河井医院
所在地:中野区中央5−42
建設年:?
構造・階数:木造・3F
備考 :2010.10〜2013.8に解体
Photo 2007.3.2
大型の腰折れ屋根(ギャンブレル屋根)を載せて、事実上3階建てにした木造家屋。青い瓦屋根が印象的だった。
東側正面上部。東南角の2階は恐らく増築。窓のサッシは換えられており、装飾はほとんどない。残念ながら老朽化のためモルタル壁面の汚れが目立つ状況だった。
西側壁面。事実上の3階建てで幅も奥行きもあったので、木造家屋だがボリュームのある外観をしていた。
玄関部分
表札には「中野区橋場町四八番地」と記されていた。中野区が成立したのは1932(昭和7)年、橋場町が中央5丁目になったのは1967(昭和42)年。「中野区」の文字が左から書かれており、区の字も旧字の「區」ではないので、表札は戦後に書き直されたものかもしれない。しかし扉のガラスに書かれた医院の金文字は、「河井醫院」と旧字になっており、建物はやはり戦前のものだったのではないかと思う。
装飾はあまり無かったが、玄関まわりにはスクラッチタイルが用いられ、扉の上にはステンドグラスが嵌められていた。
建物裏の西側壁面
河井医院は2010年10月時点では存在していたが、2013年8月に訪れた時には既に解体済みで、マンションを新築中だった。Google Mapの2013年の航空写真でも更地になっている。
医院の西側には中野ハウスという木造モルタルの共同住宅があったが、こちらも解体されて消失している。
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中野区 #医院 #ギャンブレル屋根
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