ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

サタニックカーニバル

2024-06-16 09:04:37 | Weblog
幕張メッセで開かれたサタニックカーニバルに行ってきた。



娘婿の上ちゃんのバンドが、そこで演奏するため。

前日に幕張メッセのホテルに宿泊。





初めて幕張メッセに行った。
ここに千葉ロッテマリーンズがあるとは知らなかった。
駅前は、ロッテマリーンズ一色。

そして、街は綺麗に整えられて、マンショがたくさんあり、作られた街の印象。

駅前で夕食を、と思ったが、あちこち満員で、やっと一テーブルが空いていた中華料理店で食べることが出来た。
当たりだった。どの料理も美味しかった。ただ、ジンジャエールは薄くて・・・。

当日は、上ちゃんは迎えに来た仲間と準備で早く行き、後で迎えに来てくれて車で向かう。

開場前から大行列が出来ていて、グッツ売り場もごった返していた。



上ちゃんのバンドは、有名じゃないから「お客さん来てくれるかな、売れるかな」って心配していた。
確かに、他のバンドのお店はたくさんの行列が出来ていた。
私達もTシャツを買って着た。

娘たちは、関係者の楽屋に行ったが、私は早速聞きに行った。
大ステージと小ステージと分けられていて、両方を行ったり来たりして聞いた。
両方とも沢山の人で溢れていた。ステージは遠くてよく見えないが、大きな映像のスクリーンがあるので、それを見る。

お昼を過ぎたので、皆の所に行く。

食べるものも飲み物もお菓子等も、たくさん用意してあり、ビックリ。

食後に、スラムダンクを演奏した人たちのライブを聞きに行く。

ビックリしたのが、ファミリーシートが何と、演奏者たちの直ぐ側の斜め後ろから見れること。
観客たちの揺れ動く様も見える。

その後、少し休憩して、いよいよ、上ちゃんたちの番。

ファミリーシートに上がると、まだ前の演奏が終わっていなかった。

上ちゃんは、客席からは見えない一段高い所でドラムを叩いていた。
マリノスのユニを着て。いつも、彼はライブの時にマリノスのユニを着ている。
側でゆなと見ていた。

と、前の演奏が終わり、ステージが暗くなった。

係の人が、「ちょっと前に出てジッとしていて。動かすから」
と、私達のいる所が、ステージにスライドして行った。ビックリ。

直ぐに、バンドのメンバーが集まり、周りを彼らの仲間たちが囲み、演奏が始まった。



私達は、その後ろから見ていた。
メンバーの子どもの高学年くらいの娘さんが、やっぱりメンバーの子どもの年中さんくらいのピンクの服を着た可愛い女の子と、前の方に行った。

観客席から見て、裸になってステージで踊り狂って歌い、ギターを掻き鳴らすハードコアの演奏者と、それを取り巻き拳を上げる男たちの、前にピンクの服を着た小さな女の子が、じっと立っている、何ともシュール。

客席を見れば、前の一角で、裸の男達が手足を振り回して踊り(?)狂っている。
後で、上ちゃんに「あの、観客席で裸で騒いでいた人たちって、普段のライブの常連さんでしょう」と聞いたら、そうだと。

大ステージで大物の演奏があるから、お客さんが来てくれるかな、と心配していたが、そんなことなく盛り上がっていた。

しかし、普段の上ちゃんとは別人のように感じた。
普段は、物静かでおとなしそうなのに。

私には縁のない世界を経験できて楽しかった。
それに、幕張メッセ内は、冷房が効いていて涼しかった。
踊っている人や、演奏者たちは暑いだろうが。

帰りは、上ちゃんは後片付けがあるので、私達は電車で帰った。








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フジコ・ヘミング

2024-05-15 19:58:04 | Weblog
フジコ・ヘミングが亡くなった。

ずっと前、いつだったか忘れたが、その時は、私は彼女をあんまり知らなかった。

NHKで、彼女のコンサートを放送した。
ラ・カンパネラを演奏するというので、見ることにした。

そして、ピアノの演奏を聞いていて、なぜか、心がキューとなって涙が溢れてきた。
なぜだろう、心の深いエリアで何かに触れたのだろう、いろんな思いが溢れてきたのだ。

もともと、私は涙もろい。
映画を、ドラマを、歌を、そして、絵画を見に行っても、頬を濡らしたことがある。

そして、フジコさんの映画が上映されたので、銀座和光近くの、映画館に観に行った。
いつものように、30分前頃に行ったら、完売。
次の回は、空きがあるというが、2時間も時間を潰すのもイヤなので、来れる日の予約券を買って帰ることにした。

