれないほどに。

翌日の金曜日のお昼過ぎに、妹と甥が車で駆け付けた。

もう、その時には、母の呼吸は穏やかに浅くなっていた。

安城市で唯一、最期の看取りまでしてくれる所なので、夕方、静かに母が息を引き取るまで私達は、十分な別れの時間を持てた。

スタッフの方々が、順番に母に別れを告げに来てくれ、母との思い出を、涙をポロポロ零しながら語ってくれた。私の知らない、特養での母の暮らし。そして、母の笑顔が一杯の、時々のイベントやお出かけの写真を貼ったアルバムをいただいた。

優しい皆さんに妹と感謝した。

主治医の先生が、私達も目の前で、「病名は…、老衰だな」 と診断書を書いてくれた。もう、95歳、大往生だと思う。

直ぐに、地元の葬儀屋さんが来てくれて、用意が出来次第、ストレッチャーに乗せた母を車に乗せて出発して行った。

私達も、甥の車に乗って後を追う。

妙高のあたりから雪になった。一緒に乗っていた、亡くなった姉の長男が運転を変わろうかと言っても、結局、甥が一人で運転した。早朝、家を出て、往復、何百キロ走ったのだろう。

夜中の2時頃に、斎場に付き、母を安置してもらい、ほとんど夕食を食べて無かったので、食事をして、私と姉の長男とで斎場に泊まる。

ほとんど、眠れないまま土曜日。

通夜は、お坊さんの都合で日曜日に決まっていたので、葬儀社との打ち合わせや、親戚等への電話連絡等でその日を過ごす。

その日と通夜の日の夜は、妹と斎場に泊まる。

家族葬用に、最近出来たばかりだという斎場は、綺麗で、ツインのベッドルームにゆったりした日本のお風呂。それもテレビ付き。

家族葬だったけど、お葬式の当日には、母が住んでいた近所の人達もお別れに来てくれた。具合が悪くて来れないと言っていた母の高齢の従姉もお別れに来てくれた。

久しぶりに会って、「うめちゃん、ありがとう」 と手を取り合って泣いた。

母の住んでいた地区の区長さんが来てくれたが、何と、私の幼馴染の同級生。「今年、4年に一度の同級会をするから、出席して」 と言われた。私は、同級会には、ほとんど出席していない。

昨日、月曜日の夜に帰って来たが、随分、長く家を留守にしていたように感ずる。

懐かしい、いとこ達にもあった。遠く鹿児島に住む姉さんの三男にも、久しぶりに会えて嬉しかった。こんな時でも無いと、親戚達に会う事はない。

娘の夫も皆に紹介出来て良かったし、妹の娘達の旦那さん達にも会えて良かった。

もう、母に会う為に新幹線に乗って、安城に行く事も無いのかと思うと寂しい。

仏壇の前に、父、母、姉、夫と4つもの小さな遺影が並んだ。

明日からは、朝のお参り時の話しかけが長くなるかな…。



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