ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

夫の49日

2011-07-10 08:45:45 | 夫の事
暑い暑い土曜日、夫の49日の法要を行った。

夫が亡くなって、もう49日が経ったのか、まだ49日なのか。

夫が入院していた56日間。毎日毎日、病院に通った。そして、毎日、洗濯物を持ち帰り、替えと新聞を持って行った。薬を飲む水や、食べやすいプリンやゼリーを一階のコンビニで買い、昼食や夕食の食べる手伝いをするのが、私の日課だった。

今思えば、あっという間の、入院生活だった。それに比べて、お葬式後の月日の、何とゆるやかな時間の流れだった事か。まだ、49日しか経っていないのか、との思いがある。

入院していた時から、家での日常には夫はいなかった。だから、日常に夫がいなくても、何となくそれが普通のような感覚がある。

でも、この世に夫がいないという事が、二度と話をする事が出来ない事が、洗濯をしながら、食事を作りながら、その圧倒的な量の少なさに、どうしても納得が行かない自分がいる。

毎日、夫とスーパーに買い物に出かけていた日常。今日は、何処のスーパーに行こうか?歩いて行ける所、電車に乗っての隣のスーパー、それとも行きは歩いて帰りはバスのスーパー。

別に、毎日、スーパーに行かなくてもいいけど、散歩を兼ねて、何を食べようかとか諸々の事を話しながら、根気よく二人で出掛けていた。時には、美味しい昼食を食べる為に出かけたり。

今、スーパーに行くのが楽しくない。

娘との二人の夕食は、毎日、買い物に行かなくても何とかなる。二人で食事をしながら、「お父さんは、まだ入院しているみたいだね。病院に行ったら、寝ていたりして」 と、彼との思い出を話す。

入院する前の日、味スタに出かけていて、夜には地域の会合に参加していた。翌日に病院に行って、即、入院。その日から、酸素マスクを離せなくなり、自力でトイレにも行けなくなり、食事も手伝いが必要になった。

今でも、不思議でしょうがない。入院した日の前と後の余りの落差に。

もっと早くに病院で精密検査を受けていたら、まだ、生きていたのだろうか。そして、治療をしていたら、九州の旅行は行けなかっただろうな、と思う。二人での最期の、あの楽しかった三泊四日の思いでは無かっただろうなと思う。

最期の最期まで、一生懸命に、生を全うした夫。

良き夫であり、子供達にとって最高の父親だった日々は、いつまでも私達の心の中に生きて行く。

いつか、あなたの傍に行く日まで、私達を見守っていて下さいね。






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目覚まし時計

2011-06-22 12:21:41 | 夫の事
今日は、夫が亡くなって1カ月目の月命日。

不眠症だった私が、最近は寝付きがよく、夢も見ないでぐっすりと眠る。夫が家にいる時にも、どこか気になって寝付きが悪かった。入院していた時には、やっぱり、心配で眠れなかった。

亡くなる前の日の早朝の6時前に電話のベルが鳴った時には、あわてて転びそうになった。

もう、寝ている彼を気にかける事も、病院から電話がかかって来る事も無くなったからか、すぐ寝つけるようになった。

そして、だいたい12時過ぎに寝て、6時ごろには目が覚め、7時ちょっと前まで本を読む。

今日も、さア、起きようかなと、まずTVを付けた。アナウンサーの声に目覚ましの音が被る。

あれ?と思って、耳をすますと夫の部屋から聞こえる。

夫は時計が好きで、部屋にはいくつも様々な時計がある。その中の一つが鳴っていた。

今まで、一度も鳴った事がない時計が、今日、鳴るとは…。

まるで、「私を忘れないで」 と、向こうの世界から夫が言っているように。

忘れないよ、お父さん。

一日、一度はウルウルとなる。時には、遺影の前で、タオルに顔を埋めて泣く事もある。

私がリタイアしてからは、どこに行くにも一緒だった。今、買い物等に出かける時、一人は寂しい。

FC東京の試合を話す事が出来ないのが寂しい。

写真の顔が永久にそのままなのが、寂しい。

2か月近く入院していたので、病院にまだ入院しているような気持ちになる事がある。でも、もう、どこにも実在していないのだなと、不思議な気持ちで悲しい。

娘が、「お父さんが好きだったケーキでも買ってくるね」 と言っていた。

お酒も大好きだったが、甘いものも大好きだった。

美味しい紅茶でも入れて、娘と、今日も思い出話しをしようかな。








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静かな休日

2011-05-29 08:47:06 | 夫の事
今日が何日なのか、今日が何曜日なのか分からないような、嵐のような日々が終わった。

昨日、今日と子供達と静かにしみじみとした時間を過ごしる。晴天で無く、雨が降っているのが心が落ち着いていい。

もう、現役をリタイアして5年も過ぎるのに、会社関係の人々が沢山来てくれて嬉しかった。そして、溢れる花々と沢山の弔電。

リタイア後に親しくなった地元の人達も沢山来てくれて別れを惜しんでくれた。

姉さんの長男の小学校の息子達が、「おばあちゃんが亡くなって、今度はおじちゃんが死んじゃった」 とワアーワアー泣いてくれた。下の男の子は「僕、おじちゃんと約束があったのに」 と泣きながら冷たいおでこに触っていた。