何回も行ったことある映画館で、満員なんて一度もなかった。30分前なら余裕だった。

映画の最後の「ラ・カンパネラ」の演奏が素晴らしかった。
もう一度、あの映画を見たいな。

フジコ・ヘミングさんの、御冥福をお祈りします。





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今年最後の満月

2023-12-27 19:50:21 | Weblog
今年最後の満月。

夜の満月が、どうしても上手く取れない。
スマホの写真は、未だに下手だ。



その代わり、早朝、西の山の端に沈もうとしている満月(と言っていいのか)が、とっても綺麗だった。





早朝に満月(と言っていいのか)を見るのは、初めて。

三日月や半月は見たことがあるけど。

月カレンダーがあるのに、いつも満月の日を忘れてしまう。





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サントリーホールのピアノのコンサートへ

2023-10-09 19:53:51 | Weblog
戸山啓介ピアニストのピアノ・リサイタルに行ってきた。

新聞に広告が載っていて、なぜか行きたいと思ってネットで検索した。
チケットを購入するには会員登録しないといけない。でも、なぜかそれが上手く行かない。
(最近、私のスマホで、この登録が上手く行かない)
しょうがないので、電話でチケット購入手続きをした。

サントリーホールって行ったことあったかな・・・。

夫が現役の頃、取引先の会社から年2回オーケストラのコンサートに招待されていたけど、私はほとんど寝ていた。
そのうちに、代わりに娘に行ってもらうようにした。

娘に「お母さんは、音楽はどんなジャンルが好きなの」と聞かれても、「演歌からアニソンからハードロンクから、何でも好き」と。

気に入ると、1日中聞いている時もある。

でも、クラシックは、そんなに好きではない。だから、わざわざチケットを買ってまでは行かない。

でも、ピアノ曲は好き。特にショパン。
昔、なぜかショパンの曲が好きになって、カセットテープ(古い)やCDで聞いていた。

ピアノといえば、フジコ・ヘミングのカンパネラのピアノ演奏をNHkで聞いて、感動し、彼女の映画を見に行ったことがある。

ピアノ演奏は、どちらかといえば、クラシックよりはジャズの方が好きかな。
前日に、「白鍵と黒鍵の間」という映画を見に行ってきて、「ゴットファーザー愛のテーマ」のジャズピアノ演奏の迫力が凄かった。心を抉られるような激しい演奏だった。

私の席は、2階の前列の真ん中だった。本当に正面で、指の動きもよく見えて、いい席で良かった。

席は、ほぼ満席だった。
小学生の子供がチラホラいて、きっとピアノを習っているのだろう。

前半は、ショパン、リスト、ベートーヴェン等の演奏。

「エリーゼのために」を聞いた時、なぜか懐かしく、私が小さかった時の田舎の事が思い出された。
特に、今は亡き若き母の笑顔が思い出されて、心がジワ〜としてきた。どうして母を思い出したのだろう。
子供の頃、ピアノもクラシックも全然、縁がなかったのにな、なぜだろう。

休憩を挟んで、ショパンの曲。

特に、最後の「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」は圧巻だった。
演奏が終わって、大きな拍手とプラボーの声。

