ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

年老いた母と

2007-10-12 23:01:09 | 年老いた母
今日も一日会社を休み、母と過ごす。歩く練習の為に、外へ連れ出す。行きは車椅子を自分で押しながら散歩した。

時々、頭の中の配線が、外れるらしく現在地が分からなくなる。特に、朝起きた時や、昼寝から目覚めた時など。そんな時は、何回も同じ事を聞くから、何回も同じ事を答える。

母を相手する時は、ゆったりとゆっくりと行動し、話をする。まるで、時間が伸びたように感ずる。一日が長く感ずる。前は、一日が一週間が一ヶ月が一年があっと言う間だった。でも、母と一緒に過ごした今日は、何か私の寿命が一日延びたように感じた。

毎日、時間に追われてアクセクしていたけど、母の時間に合わせている限り、ノンビリする。そして、久しぶりに今日は母と一緒に昼寝をした。

でも、母を見ていて、老いるという事は残酷な事だなと思う。どうして、人間は、イヤ全ての生き物は老いて行かなければならないのだろう。

バラの中の母の写真がある。まだ若い母はバラの花よりも生き生きと美しく輝いていた。そして、目の前の母。その落差に辛くなる。腰を曲げ、やっと歩く母。色んな事が思い出せなくて、色んなことを忘れていく母。

少しずつ少しずつ、イロイロな事が出来なくなって行く。いつか、呼吸をする事も出来なくなって行き、心臓も動きを止める時が来る。その時の為に、一生懸命に行き続けなければならないなんて。

お風呂で洗ってあげながら、「まだまだ、元気でいてね。まだまだ、父ちゃんの所に行かないでね」と心で思う。

ほんの三週間だけど、会社に行かなければならないが、出来るだけ相手をしてあげようと思う。

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車椅子の旅

2007-10-11 21:19:40 | 年老いた母
姉の所にいる母が、東京の私の所に行きたいと言うので夫と迎えに行った。

新安城から新横浜へ。横浜戦に乗り換えて橋本へ。そして京王線で稲城に。こうして文字にすると大変だなと、思うが楽天的な私は「別に」である。

いろいろ調べたが、今はどこもバリアフリーでエレベーターがある。家までの道程も不自由なく車椅子で大丈夫そうだ。

以前、まだ母が元気な頃は、田舎から大荷物持ち、階段を上り下りしたものた。自分の将来の事を考えると、有りがたい世の中になっと思う。


新幹線の新安城まで、姉が車で送ってくれた。車椅子なので、駅員さんが誘導してくれる。席は一番後。だから座席の後に車椅子を置くスペースがある。

新横浜に着いたら、駅員さんが待っていた。新横浜は今、駅の大工事をしていて、エレベーターが一般の人には使えないようになっていた。駅員さんが鍵で開けて乗せてくれた。扉が開くと、そこは工事中で、迷路のような通路が作ってあって、駅員さんが誘導してくれる。新しい自動改札口が出来上がっていて、まだビニールが掛かっていた。「20日に開通ですよ」と駅員さんが行った。知らなかった。

普段は気にもしないけど、こうして母を車椅子に乗せて移動すると、本当にエレベーターの有難さを感ずる。無事に家までたどり着きホッとする。

母が「家が広いね」と言うが、姉の一軒やと違い、マンションだから狭い。多分、モノがあまり目の見える所に出ていないから、視覚的に広く見えるのだと思う。姉の家は、感心するほど物が多い。折角、キレイにリフォームしたんだから、せめて、もう少し物を処分するか、見えない所にかたずけたらと思う。

母は11月初めの父の一周忌まで、私の所にいる。そして、又、その為に夫と母を連れて田舎に行く。姉は車で行き、母を連れて安城に帰って行く。それまでは、母と一緒の生活である。出来るだけ、母を楽しませてやりたい。


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老齢の母を迎える

2007-10-09 20:34:05 | 年老いた母
姉の所で生活している母が「死ぬ前に東京に行きたい」と言った。

田舎で父と二人で暮らしていた母。何年も前から手と足が不自由になり、杖と車椅子が必要となった。そして、父が面倒を見ていた。器用な父は家事一切をこなした。近くに住む妹は年取った義理の両親を抱えていたので、時々しか見に行けれない。

二人だけの穏やかな生活が一変したのは、去年の11月だった。父は突然倒れて、一週間後に亡くなった。母はショックを受け、何が何だか分からない状態になってしまった。今でも、お葬式の事はよく覚えていないと言う。