娘は娘の友達と抱き合って泣き、私は私の友達と抱き合って泣いた。

蓋が閉まらないほどの花に埋もれて、夫は旅立って行った。

夫が現役の時に部下の仲人をした時、二人で写真館で記念に撮ってもらった写真の遺影が微笑んでいる。いつか、その時の写真の私が夫の隣に並んで収まるだろう。

お花の祭壇や周りに飾られた供花が清楚で華やかで、皆さんに評判が良かった。葬儀屋さんの担当の方が、「ここのお花屋さんは、非常に評判がいいんですよ」 と言っていた。

今も、その盛花に囲まれている夫に、「どうして、そこにいるの?信じられないよ」 と言いながら線香を手向けている。

お父さん子だった娘が、こんなに早く別れなければならないなんて、可哀想過ぎる。本当にお父さんと中が良かった。二人で海外にも食事にも映画にも行っていた。

夫は、お父さんとして幸せな人生だっと思う。

会社の部下だった人達が、「とっても怖い上司でした。でも、よく飲みにいったな」 と知らない夫の姿を話してくれた。家にいる優しいだけの彼とは違う顔を初めて知った。

会社人生も充実していて、その後の、地元の人々と沢山のかかわりに、素晴らしい人生だったのだなと思う。

たまたま、朝日新聞の“赤いbe”の“うたの旅人”が石原裕次郎の「わが人生に悔いなし」 の歌の特集をしていた。その歌詞を読みながら、夫の人生を思った。

どんなに充実していた人生でも、やっぱり早すぎるよね。まだまだ、やりたい事、行きたい所一杯あったものね。

今日、息子は自分の家に帰って行った。

これからは、娘と二人で前を向いて歩いて行こう。

あなた、あなたの好きなFC東京が、京都に4-1で勝ったよ。生きている時にそんな試合を見たかったね。試合の日には、風になって応援に来てね。

東京の試合を見に行った事のない娘が、「お父さんの代わりに時々、味スタに応援に行くよ」、と言ってくれている。彼の年間チケットは、シルバーなので娘が使えないから、私の友達に「彼の代わりに応援に行ってね」 と預けてある。

あなた、私達を見守っていてね。





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今日はお通夜

2011-05-26 07:32:12 | 夫の事
やっと、通夜の日となった。

こんなに、亡くなる人が多いとは知らなかった。

予定していたお寺さんでの、葬儀は早くて一週間待ちと言われ、市内の他の葬儀場をいろいろ当たってもらったが、どこも順番待ちで笑ってしまった。

一番、早い所での町田市での葬儀となったが、駅から3分の所なので遠くから来る人には分かりやすくて良かったかも。

中3日間の猶予は私と子供達の心に安らぎを与えてくれたと思う。

予定していたお寺さんで、夫を昨日まで預かってもらい、そこに通いながら家族だけでユックリとお別れの時間を持てたし、私達も身体を休める事が出来た。

夫とは、丸40年も一緒に苦楽を共にして来た。その間には、5回の引っ越しをして来たが、それぞれの所で沢山の家族の思い出を作って来た。

結婚した時、私が夫に言った条件は一つ。
「出世しなくていいから、いつも家族と一緒にいて欲しい」 だった。

時は、高度成長の時代。でも、彼は、家族だけでなく彼の親族、私の親族を含めて大切に一番に考え行動してくれた。

彼は、あの頃には珍しく、今で言う “イクメン” だった。私は、子供達をお風呂に入れた記憶が無いほど、赤ちゃんの時から彼の仕事だった。

お休みの日には、近所の子供達といつも一緒に遊んでいた。子供が高校になり、忙しくなる頃まで、朝夕の食事は家族一緒を基本にしていた。そのうちに、子供も私達も忙しくなっては行ったが、基本は変わらなかった。

夫は、私の友達・知り合いや、子供達の友達も大切にしてくれた。特に、娘の友達には 「ウチのお父さんとは何年も話をしてないけど、おじちゃんが私のお父さんみたい」 と、一緒にお酒を飲みながら楽しそうに話していた。