体全身でピアノに立ち向かう姿に、ピアニストも一種のアスリートみたいと思った。

友達に言ったら、「私もサントリーホールに行ってみたい」と言っていた。







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調布の花火

2023-09-26 19:00:34 | Weblog
花火は大好き。

名古屋に住んでいた時も、結婚した頃も、大阪に転勤したいた時にも、花火大会を見に行った記憶がない。

大阪から、東京に戻ってきた時、新聞に東京湾花火大会の観覧希望の人は、往復手紙で申し込んでの記事があった。

直ぐ、往復手紙を購入して申込み、夫と子供と一緒に行った。毎年申し込んで、見に行っていた。
遮るものもない正面に見る花火は最高だった。

最初の頃は、ハガキ一枚で4人まで見に行けたが、そのうちに一枚で2人になった。

隅田川の花火も行ったけど、帰りが大変でその後は行かなかった。

神宮外苑の花火には有料席を申し込み、娘と2人で行き、タクシーで帰ってきた。

夫と芦ノ湖の花火に観光バスで行った。遊覧船で湖に出て花火を見た。

河口湖の冬の花火も観光バスで行った。寒い真冬なので、焚き火がガンガン焚かれ、それを背にしての花火観賞。

稲城に住み始めてからは、毎年、調布の花火を見に行くようになった。

当日朝食を食べてから、私が稲田堤の河川敷に場所取りのシートを敷きに行き、夕方食べ物を持って見に行った。
夫と、もうどこに行かなくても調布の花火で十分ね、と。

東北の大震災の年に夫が亡くなった。
その年の大曲の花火を、夫を忍び、娘と観光バスで、見に行き、それから花火を見に行かなくなった。

娘は結婚して、京王多摩川に家を買って住むようになり、「お母さん、花火を見に来たら」と言われた。
でも、毎年、娘の家には2人のどちらかの友だちの家族が集まって、花火を見ながらパーティーをしていた。

たまたま、娘が誰も呼ばなかった時に、やっと見に行き、来年も見に来るね、と言ったらコロナの時代になった。

そして、今年の調布の花火は、娘が河川敷に場所取りするから、見に来たらというので友達を誘って見に行った。
まず、娘の家に行き、集まった婿さんの友達家族たちに「娘の母です」と挨拶し、友達が「母の友達です」と挨拶しトイレを済ませて、娘に確保した場所に連れて行ってもらった。

最高の場所で、真夏と違い涼しくて花火を堪能した。

アナウンスも音楽もよく聞こえた。

FC東京の花火はとっても綺麗だった。青赤色々華やかで、お金使ったなって思った。
ユルネバのサビの部分を流し、選手入場の曲を流し、私一人で手拍子していた。

鬼滅の「残響」が流れ、花火にピッタリだと思った。

花火が随分進化したなって、思った。初めて見る花火もあった。

ただ、昔あった多摩川を横断してのナイヤガラの滝がなかったのが、ちょっと残念。
帰りは、娘の家でトイレを借りる。

娘の家では、たこ焼きの準備をしていた。婿さんの上ちゃんがボールで粉を溶いていた。

京王多摩川駅では、特急が臨時に停まるので、駅に着いた時には、そんなに混んでいなかった。

楽しかった。
友達と「また来年も来ようね」と話した。

花火は、スマホでは上手く撮れないので、ちょっと残念。














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古代メキシコ遺跡

2023-08-26 13:22:56 | Weblog
友達と、前から行きたいねと言っていた、古代メキシコ遺跡を見に行ってきた。

最近、南ちゃんの仲間になった人が、メキシコの人。

旦那さんは日本人で、もう日本に住んで30年以上が経つという。
彼女は、始まって直ぐに旦那さんと行ってきたという。ぜひ、行ってきてと。

私は、一時、古代遺跡にすごく興味を持ち、本を読んだりしていた。

夫が定年退職して、どこかに旅行に行こうと話していた時に、私はメキシコのマヤ・アステカ・テオティワカン遺跡巡りのツアーに行きたいと言った。
夫は、そうだね、と言ったけど、ふと、夫は、歩き回るだろうこのツアーに、着いて行けるだろうかと思った。
その頃から、夫の歩きに、どこか?と思う時があった。

それで、行く先を変えて、ロシアのエルミタージュ美術館に行くことにした。
夫は喜んだ。何よりも絵が好きで、退職してからは美術館巡りをしていて、自分でも絵を書き、書もしたためていた。

