江崎邸
所在地:新宿区 市谷加賀町2-5
構造・階数:木・2F
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2006.8.27
かつて、市谷加賀町の御屋敷町の一角には長屋門のある御屋敷があった。
『ガイドブック新宿区の文化財』(注)によれば、幕末の御殿医の住宅で、亡命した孫文が一時期住んでいたこともあったという。
正確な建設年は知らず。ただ幕末期だったとしても150年以上経っていたのではないだろうか。 60〜100cmほどの高さの石垣が連なり、その上に建物が並んでいる様は、山手線の内側の都心ではほぼ唯一のものとなっていた。残したかったが取得費用が多大でできなかったという話も新宿区関係の方からは伺った。敷地も大きく立派な家だっただけに惜しい。
注)『ガイドブック新宿区の文化財(7)建築』新宿区教育委員会 編集・発行、1983
西北側から Photo 2010.7.11
出窓のある下見板張りの家屋と長屋門が連なる様は武家屋敷のような感じで、周辺の建物とは全く異なる雰囲気を醸し出し異彩を放っていた。通り沿いに古い建物が連なっていたため、北側の道からは敷地奥の様子がわからず、この後ろ側にも古く立派な日本家屋があるのかとも思ったが、資料や航空写真によれば期待したような古い御屋敷は残っていなかったようだ。
Photo 2006.8.27
同書には「入口はガラス戸引違に改造されてはいるが、その内側に開戸が現存し、東隣りの潜りと共に旧態をよく保存している。」とある。この家の場合、かつては内側から引いて開ける戸を使っていたようだ。
Photo 2006.8.27
2階建て部分の1階は出窓で、堅格子と呼ばれる縦の桟が沢山入った窓になっていた。
孫文が潜伏した長屋門屋敷。:落合学(落合道人 Ochiai-Dojin):SSブログ
Tokyo Lost Architecture
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