都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

ホテルチャイカの朝

1992-10-04 | ロシア  

 8:15、起床。やっぱり寒い。冷たい床に一枚敷いたベッドスポンジの上で寝てしまったので、何だか早くも体調を崩し気味になってしまったような気がしてしまう。

 9:00、朝食。やけに広いレストランでとる食事。しかも人影が少ない。妙に静かで、オフシーズンのリゾートホテルに間違って来てしまったみたいだった。ロシアに来て初のロシア風朝食は、ホテルなのに何だか哀しくなってしまうほどに頼りなく、貧弱なものだった。うーむ、早くも食欲をそそらない感じだ。この調子で旅行中我慢し続けられるかどうか、一発で気がかりになってしまう。手当たり次第に文字を読んで見ようとするが、皆目読めない。町で一人で調査するなんて大変かもなぁ、声を掛けられても困っちゃうよなぁ、と早くも心配事は増えて行くのでした。

 レストランには仕切りの衝立が置いてあったが、これが不思議な形をしていた。いったい何をかたどったものなんだろう?

ホテルチャイカ・レストランの衝立

 今回の旅行にはロシア人添乗員も同行してくれるらしいということが、今朝になって解る。日本人通訳を通して名を聞くと、何だかえらく長い名前「アレキサンドル・チターエフ・なんとか」(First,Middle,Last Nameがあるから覚えられなかった・・。)を教えてくれた。長すぎるので一部をとって呼ぶしかないのだが、どこを呼び名として言って良いのかわからない。皆で適当に呼んでいたら、アレキサンダーとかアレキサンドル、アレック、チターエフ、アンドレとかばらばらになってしまい、僕らの中でも誰を指しているのか良くわからん状態になってしまった。ただ、旅行も後半になると、アレキサンドル氏に徐々に統一されて行ったのだった。

 食事を終わってレストランを出て、ロビーのあたりを通りかかると、日本人旅行者の団体に出会った。早くもCheck Outして出かける様子だったが、そのうちの一人のおやじさんは、ホテルのサービスが酷い云々と、不平をたらたらと言っていた。彼らは戦後のシベリア抑留時の死亡者の墓参団としてここを訪れているという。抑留に対する思いがその発言につながったかどうかはわからないが、大人は僕らと違ってこのような待遇を面白がれないのだろう。

ホテルチャイカ・玄関ロビー

 寒い場所なので玄関にはもちろん前室がある。木製の扉には寄木細工のような装飾が施され、民俗家具のような暖かみがある。残念ながらこのようなデザインがされているのは玄関扉だけなのだが・・・。

 ホテル内はなんだか薄暗い。レストランも玄関ロビーも廊下も、昼間の間は全く電灯が点いていないのだ。もちろん昨晩の到着時には点いていたのだが、朝になると、電気がもったいないので、消してしまうらしい。日本の大きなホテルではあまりないことだが、こちらではそれが当たり前なのだと言うことが、この後しばらくすると体験的に理解されるのだった。

ホテルチャイカ  Google Map

 チャイカというのは「かもめ」という意味だという。しかしその名からは想像しにくいのだが、このホテルチャイカは、以前は軍人や将校用のホテルだったという。だからハバロフスクの観光地図を見ても、ここは記載されていない。現地の日本人の間では軍人ホテルと言った方が通じるらしいとも聞いた。

#ホテル・旅館 

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