art de vivre

ワインラヴァーであります。
日々を豊かにしてくれるワインと
お菓子作り、ちくちく手仕事、週末別荘のお話。

続いて東野さんの本

2020-09-08 14:08:55 | livre ~ほん~
2冊購入。


「たぶん最後の御挨拶」は最後のエッセイだそうだ。
エッセイもとても面白いのに、
ご本人はエッセイが苦手とのこと。
たぶん…じゃなくなるのを願うばかり。

「夢はトリノをかけめぐる」
トリノの冬季オリンピック観戦記。
スノボーなど自分でされ冬季スポーツを愛する著者が描く、オリンピック観戦記。
どちらも楽しみです。

爆笑本

2020-08-28 18:50:47 | livre ~ほん~
東野圭吾さん。
日本のミステリー小説の第一人者。
最近、作家生活35周年「東野圭吾公式ガイド」なるものを買った。




以前、東野さんの書いたオモシロ短編集を買った。
ミステリーしかイメージなかったのだけど、
こんな面白いこと書くんだ!とイメージを覆された。

そして、この公式ガイド、
東野ファンにはたまりませんね。
自作解説を含む、全96作が紹介されている。
それぞれ、その時の心理状態や葛藤が書かれていて、
ああ、そんな気持ちで書いていたんだ、と。

ミステリーもちょっと怖くなったりして、
この公式ガイドを参考に
オモシロ本を買おうと買ったのがあとの3冊。
もちろんAmazonの中古で。
「黒笑小説」、読み終わり、
並行して、「ちゃれんじ?」を読んでいるところ。
これには、以前船橋市にあった
人工スキー場「ザウス」が出てきて懐かしい。
行ったことはないのだけど。
「さいえんす?」はまだ。楽しみです。

以前買ったオモシロ本は、
「怪笑小説」「歪笑小説」「あのころ僕らはアホでした」
どれもこれも面白くて
東野さんの新しい世界に浸っているわたしです。

読書 & レース

2018-01-10 13:54:51 | livre ~ほん~
昨年、ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロ氏の
著作を2冊ゲットしました。

楽しみです。

原文は言わずもがな、訳文も素晴らしいのだそうです。

味わって読みたい。

映画化もされているみたい。

ぜひそちらも観てみたい。



そして、妹からの贈り物。



こんなにたくさんのレース編み。
ボリューミー!!
お人形のレースのドレスのようです。
ありがとう!!

まさに art de vivre

2017-03-11 09:15:53 | livre ~ほん~
津端修一さん、英子(ひでこ)さんご夫妻を知ったのは5年ほど前。
『あしたも、こはるびより。』という本だった。

80代のご夫婦が、簡素な家に暮らし、畑で多くの作物を作り、
果樹を育て、自給的な生活を送っておられる。
できた作物は、おかずやジャム、お茶などに加工して遠くの娘さんに送る。
口に入れるものはほとんどが手作り。

修一さんは、DIYでさまざまなものを作ったり、家の内外のメンテナンス。
ベーコン作りもお手のもの。
発想はとても自由、少し繊細で何事もきっちりと丁寧。

英子さんは、料理にお菓子作り、機織りや刺繍、編み物などもされる。
体は小さくとも、信念を持っておられて何事にも動じない強さがある。

体を動かし、自らの手で生み出す、自由の中にある創造。
その手間や時間を惜しまない。
そしてその過程を楽しむ。
そこには、自分たちの暮らしを自分たちで紡ぎ出す力強さやしなやかさ、
知恵、そして真の豊かさに溢れていた。
娘さんやお孫さんへの大きな愛にも溢れていた。

メディアに取り上げられ、テレビでも拝見し、
雑誌にもその暮らし振りが掲載されたりした。

私たちの週末勝浦暮らしは、おふたりの足元にも及ばないけれど、
そして偉大過ぎて目標などとも言えないけれど、
お金よりも大事なものに気付かされ、
本当の豊かさとは何だろう、人の優しさとは何だろうと考えさせられた。

修一さんの訃報を聞いたのは一昨年の新聞。
全国紙に掲載されるほど建築家として大きな存在でした。
まだまだ長生きされて、あの暮らしを続けておられると思っていたので、
驚きとともに、とても寂しい気持ちになった。
そして、その後英子さんはどうされておられるかしら?
と心の隅に引っ掛かっていた。

