旧 滝本平吉酒造
所在地:半田市 港本町1-48
構造、階数:木、1・2
建設年代 :明治期
解体年代 :1997〜99(平成9〜11)
Photo 1994.9.11
1994年に建築学会の大会が名古屋で開催された際、私は車で名古屋に行き、その後、常滑を訪れ、帰りがけに半田にも立ち寄った。
写真は半田市内を車で走っていた際に見かけた蔵。工場や店の名などが掲出されておらず、なんの工場なのかは現場ではわからなかった。また、撮影場所を記録しなかったため、場所もうろ覚えになってしまった。
撮影から四半世紀が過ぎた最近になって、果たしてこの蔵は今も残っているのだろうかと気になり始め、Googleなどで探したが該当の蔵の写真はうまく出てこない。そこでGoogleストリートビューで探すことにしたのだが、そもそも通った道の記憶があやふやだったので、場所探しも少々難航した。
常滑を見物した帰りで、またこの後、中埜酢店の蔵を見たりしたので、その流れで通ったであろう道筋を調べ、ストリートビューで沿道を見ていく。また、写真に写っている「内藤時計」「常盤館」「竹功電気商会」「一橋旅館」といった看板も検索した。このうち、内藤時計と竹功電気商会は現存していた。常盤館は既になかったがGoogle Mapでなぜか「常盤館跡」が記載されていたため、撮影地がようやく判明。ただ残念ながら写真の蔵は既になく、過去のストリートビュー画像(最古は2013年3月)にも写っていなかった。というわけで、2013年以前に解体されてしまったことが確定。現在、付近は住宅地になっている。
さて、この蔵はなんだったのか? 既に無いのでGoogle Mapを見ても分からず、住所から検索しても何だか分からなかった。仕方がないので国会図書館で2013年以前の住宅地図を閲覧。
このために国会図書館に行くなんて暇だな〜と思うかもしれないが、気になってしまったので仕方ない。すると昔の住宅地図には「滝本」とだけ記されていた。住宅地図によれば、これらの蔵は1997年頃までは存在していたようだ。さて滝本ってなんの会社だったのだろう? そこで、滝本、半田市、で検索したが、出てくるのは市内の別の場所にある電気工事会社で、この蔵の「滝本」には辿り着けなかった。
滝本平吉酒造 明治末頃
出典『ふるさとの想い出 写真集 明治 大正 昭和 127 半田』
分からないままブログに載せてしまおうかとも考えたが、もういちど国会図書館を訪れてこんどは館内資料を検索したところ、半田市の昔の街並みを扱った写真集(下記参考文献)がヒット。同誌を確認したところ、明治時代の末頃に同じ建物を私の写真とは別角度から撮った写真が掲載されており、「滝本平吉酒造」という造り酒屋だったことがようやく分かった。
私の写真は、街道を南から北へ進む途中で南西側から撮ったもの。一方、同誌掲載のものは、同じ街道を反対に北から南へ進み、建物群を北西側から撮ったものである。1枚目写真には妻面が見える蔵が3棟写っているが、2枚目の写真でそれらは左手前からの3棟に相当する。当時と比べて道幅は西側に広げられたようだったが、街道に面した蔵の建物はほとんど変わっていないようだった。
100年近く前の写真が撮影対象判明の直接的な手掛かりになったことは、個人的にはかなり嬉しく、私は国会図書館の端末の前で密かに喜んだのでした。
同誌の写真は明治末頃に撮られたものだが、蔵の建物じたいはもっと前、もしかすると江戸時代のものだったのかもしれない。私が撮影した時点でも古写真から90年程度が経っていた。解体時、建物は少なくとも築100年ほどだったのではないかと思われる。
滝本平吉酒造という会社は「雪山」(せっさん)という酒の蔵元だったという。1909(明治42)に中埜酢店と提携して丸中酒造合資会社が設立され、1915(大正4)には滝本家の雪山蔵は吸収合併されたそうだ。従って滝本酒造という会社自体は、かなり前になくなっていたのかもしれない。恐らくこのため古い住宅地図でも社名が記載されておらず、なんの会社なのかなかなか正確に分からなかったのだろう。
長い間、半田市内の街道筋の街並みの中で存在感を放ち、ランドマーク的な存在だったであろう建物群であり、解体されて普通の住宅地になってしまったのはやはり残念。
参考文献『ふるさとの想い出 写真集 明治 大正 昭和 127 半田』立松宏 編著、国書刊行会、1980
國盛・酒の文化館(中埜酒造)
歴史背景|中埜酒造株式会社|蔵元紀行|地酒蔵元会
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