だから、この古代メキシコ展は、楽しみにしていた。

友達の仕事と上手く調整がつかなくて、遅くなった。

メキシコ人の知り合いは、始まって直ぐくらいだったので、凄く混んでいたという。

私達は、ほどほどの人混みで、ゆったりとじっくりと見れた。

全て写真OKとは、ビックリした。エルミタージュ美術館では、どんなに有名な絵でも、全て写真OKだったのにも驚いたが。
日本では、ほとんの展覧会が写真はNoである。

しかし、エジプトやアジア各地の古代文明の技術にはビックリする。
やっぱり、石やレンガの文化は遥か未来に残されていくのだ。

日本にも、負けないくらいの文明があっただろうと思うが、それがどんなに素晴らしいものでも、木や紙(?)に残されたものなら、燃えたり災害にあったりで、残るのは難しいだろうなと思う。

音声ガイドを聞きながら、古代の人々へと空想の翼を広げた。

ちょっと昼食には遅くなったが、友達と直ぐそばにある、ホテルオークラのレストランで、ちょっとリッチにランチを食べた。
友達と、「良かったね」と古代の話に盛り上がった。















 これが文字とはビックリ









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梅を漬ける

2023-06-11 19:41:30 | Weblog
毎年、この時期に梅を3キロ漬けている。

毎年漬けているということは、3キロの梅を一年間で食べているという事か。

大阪に住んでいたときに、ママ友達と集まって梅を漬けていた。
あの頃は、子供が幼稚園に行っていたので、そのママ友たちと集まっては梅だけでなく味噌を漬けたり、手芸をしたり、京都に遊びに行ったり。
楽しかったな。彼女たちは、どうしているだろう。

東京に帰ってきても毎年、梅を漬けている。味噌作りは、3年ほどでやめてしまったが。

梅干しにしないのは、梅酢を料理に使いたいからだ。

昨日一晩、梅を水に漬けて、今日は水を綺麗に拭き取り、ヘタを取ってカメに漬けた。

 





梅ー3キロ、 塩ー300グラム、 焼酎ー3カップ

カメも重しも焼酎で消毒の為によく拭く。

秋の終わり頃に、去年の梅漬けが食べ終わるので丁度いい。

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私のお雛様

2023-03-03 14:42:40 | Weblog
今日はひな祭り。
一人になってからも、自分の為に毎年お雛様を飾っている。



私も夫も、生まれは田舎の貧しい農家だった。
村は、どこも私の家と一緒で貧しく、娘がいてもお雛様を飾れる家はほとんどなかった。

だから、結婚しても、娘が生まれてお雛様を買ってくれる実家はない。

娘にお雛様を買っても良かったのだけど、我が家は転勤族。

夫は小さな娘の為に、赤い布を被せた5段のひな壇を作り、そこに娘のお人形さんやぬいぐるみを並べ、お花やお菓子を飾った。
娘のお友達に大人気だった。
だって、遊べるお雛様なので、子どもたちは大喜びだった。

学校に入り、もうお人形で遊ばなくなったので、飾らなくなった。

そして、私は夫に「私のお雛様がほしい」と言った。

ある年の2月に、夫がお雛様を買ってくれた。
小さいけれど、可愛い私のお雛様。

それから、毎年、夫は2月になると、お雛様を飾ってくれた。

今は、私が飾り、夫をしのんでいる。

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あけましておめでとうございます

2023-01-02 17:07:25 | Weblog
毎年、暮れの31日は、息子と娘の家族が全員集まる。

私は、みんなの為に料理を作る。
娘夫婦は、毎年、お寿司屋さんで人数分のお寿司を買ってくる。

私の生まれ故郷では、おせちはお正月ではなく31日に食べる。

娘たちは車で来ているし、息子はアルコールは飲まないので、ノンアルコールの年越し。

お腹いっぱい食べて、コタツに移って、紅白を聞きながら孫のゆなの為に、カードゲームやカルタをする。

ゆなも大きくなったので、負けても泣かなくなった。私達もあまり忖度しなくなった。

ゆなの好きな歌手たちの歌の時には、歌った踊ったり。

ゆながジャニーズのカウントダウンを見たいから、と言って帰って行き、私と息子は順番にお風呂に入り、適当に休む。

翌日の元旦には、いつもの時間に起き、息子が起きてきてからお雑煮を食べる。

息子は、2日の早朝の羽田行きのバスで帰るので、1日の夜に皆で食事に。
いつもは、息子は3日に帰るので3日のランチを予約してたけど、今、九州に一年間の転勤になってるので。