最近テレビで『人生フルーツ』というおふたりを描いた映画が放送された。
淡々と日々が過ぎて行く中で、
修一さんが突然、でもこれ以上ない穏やかさで天国に召された。
それはまさに良く生きたことの証のようだった。

そして『ふたりからひとり』という本を知り、早速購入。

英子さんおひとりになり、それでも以前と同様手作りの暮らしを営んでおられ、
その逞しさに感動を覚えた。
心豊かに生きて行くためのヒントもたくさん散りばめられている。
畑仕事に台所仕事。そこに修一さんが居ないだけで何ら変わっていない。
いや、修一さんは常に英子さんの側に居て、見守っておられるに違いない。
数年後、娘さんたちが引き継ぐまで、
英子さんは変わらず今の暮らしを続けて行かれるのだ。

経済優先、大量消費社会が行き詰まっている昨今、
このおふたりの生き方に学ぶところは大いにあると思う。

お金じゃないよーー
世間体じゃないよーー
私たちは今、この場所を借りて生かされているんだよーー
この本物の豊かさを次の世代に繋いでゆかなきゃいけないんだよーー

時短とか手抜きとか、忙しい若い頃はそれを優先させるが、
私たち世代は何も急ぐ必要なし、
ゆったりと丁寧に暮らしたいものです。
時間をかけるとか手間をかけるとか、はたまた回り道をしちゃうとか、
今の時代、それはある意味贅沢で豊かなことなのかもしれない。

この本を読んで、勝浦の暮らしを自分たちらしく続けて行きたいな、
自分たちの手で丁寧にさまざまなものを紡ぎ出したいなと、
あらためて感じたのでした。

息子たちがまったく勝浦を引き継ぐ気持ちがないのが、まことに残念ではありますが・・

私も、そしてオットも、何かをつくりだすことの好きなB型。
ふたりの方向性こそ違えど、
ここではそれが叶うことを自然と体に身に付け享受している。

DIY好きのオットは、木材やレンガなどを使って様々なものを生み出した。
木材ではウッドデッキから始まって、
花壇の囲い、風呂場の洗い場のすのこ、フェンス、レンジ台など。
レンガは、小道や花壇の囲い。
イキイキと自分の好きなことのできる場所。

私は季節の恵みから保存食などをつくることを、心から楽しく思う。
その季節ならではの悦びに繋がる。
早春のフキノトウは天ぷらやフキ味噌。
山椒の実は茹でたものを冷凍しておいて、チリメン山椒などに。
初夏の梅からシロップや梅酒。
赤ジソからはシロップ。
ミョウガは甘酢漬け。
ブルーベリーからジャム。
ユズは、ジャムやユズ味噌。
千切りにした皮は冷凍にしておいて、料理にちょこちょこ使える。

何と言っても、
最初にフキノトウやミョウガが出てきたのを見つけたときが、一番うれしい!
土の中からひょごっと頭を出したフキノトウやミョウガのかわいらしいこと!
思わず歓声が上がる。
ブルーベリーやユズの実が、
1週間ごとに勝浦に通う度に大きくなってゆくのを見るのもワクワク!

こうして書くと、
自分たちで育てている感覚のある作物はブルーベリーくらいしかなくて、
あとはほったらかしで出てくるもの。
ありがたや~~!!
加工こそしないけれど、柿や栗も季節には実をつけてくれてうれしいもの。
春には必ず誰かがタケノコを下さるし。
キウイがなかなか実をつけないことがこれからの課題。

豊かさとはこんなことだなぁ~~

こうして文章にすると、
自分のやりたいことや方向性、
心持ちが具体的に見えてくるからいいな。

again・・・

2014-12-24 08:09:01 | livre ~ほん~
10年ほど前に出会った森博嗣著『すべてがFになる』。
初めて読んだ理系ミステリィに衝撃を受け、この著者の小説にはまってしまった。

理系の思考回路をまったく持ち合わせていないわたしは、
この不思議なタイトルを見てもその意味するところがわからず。
…というか考えもせず、そのままの文字を受け止めていただけだが、
理系オットは、それは15ということだよ、と即答したと思う。
1,2,3 ・・・ 9, A B C D E F 
Fは、16進法でいうと15なのだそうだ。

