鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

蛇!!北の丸公園

2013-12-01 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 3 年 6 月 2 0 日 ( 木 )

午 後 1 2 時 2 9 分

日 本 武 道 館 前



江戸城北の丸、現在の北の丸公園にて。



靴下を脱ぎ、足のほてりを覚ます日本武道館前。





いつまでも休んでいるわけにもいかないので、歩く。
武道館の近くに休憩所があった。



休憩。

ここではランチをとるつもりで入ったのだ。
決してまた足が痛くなったというわけではない。
スペランカーじゃないんだ、私は。



ここには100名城スタンプが設置されている。
江戸城のスタンプはほかの休憩所にもあるのだが、そのひとつ。

ランチをとるつもりであったが、財布の内情がまったく改善されていなかったので、ソフトクリームのみ食べた。


小雨が降っていたが、そのまま北の丸散策へ歩みを進める。













園庭を回り、都会の真ん中に萌える緑を味わっていたが・・・



ロープが・・・動く?

黒いロープ状のもの(画像中央の波線)は、そそくさと茂みに潜っていった。

これはあきらかにアオダイショウである。
こんな都心に蛇がいるなんて・・・
しかもアオダイショウ、ヤツは毒はないものの、よく噛みつく蛇、だったような。

蛇が大っ嫌いな私は、道を変えることにした。


北の丸公園内に寂しく立っている銅像。



画像からは誰だかわからないと思われるが、吉田茂の銅像である。

なぜ遠い位置から撮影しているかといえば、やはり公園の芝生に入るのってあまりよくないかな~と遠慮したわけで・・・。

蛇が怖いから芝生に入りたくないわけではないので、読者の皆様には勘違いなさらぬよう・・・。


吉田茂像は、北の丸公園の東側に位置するが、もう少し進むと、東側を固める清水門【国指定重要文化財】にたどり着く。
江戸城では個人的に好きな門だったりする。


修復工事中の清水門から、いったん北の丸を出た。



清水門からのタマネギ。



見事な石垣は打込接(うちこみはぎ)という積み方であろう。
自然石の型を調整して積んでいき、生じる隙間に小型の石で穴埋めするものだ。



そしてもう一度北の丸に入る。





門内はなかなかの急坂で、きざはしは1段1段が高い。



清水門の内部から外を見るとかなりの高低差である。
非常時にはここから弓矢鉄砲を射かけることとなったのだろう。

現在となっては裏門のような位置になってしまい、桜田門、大手門、田安門に比べると目立たない存在の清水門であるが、防衛の工夫が随所に見られ、その魅力は他の門にまったく劣らないことがおわかりであろう。


清水門の近くには、公園内にある科学技術館などの博物館があるが、もちろん素通りして、江戸城の本丸へと歩いていった。



正面にメチャメチャ高い石垣が見え始めたら、北の丸公園の出口。





来るたびにエクスタシーを覚える桔橋(はねばし)から、いよいよ本丸へ突入!



日本100名城登城の旅・第5段「皇居 ランナー ウォーカー」 第12話へ続く。

足が痛む靖国通り

2013-12-01 | 城郭【日本100名城】

2 0 1 3 年 6 月 2 0 日 ( 木 )

午 後 1 2 時 1 0 分

靖 国 通 り



雨が降ったり止んだりの水無月の平日。
時刻は正午を回り、ランチを求める者たちが通りを闊歩する。

靖国参拝を終えた私は、江戸城の本丸を目指し、ただただ歩く。

たいして歩いていないにもかかわらず、足がやたらと痛む。
足底がなんだか熱い。
これは運動不足なのか、痛風なのか・・・?





靖国通りをお濠沿いに歩く。



北の丸を隔てるのは、桜の名所として名高い千鳥ヶ淵

散った花弁がお濠にただよい、彩りを増す光景はなかなか素晴らしい。
ここの隠れたポイントは、靖国通り沿いにある公衆トイレの裏(経験談)。


靖国通り沿いのトイレの近くに、2つの著名な銅像が立つ。



大山巌陸軍大将騎馬像

大山巌は薩摩出身で、西郷隆盛のいとこにあたる。

明治期の陸軍大将を務め、西南戦争では総大将として西郷隆盛を討った。
大山はこのことを終生気に病み、生涯鹿児島に帰ることはなかったという。

日清戦争日露戦争では満州方面の総司令官を務め、帝国軍の勝利に多大な貢献をした。
同郷の東郷平八郎と並び「陸の大山、海の東郷」と賞された。

明治期から大正まで陸軍大臣を務め、元老に列せられたが、政治的野心に乏しく、総理大臣に推挙されることを避け続けたという。

大正5年(1916年)死去。
臨終の際には山縣有朋寺内正毅らの多くの元老に看取られた。





少し先に歩くと、歩道橋のたもとに子爵品川彌二郎銅像

品川彌二郎というと、日本史の授業では「内務大臣として露骨な干渉選挙をやった人物」としか習わない。
なんで銅像になっているんだろうと疑問に感じる人物であるが・・・

品川は長州出身で、松下村塾で吉田松陰に学び、高杉晋作とともに尊攘運動に邁進し、桂小五郎とともに薩長同盟の成立に尽力したのだ。

ただ目立たないだけである。
松陰も「抜きん出る能力はないが、心は広く奥深い」と評していた。

選挙干渉(第2回衆議院議員選挙)の件については、品川や松方正義首相が府知事や県令に対し、政府系候補に有利になるよう内諭をしたのは間違いないらしい。
しかし警察を動員するよう命令した史料はなく、むしろ府知事などから警察を使う意見が出ていたという。

この件で選挙敗北の責任を負って辞任。

その後は西郷従道(隆盛の弟)と国民協会という政党を結成し、獨協学園の設立に関わり、信用組合制度の普及にも努めた。



品川子爵像のすぐ近くに、珍妙なモニュメント?



これは高灯籠だそうで、江戸時代の九段坂上から煌々と灯りを照らしていたのだという。

高灯籠を過ぎれば、ようやく千鳥ヶ淵は終わり、田安門【国指定重要文化財】が現れる。





人によっては、「日本武道館への通り道」というイメージがあるだろうか。
しかしれっきとした文化財である。
北の丸公園は宮内庁の管轄外であるので、遺構は通常通り文化財指定されている。





田安門は当時修復中であった。


曇天に光るタマネギ。





日本武道館に来たあたりで、足の痛みが限界・・・。
私はこんなに体が弱かったか??

仕方ないので、武道館の向かいに立つ大銀杏の下で休憩。
靴下を脱ぐとまぁ気持ちのいいこと。
足先がやたら熱を帯びるのは、たぶんいいことではないのだろうが、とりあえず足の熱が冷めるのを待つことにした。



日本100名城登城の旅・第5段「皇居 ランナー ウォーカー」 第11話へ続く。