何回か姉の所に、母に会いに行ったが、どうしても午前中がダメみたいなのだ。夢の続きの中にいるみたいで、現在位置が見えないのだ。午後になればシャンとする。

最近、姉の所に慣れて来たのだろう、気持ちが前向きになって来たという。そして、私の所に行きたいと言う。本当は夏に行きたいと言っていたが、涼しくなるまで待ってもらった。そして、11月には父の一周忌があるので、こっちから母を連れて田舎に行く。

昔と違って、どこの駅にもにもエレベーターがあり、車椅子で移動出来るので助かる。

私は平日は会社に行くが、リタイヤした夫が日中は面倒を見てくれる。夫も私の父と同じで、器用なので助かる。そして、そんな彼に感謝している。

3週間ほどだが、大変だとは思うが、母との暮らしが楽しみでもある。

多分、私の家で母が暮らすのはこれが最後だろうと思う。


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庭付き一戸建て

2007-01-10 23:41:51 | 年老いた母
姉の家はかわいい庭付きの一戸建て。コタツに入ってガラス戸越しに庭を見ながら、母とお茶を飲む。太陽が暖かく降り注ぎ、そこここにガーデンシクラメンやパンジー、ビオラなどが植えてある。夏のペチュニアがまだ元気に咲いている。白とピンクの山茶花も枝一杯に咲いている。田舎の冬と違って、色彩が溢れている。

暖かい部屋の中から見ていると、外が寒いとは感じられない。落葉樹の裸木だけが冬だよと主張している。滞在している時、雨の日があったが、草花や木々に降り注ぐ雨脚を見ているのも心地よい。

母は、田舎の大きく広いだけの庭より、姉の庭の方がいいと言う。ほうきで掃くほどのスペースも無いし、草取りもチョッチョで終わりそうだしと笑う。

いいナ、庭があるのは。思う存分に土いじりが出来て、花も沢山植えられる。東京では、とても庭付き一戸建てなんて無理。

でも、家に帰ればやっぱり狭いながらもウチが一番。第一条件の駅まで3分。私が、終の棲家を探していた時の、譲れない条件が駅に近い事だった。バスや車に頼らない生活がしたかったから。だから、結婚してから所有していた車も手放した。車の無い生活は、お金もかからないし、自由で気楽だ。

姉の所から帰って来たら、すぐに私の花達に水をやりながら“ただいま”と声を掛ける。そして、フッと思った。家を購入する時は、私の好みと私の希望でここに決めたようなものだけど、夫は本当はどうだったのだろう。いつも私の気持ちを優先してくれる夫は、本当は庭付き一戸建ての方が良かったのかしら。真面目に聞いた事は無かったけど。

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母に会って

2007-01-09 17:01:15 | 年老いた母
父が亡くなり、姉の所に同居している母に、夫と一緒に会いに行く。

随分、年をとったなと、会うたびに辛くなる。いつ寝ているのだろうと思うほど働き者で。でもいつも笑顔一杯の母が、もう誰かの手を借りなくては生活出来なくなっている。記憶もおぼろになり、同じ事を何回も繰り返す。

一緒の部屋に寝るのを、何よりも喜ぶ。父が亡くなるまでベットを並べて寝ていた。寝付くまでイロイロな事を話しながら。だから一人は寂しいと。

朝、いつも混乱し涙ぐむ。目覚めると、自分がどこにいるのか分からず、どうしてここにいるのか分からない。分からないと言う事が悲しいと。母に言う。「分からないという事が分かるなんて素晴らしい。哲学だよ。本当にボケたら、分からない事も分かる事も考えられないよ」と。「お前は面白い事を言う」と笑う。

田植えしたり、稲刈りしたり、畑を耕し野菜を植える夢を良く見るそうだ。夢の中でも忙しくて、大変で辛い。そして目覚めると「夢で良かった。もう泥だらけにならなくていいんだ」とホッとする。そして、すぐ悲しくなっていつも泣いてしまうと。夢ではあんなに元気に走り回って仕事が出来るのに、現実の自分は歩くのもままならない。着物を縫い、布団も作り、セーターも編み、何でも出来ない事はなかった指がボタンも満足にはめられない。こんな体になってしまったと泣く。何と慰めていいのか、背中をさすってやる。

朝食を食べる頃は、普通になってニコニコと可愛いおばあちゃんになる。そして、ちょこんとコタツに入っている。

自分の未来を想像すると、年老いて行く事は辛く残酷な事なのだなと、悲しくなる。私は人生の長い道を随分と遠くまで歩いて来たんだなと思う。これからどれくらいの距離を歩いて行くんだろう。母の年まで歩けるのだろうか、それとも、その先まであるのだろうか。

