あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

近大が学校名の英語表記を変更。「変態」の意味があったとかで・・・

2014年05月27日 | 生活
5月20日、
近畿大は2016年4月に予定している外国語・国際系の新学部開設に合わせ、
これまで「KINKI UNIVERSITY」としていた英語表記を、
「KINDAI UNIVERSITY」に変更すると発表したとの事。

「KINKI」とほぼ同じ発音の英単語「KINKY」が
「異常な」「風変わりな」といった意味で使われており、学校の国際化を
進めるに当たって誤解されないようにする為・・・との事。

1949年の大学設立時から現行の英表記は使われているが、約1年前から変更が
検討されていたそうな。

留学生の受け入れ増大計画に妨げにならないよう、国内で浸透している
「近大」に変更される事になり
印刷物、部活ユニホームなどの英語表記も順次更新されていく模様。

まぁ「変態」の意味もあるって事で、
学園長も「国際化を進めるためには、英語表記の変更は仕方ない」と
コメントされたそうな。

いやぁ~、逆にモノ好きな外国の若者が入ってきて面白い事になったかも
知れないのにね。

あと、英国ロック・ファンからすると「KINKY SOUND」と言えば
「ユー・リアリー・ガット・ミー」で有名なキンクスさんの音楽を指す言葉。



まさに「変わり者の皮肉屋」なレイ・デイヴィスさんと関連あるみたいで
素晴らしいじゃないですか!

「KINDAI」だって下手したら「HENTAI」と見間違われるかも
知れないし。←コラッッ!!

いや~、逆に今回は海外の好事家に知られて、ネットでの検索数とか
UPしたんじゃないんですか?

むしろ映画研究などサブカル部門の学部を増設したり、軽音楽や現代音楽部を
充実させたりして、文化的にも有名な近畿大を目指してほしい。

そんな事を無責任に考える私なのでした。

伊福部昭100年期は嬉しいが

2014年05月27日 | 邦楽
100年期は素晴らしいと思いつつ「巨匠」と言われる伊福部先生に少し違和感も・・・

いや、私らファンからすると紛れもなく巨匠なんですが、80~90年代とか「再評価」なんて
言われ方してましたからね。
それって「評価されてなかった時期がある」って事ですからね。

1935年完成の「日本狂詩曲」は、なんと日本での初演は作曲から36年後だし。
その理由に関して伊福部先生は「私の曲は日本のクラッシック界で好まれていなかったという事でしょう」と発言されているし。

東京音楽学校で教鞭を執り、黛敏郎さんら前途ある若手に慕われた伊福部先生なれど、
一時はそういう扱いを受けていた・・・と。

まぁ、普通は西洋音楽であるクラシック作曲を目指そうと勉強しても、壁にブチあたって、
「日本人だからこそ書ける曲を書かなければ」と悟るところを、若き伊福部昭は独学で
いきなり「その境地」に達してたワケだから、理解不能だったのかも知れないし
嫉妬もあったのかも知れません・・・。

チェレブニン先生も「民族音楽志向の物好き」くらいしか思われてなかった可能性あり。



・・・とはいえ
多くの教え子は大成、映画音楽を通じて伊福部ファンとなった人も多く、海外からの評価も得て、
最終的には名実共に巨匠になられたのだから、偏狭な中央楽壇も伊福部音楽に
飲み込まれてしまった格好。

CD「伊福部昭の芸術」では、立派な作曲家となられた黛敏郎氏が師匠の楽曲を解説するにあたり、
「交響譚詩を聞く度に新鮮な感動に全身が覆われ、涙を禁じえない」なんて言葉を
述べられるんですから、こっちこそ泣きそうになっちゃいます。

そもそも、(亡くなってしまったけど)黛さんほど先鋭的な人に近い感覚で、
私も伊福部音楽を聴いてるんだ・・・と思うと、そういう意味でも嬉しいんですわ。

まぁ、「泣き」だけじゃなくて、伊福部先生関連の話は面白いコトも多いし。
そういう部分も込みで作品群を聞いて行くかな・・・なんて思っています。

『二十絃箏とオーケストラのための交響的エグログ』の自作解説なんて
「インドにおけるシタール、スペインのギター等のコンチェルトを思う時、日本の筝に対して、
 なにか責務のようなものを感じた・・・と70才のときの自分が書いてるようですが、
 いやはや若気の至りと言うか、琴のコンチェルトを他に幾つも作ってらっしゃる人がいるのに
 責務とは、なんと大袈裟なというのが90才近くなっての感想です」・・・とか

まったく、90才近くになって70才頃の事を「若気の至り」と言い放ってしまわれるとは
なんという現役感覚!!

そういう部分も含めて面白かった伊福部先生、まだまだ新しい発見がたくさんで御座います。