あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

デイヴ・スウォーブリックも死去していた・・・

2016年06月19日 | 英国ロック
フェアポート・コンベンションのフィドル/マンドリン奏者として
活躍したブリティッシュ・フォーク・ミュージシャンのデイヴ・
スウォーブリックが、6月3日に死去したとの事。

享年75。
長年にわたって肺気腫を患っていたそうだ。



スウォーブリックがフェアポートに参加したのは1969年。
途中参加ではあるが、グループはそれにより黄金時代へと
突入したと言われる。

69年にレコーディングされた『リージ&リーフ』は、
フェアポートの代表作といわれる名盤となった。

正直、ハードロックで音楽にのめり込んだ私に、フォークは
縁遠い音楽だったし、ツェッペリンがフォークに傾倒した盤
なんて、正直当初「なんじゃこれは?」と思ったほどだ。

よってフォークに関しては「ゲーリー・ムーアのアイリッシュ
・フレーズを消化したハード・ロック」~「アイリッシュ・
トラッド」を経て、やっと魅力が分かった程度だし。

アイリッシュ物ほどフレーズに独自性を感じない英国フォークも
なかなか取っ付き辛かった。



そのアレルギーを解消してくれたのが、やはりフェアポートの
『リージ&リーフ』だった。

エレクトリック化によりロック・ファンの耳馴染みも良くなり、
かつ伝統音楽の魅力も損なっていない名盤『リージ&リーフ』。



その原動力ともなったデイヴ・スウォーブリックのフィドル。

まだまだ私は多くを語れるほど聴き込んでいないが、魅力を
感じるのに回数は関係ないとも言えます。

これからフォアポ-トや関連アルバムを聴いていく事になる
でしょう。

デイヴ・スウォーブリックよ、安らかに・・・。

ヘンリー・マッカロウ死去

2016年06月19日 | 英国ロック
6月14日、ギタリストのヘンリー・マッカロウが
北アイルランドの自宅で亡くなった。享年72。

近年は心臓発作で倒れるなど、体調面で不安を抱えて
いたという。



アイルランド出身のマッカロウ。
キャリアのスタートはフォーク・グループだったという。

60年代、あのジョー・コッカーのバンドに加入。
69年にはウッドストック・フェスティヴァルに出演。
「With A Little Help From My Friends」の名唱・名演に
参加している。



コッカーは一気に注目を得て、翌年の米ツアーを収録した
「マッドドッグス&イングリッシュマン」で評価をさらに
高めたが、マッカロウは不参加。
※主に米国系が集められたが、これが後の英米ロックの
 重要人脈になったのだから興味深い。

他のメンバーと独立したマッカロウだったが、すぐに
単独、ポール・マッカートニーのバンドに参加。
“あの”ウィングスのメンバーとなった。

1973年のセカンド・アルバム『Red Rose Speedway』、007
シリーズ第8作目『007 死ぬのは奴らだ』のテーマ・ソング
「Live And Let Die」(1973年)でギターをプレイ。
ウィングス全盛のキッカケを作る。

ただし、これも長続きせず、75年には独立。
※傑作『バンド・オン・ザ・ラン』には不参加。

ソロ・アーティストとして活動しながら、ロニー・レーンや
フランキー・ミラーのバンドに参加する。

ミディアム・テンポ曲で聴かせるギターソロは見事だった。
※F・ミラーのファンからすると、充実期のアルバム
 「The Rock」でのギター・プレイには感謝の念さえ
 覚えますよ・・・。



以降、ソロ・アルバムをコンスタントにリリース。
朴訥とした声とギターに固定ファンは感激を隠さなかった。
最後の作品は「Poor Man's Moon」(09年)。
最晩年まで現役だった事は特筆されて良い。

やはり彼の代表的なプレイは、ウィングスの名曲「My Love」
でしょう。
1973年、あらゆる場所で聴かれた同曲で、彼のギターソロは
最も多くのリスナーの耳に届き、それは今も続いている筈。

ビートルズ解散後、ソロやウィングスの1stが酷評された
P・マッカートニーが放った最初の大ヒット曲(全米1位)、
それが「My Love」。

オーケストラも導入されているラヴ・ソングだが、中盤で満を
持したように弾かれるギターソロは感動的以外なにものでも無い。

タメを効かせ、これ以上ない一人(?)オブリガード。音色も
素晴らしく、スケール大きな「ロック」のバラードとして
「My Love」を昇華させたマッカロウの貢献度は計り知れない・・・。

※今回、マッカロウ在籍時のマッカートニー楽曲を聴いて、
 「ポール・コゾフがウィングスに加入していたら・・・」
 なんて事まで想像してしまいました。



マッカロウ逝去に際し、ポールは「オーケストラとのリハで、
彼は直ぐ様あの素晴しいソロを編み出したんだよ」とコメント。
かつての仲間の死を悼んだ。

同じアイルランド出身のミュージシャン、ヴァン・モリソンも
「とても悲しい」との言葉を寄せている。

ちなみにヘンリー・マッカロウも日本語表記は数種類あり。
※「マカロック」「マックロウ」などなど・・・

そもそも、綴りは「McCullough」なのだが、これってプロ・
ボクシング元世界バンタム級王者Wayne McCulloughと同じ。

あの薬師寺保栄から王座を奪取したMcCullough、日本の
メディアは「ウェイン・マッカラー」と呼んでおりました。
※モハメド・アリの時もそうでしたが、別言語の固有名詞を
 日本語表記する難しさを感じますね・・・。

決してロック・ギタリストとして最高級の人気や知名度を
得た人ではありませんが、こういうプレイヤーが居たと
いうのも英国ロックの奥深さを感じます。

ヘンリー・マッカロウよ、安らかに・・・。