これまた理系次男にこの本のことを教えると、たいそう興味を持ち、
ふたりして森博嗣の本を読み漁った。

著者は、しばらくすると、欲するところの印税をたくさんいただけるようになり(!?)
最初の職業、大学の助教授はその前に辞めていたけれど、
いよいよ小説を書くのも止め、
庭園鉄道や模型飛行機など趣味の世界に生きるというようなことを書かれていたので
寂しいなあと思い、また、何て羨ましいとも思った。

その後、時々新書などで新しい本を出しておられるのに気付いたけれど、
ちょっと難しそうで手に取ることはなかった。

最近、文庫で面白そうなのを見つけ、買ってみた。
『つぼねのカトリーヌ』…日頃思っていることを綴った100のショートエッセイ。

タイトルは著者一流のことば遊びで、
『つぶやきのクリーム』『つぼやきのテリーヌ』とシリーズ化されて3冊目のようだ。
なるほど!と膝を打ちたくなるような珠玉のエッセイ。
ひとつのことを逆から見るとこうなるのかという斬新さと知的ユーモア。
思いついたことを思いついたまま書き飛ばしているようでいて、
たぶん森博嗣の頭脳の中では綿密な計算がされているんだろうな。
森博嗣熱が再燃した瞬間。
ちなみに解説は御茶ノ水女子大学名誉教授の土屋賢二氏。
共著もあるのでふたりはオトモダチだと思うのだけど、
解説の方が本文よりも面白いというウワサも・・・。

そして、『喜嶋先生の静かな世界』。
これは著者の自伝的小説ということだけど、
理系ミステリィの生まれたベースがここにあると納得。
面白いと同時に過ぎ去った青春の切なさがベースに流れていてとても深い。
大学を卒業し、修士、博士と大学院に進み、大学の助手になる主人公。

理系の学部を卒業後、修士課程に進み、
実験やら論文やら国内外の学会出席やら、
それなりに頑張ってきた次男とちょっと重なる。
次男はその後民間企業に就職したわけだけれど、
研究職も次男には合っているんじゃないかなぁと密かに思っていたが、
この本を読むと、大学に残るのがいかに大変かと気づきこれでよかったんだと納得。

この本を離れて暮らす次男のところに持って行った時に、
彼は同じ著者の『科学的とはどういう意味か』という新書を持っていたので交換した。


次男と森博嗣、または、『すべてがFになる』に出てくる犀川先生とは
ちょっと似てるなあと常々思っていて。
例えば、
次男は時報を聞いて腕時計の秒針まできっちりと合わせるのだけど、
『すべてが ~ 』の犀川先生もそうだ。
話すことは無駄な修飾なく理路整然と簡潔にして明快だ。

「歴史なんかは、記憶いているかしていないかの違いでしょ」
などと、以前次男が言っていたのだけど、
『科学的とは ~ 』で森博嗣がまったく同じことを語っているのには、
驚いたと同時に感動もした。
それは理解したということではなく、ただ言葉を記憶しているにすぎない。
数学や物理は、方法であり、そこから発展させるシステムだ。

『科学的とは ~ 』では、
「科学とは他者によって再現できるもの」と繰り返し書いているけれども、
今年最大の日本科学界のミステリィ、STAP細胞論文騒動とリンクして、
なるほどなぁと思った。
そして、自分の実験は常に疑えとも書かれている。
科学者は謙虚であるべきとも。
なぜあのような論文が世に出たか?不思議だ。
この本が書かれたのは2011年(しかも3日間で書いたらしい)。
今年読んだわたしは、
「科学とは他者によって再現できるもの」という一文の意味がとてもよくわかる。

森博嗣は、作家デビューして18年、著作が260冊余り、大変多作だ。
しかも絶版した作品は0。
締切に遅れたこともないそうだ。

あふれ出る旋律を楽譜に書きとめることが追い付かなかった
と言われる天才音楽家モーツァルトのように、
文章が泉のようにこんこんと湧き出すイメージ。
しっかり印税もらっちゃったから、筆を折る…なんてことないように、
どんどん趣味にお金を使って、
文章の泉をいつまでも枯渇させることなく、わたしたちを楽しませてほしい。