彼に、100%守られ、頼って来た。この40年、私と子供達の人生は彼の手のひらの上だった。

私達の平和と安定と幸せの為に、一生懸命に生きて来てくれて有難う。
幸せでした。

この年になると、大切な人との別れが増えて来る。

生きとし生きるもの全てが、必ず、その生の終わりが来るとは知っていても、別れは辛い。

5年前の、天寿を全うした父の死も悲しかったが、それは順番だからとの納得はあった。

でも、去年の秋の姉の死は、未だに納得出来なくて、悲しみが癒えていない。

そして、今度は夫との別れ。

受け入れた生きて行くより仕方が無い。

入院していた夫にサヨナラを言う時、毎日、夫のおでこにキスして帰った。照れくさそうに嬉しそうに笑っていた彼の顔を胸に生きて行く。

そして、これから子供達と、泣きたい時には、一緒に一杯、泣こうねと言っている。

一杯の幸せをありがとう。
さようならは言わないよ。
又、いつか会う日まで。



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夫が旅立った。

2011-05-23 09:15:35 | 夫の事
先週までは、近い将来の退院の話も出ていて、それに向けての看護師さんから、退院後は介護保険を利用した方がいいですよ、と言われ、その準備もしていた。まだ、しばらくは入院するだろうからと、府中までの定期券も買った。

それが、金曜日頃から食欲が無くなり、アッと言う間だった。

看護師さん達と、楽しく語らい、担当の女医さんも手が空けば、夫の所に来て雑談をしていた。

見舞い客も入れ替わり立ち替わり来て、書く事が大好きな夫は、色紙に言葉を筆で書いて渡していた。

娘の友達も見舞いに来て 「パパさん、早く良くなってね。一緒にヨーロッパに行こうね。約束だよ」 と言われて、ニコニコしていた。

結局、病魔の方が追いついて来ちゃったのかなと思う。

医者が退院の話をしていたのも、希望を持たせる為だったのだろう。担当医は、私には、いつどうなってもおかしくない状態です、とずっと言っていた。

先週末に本人が息子に「本当に退院できるのかな…。退院への道筋が見えない」 と言っていたそうだ。

その頃から、ガクっと食欲が落ちて来た。

それとともに、一気に状態が悪くなった。そして、緩和治療が始まった。

土曜日の夜から補助ベッドを入れて順番に泊まる事にした。まず、息子が泊まり、次は私と娘。

昨日の日曜日、娘は「目が覚めたから早く行く」 と、朝6時に家を出て行った。私も洗濯等を済ませて、病院に行った。

着いた時には、もう、呼びかけても 「うん、うん」 と、うなずくが分かっているのか…。

午後までは苦しそうにしていたが、だんだん、穏やかな表情になり、夕方の5時33分、次の呼吸をするのを忘れたような、分からないような穏やかな旅立ちだった。

夫の病名の“間質性肺炎” は、治療法も効果的な薬も無く、国の難病に指定されている。

最後は、厚生省で認可されていない薬を使用して、小康状態の一か月半だったのかと思う。

そして、病院から 「今後の治療法や薬の開発の為に、病理解剖をさせてもらえないか」 との申し出があり、子供達とサインをした。

最後の最後まで人の為に働いて、お父さんらしいねと、子供達と話した。

でも、最後に大好きなFC東京の勝利を告げられなかったのは残念だ。

今日の午後には、病院に夫を迎えに行き、忙しくなる。





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夫が入院

2011-03-29 19:15:32 | 夫の事
夫が、昨日、肺炎で入院した。

一週間ほど前から、熱が出たり、だるかったりで、風邪かなと思っていた。

医者に行ったらというのに、ナカナカ行かない。

日曜日の味スタのチャリティ練習に無理して行って、悪化したみたいだ。行かなくて、家で寝ていたらというのに、どうしても行きたいと、やっと行って来た。

今日、病院へ行ったら、すっかり病人みたいになっていた。

もっと早くに病院に行けばよかったのに。本人も、そう思っているみたいだ。

今日、先生がもっと設備が整っている病院に行った方がいいというので、明日、府中の多摩総合医療センターに転院する事にした。

5年ほど前に2週間ほど入院し、今も月に一度、定期的に検査に通っている。

しばらくは、私も通わなければならない。

以前、入院した時にも、会社の帰りに毎日通った。毎日来なくてもいいよ、と夫は口では言っていたが、子供が、私が毎日行くのをお父さんは喜んでいたよ、と言っていた。

本人は、Jリーグの再開までに直るだろうかと心配している。








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今日もパジャマを買う

2006-06-05 22:22:55 | 夫の事
帰りにデパートで夫のパジャマを買った。ワゴンに安く売っているのを買った。何枚もいるので、安いのにした。

病院の最寄の駅の大きなスーパーにパジャマを買いにいったら、父の日で半袖しかなく、それで会社の帰りにデパートに寄った。面会時間の関係もあるので、半分駆け足で買い物を済ます。

