都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

てんぐ小路

2018-07-01 | 江東区  
てんぐ小路
所在地:江東区東陽1-25
構造・階数:木造・2F
建設年:1953(昭和28)以降
解体年:2003〜05(平成15〜17)
Photo 1995.7.15

 洲崎遊廓があった東陽1丁目で、旧カフェーサンエスの向かいにあった木造モルタル看板建築。左端の入口から中に入った先にバーなどが5軒ほどあったようだ。1995年時点ではまだバーやスナックの袖看板が壁面に付いており、エアコンの室外機もあった。しかし通り沿いの窓は閉まっていて錆び付いており、夜に訪れたわけではないので営業しているかどうかは分からなかった。

 左に写っている薬の旗やサトちゃん人形は、写真左側にあった一乗薬局のもの。


 Photo 2002.11.6

 2軒続きのモルタル看板建築で、奥がてんぐ小路。手前でシャッターが閉まっているのが一乗薬局だった部分。
 2002年の写真では袖看板や室外機は既にない。壁面には貸店舗の掲示があり、この時点ではまだ解体、建て替えは未決定のようだったが、隣の薬局もなくなっており、建て替えが近い雰囲気だった。

 跡地に建っている学生向けマンションは2006年11月竣工なので、てんぐ小路とその隣の旧薬局の建物は2005年頃までに解体されたものと思われる。


2022.9.18 追記
 1953(昭和28)年発行の火災保険特殊地図では、この場所に建物の記載がない。従ってこの建物は、早くても1953年以降に建てられたものだったようだ。カフェー(特殊喫茶店)だった可能性はあるが、そうだったとするとわずか数年で廃業したことになる。地図等からの感触だと、どちらかというと最初から呑み屋街だった可能性が高いのではないだろうか。
 1973(昭和48)年版のゼンリン住宅地図(注)には、てんぐ小路と一乗薬局の記載がある。てんぐ小路の方は、解体直前の2005年版住宅地図でも飲食店が3軒掲載されている。一方、一乗薬局の方は1995年頃までは営業していたが、1996、97年頃に廃業して空き家になっていたようだ。
 注)都立中央図書館で紙面で閲覧できる最も古い江東区版の住宅地図

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 江東区  #飲食店  #看板建築 
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下見板張りの看板建築

2018-03-03 | 江東区  
下見板張りの看板建築・鹿野次郎商店
所在地:江東区 佐賀1−13
構造・階数:木造・2F
解体年:1996(平成8)
Photo 1995.11.18

 いつも見ている「ぼくの近代建築コレクション」で、下見板看板建築として紹介されている建物。住宅地図等によれば、かつては鹿野次郎商店という店だったもの(詳細は不明)で、この写真の翌年に取り壊されたらしい。現在は駐車場になっている。

 白く塗られた下見板張りで、シンプルな凸型ファサードとしているのが記憶に残る。

いながき商店、他/佐賀1丁目 - ぼくの近代建築コレクション

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三井倉庫関東支社深川事業所

2010-04-07 | 江東区  
三井倉庫関東支社深川事業所
所在地:江東区佐賀2-9
建設年:?
構造 :RC+木
解体年:2006〜09(平成18〜21)
備考 :新倉庫に建て替え
Photo 2006.9.9

 大手会社の倉庫も最近まではこんな普請だった。扱っているものによってはこういう建物でも良かったのかもしれないが、都心に近い場所のわりにのんびりした風景だった気がする。数年前までは江東区界隈にはこのようなタイプの倉庫が意外に多かったが、その後、急速に建て替えが進み、最近はビル型の高機能な倉庫が多くなったようだ。

倉庫建物間の通路の様子。
Photo 2002.11.6

 倉庫の建物本体はRCでちゃんと耐火建築だったが、倉庫の間には木製トラスの屋根が掛けられていた。薄暗い屋根の下で、フォークリフトが荷物を移動している光景が記憶に残る。