わたしもこれから数字にアレルギーを持たず、数字の意味を考えてみたい。
感情をもって判断せずに、
頭の中の交通整理をして合理的、論理的に物事を考えてゆきたい。
と新しい年の訪れを目前にして思うのであります。

次男から、
「お母さんってよくわかってないのに
 『これってすごいよね~~!』って言っちゃうタイプでしょ。」と言われないように。

とにかく文系のわたしには目からウロコのような金言にあふれているエッセイたち。

この正月休みに他のエッセイも読みたいと思っている。

本に癒される

2014-01-27 08:27:02 | livre ~ほん~
江國香織さんの本を読み終えた。
『抱擁、あるいはライスには塩を』


数奇な運命をたどった大家族の物語。
中は細かい章に分かれ、
それぞれ語る人物が異なり、年代もそれぞれ異なる。
おまけに時系列に沿ってではなく行きつ戻りつ。

読みにくいわけではなく、却ってそれが次々と興味をそそられる結果となる。

それぞれの語り部は、もちろん自分の言葉で語っているのだけど、
そこにいる自分と、それを俯瞰している自分がいて、
抑制された語り口が余計に
普通ではない家族の奇妙な結びつきを固いものにする。

人はこの世に生を受け、いつかは消えてゆく。
その儚い生の間、物語を紡ぐのは主人公のそれぞれ。

小説の中の愛すべき主人公たち。
自分の思うままに生きた彼らのひとりひとりが愛おしく抱きしめてあげたい気持ちになる。

心に残る一冊となった。


今読んでいるのはこれ。


小沢君江著『40年パリに生きる』
パリに住んだ日本人が、オヴニーという日本語新聞を作り続けた話。

何となく、その新聞の存在は知っていたのだけど、
異国の地で新しいことを始める苦労や愉しみ、
さまざまな人間模様とともに、
信念を持ち続ける人のパワーを感じる一冊。
もう少しで読了。

本を読む人

2013-02-25 08:37:54 | livre ~ほん~
職場では相変わらず読書人と化しているわたし。

アベノミクスで景気は回復するのか?
今は日本の大事な転換期であるかもしれないけれど、
結果は今後の職場での読書量に反映されるでしょう。

と、前置きはこのくらいにして…

最近はまっているのは玉村豊男氏の著書。
わたしの興味の対象:パリ ワイン 田舎暮らし 野菜作り 絵画 etc.
共通項がたくさんあるじゃありませんか。
 今やワイナリーオーナーとして、そしてエッセイストや画家としてもはもちろん、
 多方面に活躍しておられる氏に対して「共通項」なんて失礼ですね~(-_-メ)
そうそう、ついでに血液型も同じくB型。
こんな面白い人生を送る人はB型に違いない!
(あっ、わたしはまっとう過ぎるくらいまっとうなつまらない人間。
 オモシロ人間B型からはちょっとはみ出している!?)
と、ちょっと検索してみたら玉村氏もB型。やっぱり!!
氏の著書をいろいろと読んでいると、B型のニオイがしたのだ。

わたしんち、実家の家族、嫁ぎ先の家族、現在の家族、ただひとりの例外もなく、
自慢じゃないけど、み~んなB型だもんね~~
あっ、わたしってB型以外の人と暮らしたこと、ないんじゃない?
学生時代にルームシェアしてた子も確かB型だったような…
寮生活とか、同棲とかも経験ないし。
(普通の人と暮らしてみたいな~♪)

多趣味、いろんなことに興味あり、
いろんなことを覗いて、手をだしてみて、そこそこまでやり、
すると飽きちゃってまた次って。
好奇心旺盛なのはいいけれど、何しろ飽きっぽい。

あっ、でも玉村氏はいろいろ手は出すけれど、徹底的に追求し、
自分のものにしておられます。
それが我がB型家族と違うところ。

氏の本はどれもはずれがないし。
食 ワイン パリなど外国もの 絵 田舎暮らし
すべて自分の周りのことを書き著して、
ある時は真正面からまっすぐに真面目に、
ある時はユーモアたっぷりに、
ある時は穏やか、かつ静謐な世界観を抑制のきいた文体で、
特にお若いころ、海外でのヒッチハイクの文章などの大胆さ、
愛情とか感覚とかで語ってしまいがちな料理を技術的に分析したり。
でもすべての中に共通しているのはほどよく効いたウィットと知性。
人間生きている限り、このふたつは忘れないでいたいものです。

