「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

亡くなった歴戦の勇士

2013-12-04 09:52:28 | Weblog
親友の山下信一氏(93歳)が11月29日19時39分逝去されたと、都内S区の福祉センターの方から連絡があった。

山下信一氏は僕より一回り近く年上だった。南方の戦地からの復員が遅れ昭和24年4月新制の上智大学発足の時、僕と英文学部のクラスメートになった。
山下氏は昭和16年現役入隊第48師団大分歩兵連隊に入営、戦争勃発と共にフィリピン上陸作戦に参加、そのままジャワ(インドネシア)スラバヤ上陸作戦に従軍、大東亜戦争のほとんどの時期を東チモールの任務にあたった。

戦後昭和24年学生服を着て角帽をかぶっていた僕らに混じって英語の勉強をしていた。大分県の故郷から単身上京して、夜間は進駐軍のキャンプでバーテンダーをしながら通学していた。
昭和28年卒業したが、就職難の時代山下氏は働く場所がなく、バーテンダーをしながら難関の通訳ガイド試験にも合格、NHK国際局に定職を得たのは40歳を過ぎていたと思う。

彼は根っから英語が好きで55歳でNHKを定年退職した後に上智大学の大学院に入り直し,同級生だった渡部昇一氏に教えを乞い、さらに大学院を卒業後昭和女子大で英語の教授となり、70歳まで女子学生に英語を教えた。名誉教授であった。

山下氏は生涯独身を貫いた。故郷の戦死した兄嫁と一緒に・・・という親のすすめを断り一生独身を通した。
晩年S区のマンションで一人住んでいたが、福祉事務所のはからいで成年後見人制度申請し、ケアセンターのケアを受けながら生活し、最期は
病院のベッドの上で息を引き取ることが出来た。
家内がご遺体との対面を薄暮の葬祭場ではたすことが出来た。12月2日14時荼毘にふされた。合掌。