2022.12.21追記
 1936年発行の火災保険特殊地図では、東神倉庫と記されており、西側(上写真の手前側)に富一〜七号の7棟、東側(上写真 奥の側) に計8棟が描かれている。また『東京都全住宅案内図帳 江東区北部』(1962年?)では、西側が三井倉庫株式会社東京支店深川倉庫で、東側は帝国倉庫運輸株式会社の倉庫となっていた。東神倉庫も帝国倉庫運輸も三井系の会社のようで、現在は全ての建物・敷地をまとめるかたちで新しい倉庫が建てられている。

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同潤会砂町普通住宅地

2007-07-12 | 江東区  

 小松川リバーステーションで下船した後、ついでに東砂へ。Photo 2007.6.25

 あまり知られていないことだが、江東区東砂3丁目の一部はもともと、同潤会の砂町普通住宅地だったところ。あまりこの地域には行く機会がなかったので、私も今回が初めての訪問。

 地区に入った途端に、そこが計画的にデザインされた敷地割りであったことが分かる。わざと少しカーブさせて全てが見通せないようにした街路。建物が建て詰まってはいるが、通りの幅はそこそこあって、細街路がある密集市街地ではない。もちろん最近の施工なのだろうが、なぜかこの地区内だけインターロッキングブロック舗装になっているのも、ここの住宅地が他とは少々異なることを示している。

 同潤会の普通住宅地は、郊外に造られた木造長屋形式の住宅地だそうだ。赤羽や十条のものが比較的よく知られていて、規模も大きい。東砂のそれは規模は小さいが、他の普通住宅地同様、地区の中程にメイン道路があり、小公園や集会所などが配され、郊外に最初から一つの町として計画されていたことが分かる。戦前に造られたこれらの資産のおかげで、現在も比較的整った住宅地となっているのが興味深い。

 地区内を適当に歩いていたら、何軒か古い建物を見かけた。このお家は側面を見ると、増築されたことが分かる。赤羽や十条の木造長屋型建物は、もともとは断面が凸の字型だったそうで、2階部分の奥行き(幅)が小さい。写真の建物も2階の屋根が当初は小さかったようで、そこに緩い傾斜の屋根を持つ道路際部分の2階を増築したのではないかと思われる。小さな屋根の傾斜の具合や大きさが、赤羽や十条のそれとかなり似ているので、もしかするとこの建物は、戦前の生き残りなのかも知れない。聞き取りをしたり、資料を細かく確認したわけではないので、憶測なのだが、気になる建物だ。

 引率していた関係で、あまり写真を撮ったりすることができなかったのが残念。メイン道路の南側も、行かずじまいになってしまったので、近日中にもう一度じっくり街を見てみたい。

#古い建物 江東区  #街並み 江東区  #同潤会 
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荒川ロックゲート

2007-07-10 | 江東区  

 岩淵で乗船してから1時間半弱で、江戸川区小松川と江東区東砂の境にある荒川ロックゲートに到着。

荒川ロックゲート
建設年:2005(平成17)
Photo 2007.6.25

 船に乗ったまま、ロックゲートを通過して、いちど旧中川に入り、Uターンしてもう一度ゲートを通過。その後、小松川リバーステーションで下船。

 荒川ロックゲートは、パナマ運河とかにあるのと同じ閘門と呼ばれるもの。水位の異なる二つの水域をつなぐもので、水門を開閉して水位を調節し、通過する船を昇降させる。ここのゲートは仕切り板が上下するタイプ。船が閘室と呼ばれる写真のゾーンに入ると、数分で水位が上下して通過することができる。

 全国には何カ所かにこのようなものがあるようなのだが、舟運が昔のように盛んではないので、新築されるものは少ない。そんな中で最近建設された荒川ロックゲートは、もちろん防災や利水目的なのだが、観光施設的なものでもある。東京で運河を上り下りする体験なんてかなり珍しい、というわけで、実は知る人ぞ知る場所らしい。

 御覧の通り、両側は階段状になっていて、見学スペースになっている。普段は入れないのが残念だが、ゲート上の通路からも船の通過が見学できる。今回は乗船したまま通ってしまったので、外からは見ることができなかった。船に乗って閘門を通るのは得難い体験なのでそれはそれでよいのだが、一方で、船が通るさまを岸からも見てみたかった。