あまりにオモシロ過ぎて思わず吹き出すこともままあり、
ちょっと職場ではNGだな、という本も数々。

氏が絵を描く時、
水彩の筆を洗うコップの水を思わず飲んじゃった とか。
わたしもへたくそな絵を描く時、
マグカップに入れた筆洗いの水を飲みそうになったことがあるんだ。
だからマグカップをやめて、ジャムの入っていた大きなビンに替えた。

せっかちな氏は、筆を洗うのも面倒になり着てる服で拭いちゃった とか。
わたしもそうとうせっかちだけど、さすがにそれはないなーー。

いつかは長野県にある氏のワイナリーをたずね、
ヴィラデストの風景を眺めながら、
そこで採れたブドウから作ったワインとともに美味しいランチをいただき、
運がよけりゃ氏にお会いして握手のひとつでもしたいものであります。

デコちゃん…

2011-06-26 20:34:05 | livre ~ほん~
さて、職場は相変わらずで、かなり暇を持て余す。
この不況だから、勤務時間目いっぱい、
いや目いっぱいと言わずともとりあえず時間をかる~く潰すくらいの仕事量をこなす
…というのもなかなか叶わない。
よって、向かうはさまざまな本たち。

最近、はまってしまったのはデコちゃん=高峰秀子さんの著書。
昨年暮れに亡くなったとの訃報に接したが、
年末だったことであまりマスコミでも騒がれなかったような気がする。
わたしにとっては名前こそ知ってはいたものの、
リアルタイムで映画などの活躍を知らなかったのでどれほどの女優さんかとかまったくの無知。
(5歳から子役を務め、55歳の時にきっぱりと女優は引退されたそうだ。)
本屋で『台所のオーケストラ』という本を手にして、即購入。
エッセイスト、作家としてご活躍だったのも初めて知った。
夫の映画監督であり脚本家の松山善三氏(これも知らなかった)との生活をとても大切にされていた様子が見て取られ、
文章は可憐な女優さんというイメージを覆す江戸っ子のような歯切れの良さで魅了された。

このご本は、家庭で秀子さんが実際に作っていたメニューのレシピ。
和洋中すべてに渡り、洒落ていたり繊細だったり大胆だったりするレシピ満載。
料理の達人だったことが伺える。
特に肉やバターやクリームが好きで洋風料理が好みだったというのはなんだか意外だ。

わたしは、書き手が女性でもさっぱりきっぱりした文章が好き。
キラキラ修飾語を並べ立て、回りくどく、実質が見えてこないのはいただけない。
ともすると自分がそうなりがちだから…。
簡潔明快な文章を書くのはとても難しい。

どうしてこれまで(女優としてではなく)作家、高峰秀子の本を知らなかったの?
少し残念な気分になったわたしは彼女の著書をアマゾンで数冊購入してみた。

わたしの趣味としての好みは『コットンが好き』。
これは秀子さんの身の回りのもの、食器、雑貨、骨董などについてのエッセイ。
食器、雑貨大好き!!のわたしはワクワク。
かつて丸ビルに骨董の店を開いておられたという。
知っていたら絶対に行っていたのに、残念だなぁ。

今、わたしの周りには値段の張るものや値打ちのある骨董なんてひとつもないけれど、
いくつかは本当に大切にしたいものがある。
クリスタルのデキャンタ、ワイングラス、シャンパングラス。
 ワインラヴァーとしては、まずね。
秋田の曲げわっぱの弁当箱。
塗りの四方皿と揃いのお手塩皿。
 エッセイの中に「お手塩皿」という懐かしい響きの言葉が出てきて昔の食卓を思い出した。
義母に貰った三島の抹茶茶碗。
オットが竹を削って作った茶杓。
Hiroko Hayashiのバレリーナ柄の財布。
細いリボンをバラの花に仕立てたものが表面にたくさん付いているミニバッグ。
友人に貰った、なぜかサファイア・ボンベイ(ジン)の香りのする香水 etc.