今日は夫は「ちょっとしんどい」と寝ていた。まだ、口から食べ物が食べれないからしょうがないと思う。

明日は又胃カメラを飲んで十二指腸の様子を確かめるそうだ。「いやだな」と顔をしかめていた。「いやだ。いやだ。と思っているとまた調子を崩すよ」と手をさすってやる。

今日は、先生が3人も覗きに来た。それも同じようなセリフで。「○○さん、調子はどうですか?明日は胃カメラを飲みましょう。治っているかどうか見てみましょう」と。

何か可笑しかった。でも、そうして時々覗きに来てくれると病人は安心する。「ほっておかれているのではないよ、ちゃんと気にしているから」と言うメッセージを感じて心強く思う。

帰りの電車の中で眠ってしまい、乗り過ごしそうになった。
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夫の髭剃り

2006-06-04 21:03:46 | 夫の事
娘と病室に行ったら、夫がいなかった。娯楽室にいるかと思ったけど、いなくて「多分、トイレだね」と。トイレの前で二人で並んで待っていると、点滴のぶら下がった棒をカラカラとさせながら出てきた。私達の顔をみて、ニッコリと笑う。

まだ貧血が治らないみたいで、「明日、また胃カメラを飲んで、状態を調べるみたいだ」とイヤそうに言った。胃カメラを飲んだ時、そうとう苦しかったみたいで。

午後から行ったけど、午前中は娯楽室でテレビを見ながら他の患者さん達と話していたらしい。胃潰瘍で入院している人が多いみたいで、胃カメラを何回飲んだと自慢大会(?)していたそうだ。

でも、取り合えず他の患者さん達とおしゃべりが出来るようになっただけでも、良かったと思う。脇腹の痛みは今の所、消えているらしい。鎮痛剤が効いているからだろう。

久しぶりにヒゲを剃りたいと言うので、手伝ってあげた。確かに随分伸びている。昔は、三日も剃らなければ、酷いものだったけど、それに比べればヒゲも元気がない。何か、悲しくなる。

でも、未来がまだはっきり決まったわけでは無いので、もう少し肩の力を抜こう。

昨日も子供達と夕飯を食べながら、「お父さんは、長期の出張に行っているみたいだね」と話した。本当に、家にいるとそんな気がする。海外に一ヶ月近くも行って、留守にした事もあるし・・・。「病院に出張していると言う事で」と子供達と話した。

明日も会社を定時に終わって病院行く。

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入院している夫の誕生日

2006-06-03 16:02:38 | 夫の事
息子も昨日から家に来ている。今日は夫の誕生日。

十二指腸からの出血が止まり様子見の快復待ちなので本人は食べれないが、小さなケーキを買って行った。息子がいると、車で行けるので楽だ。

病室に行ったら、夫がいない。トイレに行ったのだ。歩けるようになっていてうれしい。点滴のぶら下がった棒を押しながらソロソロ歩いてくる夫に娘が「わー!お父さん、病人みたい。病院のドラマと一緒だ」とからかった。娘はいつも家族の盛り上げ役。いつも明るくて優しい。

ベットに横になった夫に三人で小さな声で「ハッピバースディ」を歌う。そして三人でケーキを食べる。夫はニコニコと見ている。

入院してから、水の一滴でさえも飲めない夫が「お腹がすいた」と言った。元気が出て来た証拠だと三人で喜んだ。

「お父さん、結構スマートになって来たね。ダイエットに丁度いいよ」と娘が言う。私達も「そうだ、そうだ。今までダイエットしたらと言っていたけど、全然聞かなかったものね」と笑う。

十二指腸からの出血は止まったみたいだけど、相変わらず脇腹の後ろが痛いらしい。「痛め止めが良く効く」と夫が言うが心配。

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夫の入院

2006-06-01 23:45:07 | 夫の事
この3月末、64歳で長いサラリーマン生活をリタイアした夫。いつも会社の健康診断では「もう少し痩せなさい」と言われるぐらいでOKが出ていた夫。これと言った病気もした事が無かった夫。

もともと違う症状で検査を予約していたが、下血と吐血があったので急遽、タクシーで予約している府中病院まで行った。外来ではなくERに運び込んだ。そこで長い長い一日が始まった。

レントゲン・胃カメラ・CT等検査をして病室が決まり落ち着いたのは8時を回っていた。

十二指腸から出血していて、それが元で強度の貧血と酸素不足を起こしていた。それで、急に動けなくなったのだ。

何とか出血は止まり、今は様子見の状態だ。本当の病人になってベットに横たわる夫が別人のように思える。

あんなに自信満々で活力のあった夫が、たった4日くらいで、こんなに無力な病人になってしまうなんて信じられない思いだ。

これからやっと自由な第二の人生が始まったのだから、早く元気になってほしい。
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