 さて、江戸は舟運が発達した都市で、銚子の方から川伝いに内陸を通って江戸に物資がもたらされたという。利根川を利用して、もっと内陸の方とも物資のやりとりがあったそうだ。東武東上線の川越の一つ手前に新河岸という駅があるが、まさに河岸があったわけで、昔の様子がしのばれる。人々も日常的に船を使って往来していたが、現在、東京で船に乗ることは日常ではないし、運河や川を行き来するレジャー船を見る機会もそうは多くない。

 ヨーロッパでは意外に内水面の交通が残っていて、昔、造られた運河がまだ結構使われている。物流だけでなく、観光でも運河は利用されていて、狭い運河でも通れるナローボートという細身の平底船に乗って、のんびりバカンスを楽しんだりするらしい。内陸都市であるパリ市内にも、セーヌ川とは別に運河があって、毎日のように沢山の船が閘門を利用して行き来している。数年前に訪れたときも、次々に船がやってきては閘門を開け閉めして通過していた。運河が日常に近いので、閘門も特別な風景というわけではないようで、荒川ロックゲートにある見学スペースなどというたいそうなものは全くない。行ってみると、えっこれか・・・、という素っ気なさ。設備としても古いので、幅も長さも大したことはない。だが、次から次へテキパキと船を行き来させているのは、とても楽しく、見ていて飽きなかった。

 そう思っていたら、ちょうど下記Blogで、オックスフォードの運河の様子がレポートされていた。こちらも大げさな運河でなく、身近な感じなのがいい。

Kai-Wai 散策 > オックスフォード便り(11)

 こういうのを見ると、荒川ロックゲートの方は、国のお金をふんだんに使って、立派なのを造り過ぎたんじゃねぇの?、という気がしてくる。もちろん、新しく造るんだから大きな船でも通れるように、というのは分かるし、防災的な位置づけも異なるわけだけど、タワー付きの昇降ゲートのスピードがとても速いとかいうのは、そんなに必要だったのか? 一日に何隻が使っているか知らないが、利用数がさほど多くないわりに贅沢なんじゃないのと思う。仰々しくなく、もう少し、さらっとしたほうが、街に馴染むのではないかと思うのだが・・・。新しくて立派なゲートを見て、若干の違和感を感じたのだった。

荒川ロックゲート
#新しい建物 江東区  #海・川・池 
コメント (4)
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清洲寮

2006-09-16 | 江東区  

 清澄庭園まで来たら、霊岸寺そして清洲寮へ。清洲寮は、霊岸寺本堂のちょうど裏側にあり、清洲橋通りに面して建っているアパートメント(Google Map)。

清洲寮
所在地:江東区白河1-3-13
建設年:1933(昭和8)
構造・階数:RC4
Photo 2006.9.9

 正面中央玄関上部には銅色に輝く清洲寮の文字が。しっかり照明も付いている。入居者募集の貼り紙もあったりして、建てられてから70年以上経っているが完全に現役。

 以前は外壁が白色だった。経年変化で灰色に汚れてはいたが、それでも美しい姿を見せていた。数年前に茶色というか緑色の怪しい色に塗り替えられてしまったのが個人的には残念。ともあれ、大通り沿いに長く延びる堂々とした姿は一見の価値有り。近くに同潤会の清砂通りアパートメントがあったので、似ているとよく言われるが、同潤会のアパートには、このように一直線で長い建物はなかったように思う。

 建物には、イロハニホの5つの入口がある。入口によって階段室のしつらえが違っていて、入ってから螺旋状に上るものと、往復型のものがある。

 各部屋の入口は木製の引き戸だが、一部ドアに変更された部屋もあるようだった。昔のアパートには時々引き戸のものがある。鉄筋コンクリートで立体長屋を造るという感じだったのだろうか。

 トイレはあるが風呂は無いという。だがエアコンを入れている部屋も多く、躯体は古いが、設備的には可能な限り現在の生活に対応させているらしい。建物所有者が継続的に手を入れているので、それなりに使い続けることができているのかもしれない。

 前回に続いて今回も連続立面写真を合成して作ってみた(画像クリックで拡大します)。歪みの補正をほとんどしないまま写真を並べてしまったので、壁面の垂直線がイマイチ揃っていない。ちょっと変な現代建築みたいに微妙にゆがんだ立面になってしまった。

