瀧山町ビルは銀座の街並みに溶け込んで建つ古い建物だった。
左)5Fから6Fに至る階段室外側の壁面、右)古い窓ガラスがはまる外壁
Photo 2008.1.26(Click:400*600)
隣に建っていた交詢社ビルのように大きく派手なテラコッタ装飾があるわけでもなく、出窓があるわけでもない。増築によって、もともとの軒先の装飾も隠れてしまっているようだし、塔屋として屋上に出っ張っていた階段室も、現在は6Fに埋まってしまっている。
だが階段室まわりの装飾はなかなか素晴らしい。また外壁のスクラッチタイルも濃い茶色で渋い。コンクリートモルタルの白っぽい壁の下端には波形のひだひだ模様が付けられていたりして、結構細部は手が込んでいる。
上階の窓枠は建設当時のままなのだろうか、交詢社通りに面した3、4階には細い桟の古い観音開き窓が現在も使われている。並木通りに面した場所などにはこれまた古そうな突き出し窓も見られる。
玄関上部のプレートと装飾
改めて見てみると装飾も意外に凝っている。玄関上部には「瀧山町ビルヂング」のブロンズプレートが掛かり、「中央区銀座西六丁目五番地」という住所が記されている。1928年(昭和3)のビル完成時、ここは京橋区瀧山町だった。瀧山町が銀座西になったのは、2年後の1930年(昭和5)だそうだ。一方、京橋区が日本橋区と合併して中央区になったのは1947年(昭和22)。銀座西の町名は1969年(昭和44)にまた変更されて現在の銀座になった。住居表示からすると、このプレートは1947年から1969年の間に設置されたことになる。
Tokyo Lost Architecture #失われた建物 中央区 #近代建築