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母に会いに

2006-12-17 16:24:30 | 年老いた母
父が亡くなって40日が過ぎた。もうというか、まだというか。日常の生活の慌ただしさに紛れて心の表面に現れて来ないが、いつも頭の片隅に父の顔が住みついている。外から帰って来て、タンスの上の父の写真を見ると「ああ、もういないんだ」とジ~ンとする。ほんのりと微笑んだ写真を見て、こんな表情をする事があったんだと、不思議な気がする。

姉に引き取られた母に会いたくなって、行って来た。やさしい姉に世話されて、とっても落ち着いていた。あの、父の入院・葬式の慌ただしい時の混乱した気持ちも強度の不安も母からは感じられず、可愛いおばあさんになっていた。

でも、朝起きるといつも混乱した気持ちになるらしい。自分がどこにいるのか、どうしてここにいるのか分からなくなるらしい。そして、とっても悲しい気持ちになると。

それはしょうがない事だと思う。生まれて87年の長きにわたり住んでいた家を離れ、57年も一緒に暮らした夫と永久に別れたのだもの、悲しく無いわけがない。だから「悲しかったら、我慢しないで泣いていいんだよ」と手を握り背をさすってやる。

花の好きな母の為に花苗を買って来て姉と花壇に植えた。私が漬ける為に用意してあった白菜も漬けた。漬物が大好きな母に「お正月になれば食べれるから」と。

どんなに姉がやさしくしてくれても、やっぱり、毎日毎日見つめていた田んぼと山の風景が恋しいのだろうと思う。これから雪が降り続き寒く暗い雪国の毎日よりは、太陽が一杯の太平洋側の方が住み易いと思うのだが。

お正月には行くからと言っていたけど、思いついて会いに行って来て良かった。泣いて喜んでくれた。お正月は姉の孫達が来るので、正月開けの連休に又、行くつもりだ。今度は夫と一緒に行く。


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老母と氷川きよしくん

2006-05-07 13:02:44 | 年老いた母
田舎の年老いた母は今彼に夢中である。音楽を聞くのが大好きなので、姉が昔から色んなカセットテープを送った。

今は“氷川きよし”のカセットテープを繰り返し繰り返し聞いていた。所がテープの爪を切ってなかったので、上書き録音されて「“氷川きよし”が消えてしまった」と、連休で帰った時、悲しがっていた。

別の世界に片足を踏み込みつつある母は“氷川きよし”でなくてはダメなのである。「恋している気分だ」と言う。外面は年老いても、心は若い頃に彷徨い歩く。

もう、どこを探してもカセットテープは売っていない。ブックオフならあるかなと行ったが、やっぱり無い。それで、CDを買ってテープに落として送る事にした。もちろん上書き録音されないように、爪を切って。

直接送っても心配なので、近くに住む妹に送り、もう一度再生の仕方をしっかり説明してもらう事にする。昨日出来た事が、日によって出来なかったり、分からなかったり。

時々、「先の事を考えると何にも浮かばない。どうかなってしまった」と姉に泣いて電話する事もあると言う。

“氷川きよし”を聞いて少しでも慰められる事を願う。遠く離れていてどうしょうも無い娘としては。

そばについていてやれなくてゴメンね、かーちゃん。又、仕事の都合を付けてなるべく帰るからね。まだまだ、元気でいてね。
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田舎にてⅡ

2006-05-03 11:46:03 | 年老いた母
親が年を取って行くという事は辛い。あんなに働き者で明るく朗らかで美人だった母が、腰も曲がり小さくなり同じ事は何回も何回も繰り返し、さっき言っていた事も忘れてしまう。今日が何日か、私が帰る日も何回も何回も聞く。

あんなに賢くて頭の良かった父も、物を考えようとしないし、考えられなくなっている。それでも、絶対に車を運転することを止めようとしない。車を取り上げてしまえば、多分、すぐにボケてしまうだろう。でも、本当に心配だ。出来ることなら、運転してほしくない。でも、こんな田舎では車が無ければ、食料も買いにいけないし、病院にも行けない。

高齢化社会と言うが、私の実家の田舎では、もうりっぱに高齢化社会である。周りの家でも年寄りだけで生活している家が何軒もある。まず、小さな子供がいないから、子供の声が聞こえない。未来が見えない。

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