Kodak DC4800
’07/11/20の朝刊記事から
残留韓国人の思い
ユジノサハリンスク 津野 慶
日本統治時代にサハリン(樺太)に渡り、戦後帰国できなくなった残留韓国人の団体が、サハリン州コルサコフ(大泊)に追悼碑を建てた。
ここで引き揚げ船への乗船を日本から拒否され、無念さをかみしめたことを伝えるため、という。
この様子は、地元のテレビでも流れた。
しかし、現地の韓国人社会の中には別の意見もある。
80歳代の男性は「帰国問題で悪いのは日本でなく、旧ソ連ですよ。労働力が欲しかったから帰国させなかったのです」。
日本人のシベリア抑留と同じように労働者を確保しようとしたのだという。
日本への批判もあるが、残留韓国人たちは、当時の日本人の勤勉さを評価している。
樺太から引き揚げた日本人の同級生の名前を何人も挙げて、「会いたい」と懐かしさをこめて語り、自分とも親しく接してくれる。
彼らは日本語や韓国語に加え、戦後ロシア語を勉強し、今も三カ国語をあやつる。
旧ソ連崩壊後は、サハリンにやって来た日本人を通訳として助けてくれている。
「生活のためよ」と話す人々に頭が下がる。