日航ジャンボ機墜落事故から30年、
きのうも御巣鷹の尾根で追悼慰霊式が営まれたそうだ。

ジャンボ機といえば当時の花型機で、
まして“日航”は100機以上を保有する老舗企業だった。
事故翌日の朝のことでした。
出発のブリーフィングを終えた日航の客室乗務員たちが
大声ではしゃぎながら廊下を歩いてシップに向かっていたのです。
自分の会社の飛行機が墜落事故を起こし、
多くの乗客が犠牲となり同僚も亡くなっているというのに・・・
当時、同じ業界で仕事していてまだ驚かされたことがあります。
空港のエアライン会議の席上においても、
各社意見を出し合うなかで“日航”だけは黙っている。
ある程度時間が経ったところで会議の主催者は“日航”の意見を求める。
そこで大抵の物事は決まってしまうのだ。
そういう存在感?のあるお化け企業としてのイメージだった。
日航の植木社長は、「安全の原点は8月12日。
事故を風化させず語り継ぐことが我々の務めだ」と述べている。
今後も空の安全に努めて欲しい。
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きのうも御巣鷹の尾根で追悼慰霊式が営まれたそうだ。

ジャンボ機といえば当時の花型機で、
まして“日航”は100機以上を保有する老舗企業だった。
事故翌日の朝のことでした。
出発のブリーフィングを終えた日航の客室乗務員たちが
大声ではしゃぎながら廊下を歩いてシップに向かっていたのです。
自分の会社の飛行機が墜落事故を起こし、
多くの乗客が犠牲となり同僚も亡くなっているというのに・・・
当時、同じ業界で仕事していてまだ驚かされたことがあります。
空港のエアライン会議の席上においても、
各社意見を出し合うなかで“日航”だけは黙っている。
ある程度時間が経ったところで会議の主催者は“日航”の意見を求める。
そこで大抵の物事は決まってしまうのだ。
そういう存在感?のあるお化け企業としてのイメージだった。
日航の植木社長は、「安全の原点は8月12日。
事故を風化させず語り継ぐことが我々の務めだ」と述べている。
今後も空の安全に努めて欲しい。