 それにしても迫力のある建物だ。築70年以上だが大切に使われているようなので安心した。今後も現役で使われ続けることを期待。

関連する記事リンク
深川散歩清洲寮アパート
#古い建物 江東区  #近代建築  #住宅系  #集合住宅 
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旧東京市営清澄庭園店舗向住宅

2006-09-14 | 江東区  

 よく見ているBlogやHPで、なぜか最近しばしば目にした建物。

旧東京市営清澄庭園店舗向住宅
所在地:江東区清澄3-3
建設年:1928(昭和3)
構造・階数:RC・2F
戸数 :計48戸
Photo 2006.9.9

 旧東京市営清澄庭園店舗向住宅は、清澄庭園の東側に張り付くように建っている一連の建物(Google Map)。店舗向住宅は1階が店舗で2階が住居というもので、関東大震災復興事業の一環で建設されたものだという。建物の来歴については下記関連リンクにおよそ載っているようなので、私は省略。

 今回は連続立面写真を合成して作ってみた。なぜかトラックがたくさん路上駐車してしまっていて、一階部分がかなり隠れてしまっているが、連続する様子はおよそわかって頂けるかと思う。

 さてこの建物、6軒程度ずつが一つの建物になり、庭園の外縁に沿って長屋状に建ち並んでいる。当初は東京市営で賃借だったらしい。現在は都営というわけではなさそうなので、戦後あたりに払い下げかなにかになったのかも。だからかどうかわからないが、三階にプレハブで増築したり、ファサードをかなり改装したものも見られる。でも全体としてのまとまりがまだ十分あるのは貴重。

 写真中央付近と、左方、そして左端の三ヶ所で建物が完全に途切れているが、これは近年になって取り壊されて、空地になった部分。歯が抜けたような部分がなければもっと連続性があって、見事だったのではないかと思われる。

 一階は店舗としていろいろ改装されているので、当初の面影が残る部分は少ない。二階の窓も改変されているものが多いが、それでも縦長の窓が3つずつ並ぶ外観が残るものもいくつかある。また軒先やパラペットのラインが区分を越えて水平につながっており、これが全体に統一感をもたらしている。

 一階と二階の間の壁面は店の看板を掲げるスペースだったのだろう。現在は商店の看板が付いている所は少ない。だが当初、様々な店舗の看板が掲げられている様は壮観だったに違いない。

 それぞれの持ち主が改修を行っているため、色は一軒ごと少しずつ異なってバラバラだ。ただ全体にはややくすんだ淡い色が多く、多少のバラツキはあるが、一定の範囲内に収まっている。

 この建物は一体的に建てられたため、基本的な構造が共通で、形のベースが揃っている。例えば間口が一定で規則的だし、窓も細かい部分は異なるが、大きさや位置は揃っている。軒先のラインや階高も全て一筋通っている。

 一括して建物を建てるのでなく、別々に建てる場合でも、建物の規模や外観の要素を大体揃えるようにすれば、統一感は生まれるだろう。一階部分のデザインが店によって多少バラバラになるのは仕方ない。共通デザインを強制すると、生活感がなくなってしまうし使いづらかったりするので、むしろバラツキは許容すべきで、緩やかな共通デザインコードのほうが結局は良いのだろう。

 この建物群は、片側二車線の比較的広い道に面している。路地や小道のような狭い場所に面しているのでなく、引きのある場所で見渡せるため、立面的に連続する一連の建物を眺めることができる。また庭園が背後に控えていて敷地の奥行きがあまり無いことは、高層建物への建て替えにつながらず、低層の長い街並みを存続させている。

 建設の経緯なども考えると、やや特殊な例なのかもしれない。だがここには、街並みの一体感や連続性を創るにはどうすれば良いのかという問いに対する、いくつかのヒントがあるような気がする。

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清澄のライト風(喫茶店で瞑想して、 銭湯で元気になる)
#古い建物 江東区  #街並み 江東区 
#近代建築  #公営・公団・公社・公立住宅 
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