…そんなものをこれからも大切にしたいな、と思った。
そして、自分も本当にいいもの、(イコール高価なものではなくて)
自分のテイストに合致するものを見つけて、
それらに囲まれて暮らせたら幸せだと思っている。

それにしても、
5歳から子役として活躍し学校にも満足に行っていないのに、
なぜあのような明快な文章が書け、どうやって骨董を見極めるような審美眼が養われたのか?
人間の素養なのでしょうね。
生まれながらにしてその素質を持ち、
大人ばかりの中で生きていた過程でますます磨かれたのでしょう。
そして人を魅了して離さない何か、オーラのようなもので人を寄せ付け、
自分自身を高めていかれたのでしょう。

映画界はもちろんのこと、
藤田嗣治画伯、
梅原龍三郎画伯、安野光雅画伯、(おふたりともデコちゃんの著書の表紙を描いている)、
谷崎潤一郎 などなど、
そうそうたる方々と交流があったとのこと。
女優としてだけでなく、
ひとりの人間として大きな器の方だったのでしょう。

秀子さんより少し下の世代の母と義母は、
高峰秀子さんの本を読んでいることを話題にすると、
『あっ、デコちゃん。 大女優さんだったよね~』
とまるで口裏を合わせたように同じことを言った。
それほどの世の中を魅了したすばらしい女優さんで、
またデコちゃんという愛称で親しまれたのだな~と思った。

今は、『私の渡世日記(上)』を読んでいる。
数奇な人生だ。
ただ今、10代のまだ少女のころの話。
これから大人になるにつれて、
どういう風に内面を充実させ、つぼみを開花させていったのか。
そんなところに興味を持って読み進めて行きたいと思っている。

まっ、時間はた~~っぷりあるので。

錦繍の秋に…

2010-11-26 20:45:03 | livre ~ほん~
職場は相変わらずの暇加減で、読書に励む日々。

ある時は、イタリアのたくましいマンマたちに顔がゆるみ、
ある時は、ハプニング続きのイタリア列車の旅に一喜一憂し、
ある時は、フランスはブルゴーニュのワインのドメーヌに嫁いだ日本人のマダムに思いを馳せ、
ある時は、ミステリーの謎解きを楽しみ、
大体、ヨーロッパ系が多いです、わたし。
本を読んでいる間、体はそこにあっても、
気持ちはヨーロッパに飛んでる。

読んでいるうちについつい、ぐぐぐっと入り込んでしまうので、
号泣しそうになったり、声をあげて笑いそうになったり…
思わず、『もう、この本はムリ!!』とばかりに職場での読書を断念した本も数あれど。

最近読んだのは(正確には、読み返したのは)宮本輝氏の『錦繍』。
勝浦のセカンドハウスに行く途中、山の木々は美しく紅葉し、
この日本に生きている幸せを感じます。
だからかな、、
思わず手を伸ばして本棚からチョイス。

宮本氏の作品は、どれもこれも心理描写がすばらしいと思う。
普段何気なく通り過ぎる感情を、緻密に表現する。
なので、改めて、
この時の気持ちを文字にするとこういう風になるんだ!と気付かせてくれる部分も大いにあったりする。
氏のお父様が、愛媛の、しかもわたしの生まれた南予出身というのも懐かしみがわいてくる。

そして、『錦繍』の装画は日本画壇の重鎮、加山又造氏なのですね。
これはびっくり!!
本を買った当時(1984年14刷)はまだまだ(気持ちは)子供でそこまで気がつかなかった。
新しい発見です。
最近、本の装丁とか、発行年とか、第何版とか、第何刷とかなぜか興味があって、
必ずそこをチェックするようになった。
最近は、ジャケ買い…なんて言うけれど、
そう、見た目も大事でございます。

装画は真っ赤に燃えるもみじの赤のグラデーションと黄金色に染まったイチョウの葉。
この小説あっての装画、この装画あっての小説。
このふたつが相まって高みに昇華する。

小説の最後には涙が出てきて、
風邪を装ってなんとなくぐじゅぐじゅしながら読んだ。
メールやインターネットなんてない時代、男女二人の往復書簡の小説。
言葉は美しく心の機微を捉え、
主人公だけでなく登場人物すべてが、
それぞれの業を持って生きて行く姿は、
『懸命に生きよ!』と訴えかける。
人が業を燃やしつつ懸命に生きる姿はこんなにも美しい…と、
木々が燃えさかる錦繍の秋と重なる。