1日の夜の食事会の場所を探してくれた娘が、お休みの所が多くて、やっと調布のちょっと高めの焼肉屋さんを予約したとのこと。

内装が「ワンピース」で、娘が喜んだ。部屋の隅の宝箱には、金貨等のお宝がザクザク。

帰りは、布多天神に初詣。
夜なので、参拝者はあまりいない。

静かな神社で一年の無事を祈る。
5人しかいない家族だけど、仲良く穏やかで幸せだ。

上ちゃんに「今年こそFC東京が優勝しますようにって祈ったよ」と言ったら
「僕は、横浜が今年も優勝しますようにって祈ったよ」と横浜ファンの上ちゃん。
「”も”とは悔しいね」と私。

1日は、早く起きて、息子を駅前の羽田行きのバス停まで送っていった。数組の家族も一緒に乗り込んだ。

早めにお正月が終わり、日常に戻った。

テレビは面白くないので、音楽専門チャンネルから録画していたAdOのMV特集を見た。
これは、「ONE PIECE FILM RED」の中で歌った歌。

「新時代」「私は最強」「逆光」「ウタカタララバイ」「Tot Musica」
「世界のつづき」「風のゆくえ」

画面のアニメーションでウタが歌っているが、アニメは映画とは違い、Adoらしくていい。
楽しい。
Adoさんのファンなので、録画してある一時間のMV特集も時々見ている。

365日の1日が終わる。

いい年でありますように。世界が平和になりますように。
今年もよろしくお願いします。













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私の生まれ故郷に降る雪

2022-12-24 19:15:03 | Weblog
私の生まれ故郷は、新潟の柏崎だ。

テレビでたくさんの車が雪で動けなくなった柏崎の様子を、流していてビックリした。

柏崎に住む妹にラインしても、冬に雪が降るのは当たり前の事。
「ほら、こんなもんよ」と写真が送られてきた。

妹が住んでいるところは、街の中心に近いので、積もるといってもそれほどでもない。

でも、私達の生まれた所は、もっと山の方なので、子供の頃は、それはそれはたくさん積もった。

今と違って、子供の頃は幹線道路が雪で除雪が出来なくて、車が通れないことはよくあった。
それに、自家用車とかマイカーなんて言葉も無かった頃。
雪に振り込められても、毎年の事とそんなに気にもしなかった。
ただ、父は早く起きて、新聞配達者の為に、カンジキで歩くための道をつけていた。

今は、どこの家にも車が1〜2台はあるので、雪が多いと困る。
だから家庭用の除雪機を備えている。

朝日新聞の天声人語に草野心平の、雪の詩が書かれていた。

しんしんしんしん/しんしんしんしん
しんしんしんしんゆきがふりつもる・・・・
これが92文字繰り返されている。

子供の頃、何日も何日も降り続く雪は、全ての音を消し、本当に世界はしんしんの世界になる。

でも、今は、車の音や生活音など諸々の音が聞こえ、無音の世界は少くなった。

本当に降り積もる雪には、雪の降る音がある。

子供の頃、そんな雪をあかずに見ていたことがある。

積もる雪は、砂粒のような粉雪だ。
その粉雪が、サラサラサラサラと音を立てて降る。
濃密度の粉雪は、世界を白灰色の一色に染める。
隣の家も屋敷林も、輪郭も分からない。

私が中学生の頃、38(さんぱち)豪雪の時、そんな雪が何日も何日も降り続いて雪は電線を越えた。

そんな積もる雪の時は、風も無くそんなに寒くない。
だから、じわじわと雪が降り積もって行く様子を、テレビも無かった子供の頃、じっと見つめていた自分が懐かしい。

今年、15年も空き家になっていた実家を、更地にしたので、どれだけ雪が降っても心配しなくてよくなった。

私が小学生の頃に、国語に載っていた詩が今でも忘れられない。

太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ
次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ
      




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