付録の、水上勉氏との対談もとても興味深い。
当時の宮本氏はまだ30代で写真の姿はとてもお若い。
それから30年近く時は経って、
今現在の宮本氏はとてもいい年の取り方をされたと確信できる。
やわらかな大阪弁は穏やかで、でも内にはかなり熱いものも持っておられる風情だ。

そうそう、宮本氏といえば、
『ドナウの旅人』も好きな小説。
10数年前に、オーストリア、ドイツを旅行する前に読んだ。
実際のドナウは青く美しい…とは到底なく、
黄色っぽく濁った川だったのには少しがっかり。
でも、この川で紡がれた恋愛は心に沁みたなぁ~

他に面白かった一冊は、川内 有緒著『パリでめしを食う。』
最初手に取った時は、パリのグルメ本だとばかり思ったのだけど、
実際には、日本で生まれ育った日本人が、
意図しようと、しなかろうとパリに行き、
そこで生きる糧を見出して暮らしを紡いでゆく、というお話。

1回職場で読み終わっていたのだけど、
この時は、なんとなく頭の中をスルーしてた。
BSの番組『大人のヨーロッパ街歩き』を観た時、
出演されたパリのフローリストの方がこの本に出ていたのを思い出す。
そしてまたもう一度読み返してみた。
テレビという媒体はやはり対象の一面しか表現していないな~とつくづく思った。
テレビで観たこの主人公のフローリストの方は、(ちなみにこの方も愛媛出身)
職業柄、繊細でナイーブ、独自の美学を持った方と捉えてしまうのだけど、
本に紹介されていたそれまでの彼の人生は、
結構波乱万丈、骨太で、美学というより哲学的人生を送ってきた方だ。

他、9人の登場人物も、
写真家、国連の職員、アーティスト、漫画喫茶経営、高級紳士服のテーラー、サーカス団員、
とさまざまで、とても面白い。
自分が好もうと好まざろうと、なぜかパリに辿り着きそこで暮らしてゆく。

日本に生まれ暮らすと、
どうしても日本のスタンダード、引かれたレールの上を進むのが当たり前で、
少しでも外れると生きて行くのが難しいような風潮。
この本を読むと、
そんなことないよ。
人がどう思おうと自分の信じた道を進んでごらん。
そこで努力を惜しまなければ、きっと君の道は開けるよ!
と、背中を押してくれるような本だ。
これも最後の方は涙が出てきてしょうがなかった。
若い人たちに読んでもらいたい一冊だ。

働かざる者 いよいよ読書に励む

2010-09-09 19:56:54 | livre ~ほん~
あいかわらず、職場は暇、ひま、ヒマ~~

読書タ~イム…

軽いエッセイの文庫なんて半日~1日で読めちゃう。
小説も2日あれば完読。

でも同じ本だけじゃ飽きちゃうし、疲れるので、
常時3冊くらい持って行く。
エッセイ、ミステリー、恋愛小説、ワイン関係の本、レシピ本、など。

本のセレクトはバラエティに富む。

家にあるものから、随分前に読んですっかり中身を忘れちゃったものとか、
最近、家の近くにできた古本屋のものとか、
ツアー会社から送ってきた冊子とか、
会社の隣の女の子に借りたりとか。
すべて本屋で調達すれば1日の稼ぎの1/3くらいが本に化けちゃうもんね~。

ミステリーなんて、次はどうなる? 次はどうなる?
って止められなくなって読み進むのが速いったらない。

面白いエッセイに当たってしまったら、
思わず噴き出しそうになって困るし。
極力(笑い)声を出さないように、肩でクックッって笑う。
そんなわたしの後姿を見て、首をかしげてるオジサンいるかも?
檀ふみさん、美しく聡明なのにどうしてそんなに面白いの?
「直線裁ちの女」なんて!
わたしもたぶん「ミニ直線裁ちの女」なのよ~
凹凸がない…というかね。
起伏がない…というかね。

恋愛小説なんて読むと、泣きそうになって困る。
今は、ヴェネチア映画祭に出品された「ノルウェイの森」を読み返している。
3回目だ。
映画が公開されたら観に行こう!

あっ、でも、もちろん、
仕事のある時はきっちりやってますよ~~

売れないお店の店番…って感じでしょうかね。
ほとんどお客の来ないカビ臭~い古本屋で。