朝食をとった富田食堂からスタート。
富田食堂向かいの100円ローソンで買い物をして、停めていた「飛電」のもとへ戻った。
スタンプ旅の後編は、残った12駅をママチャリ「飛電」に乗って巡回する。
そしてママチャリ旅なので、スタンプの絵柄になった名所旧跡をできる限りめぐっていこうと考えている。
松戸駅の絵柄は「戸定が丘歴史公園」なので、そこへ行く。
今回もスマホさんで最短距離ルートを検索。
富田食堂から南に650メートルのところにあるようだ。
細い小路に入って、少し急な坂を上ったところにあった入口。
木々の色づき具合もよさそうだ。
門の傍らにある大きなイチョウが何とも言えない!
江戸幕府の大政奉還ののち、最後の将軍・徳川慶喜の異母弟にして最後の水戸藩藩主であった徳川昭武は、松戸の戸定の地に邸宅を築き、この地で暮らした。
昭武の邸宅はのちに松戸市に譲渡され、邸宅を中心とした公園が整備され、昭武の遺品を保存する戸定歴史館が建てられた。
こうして戸定が丘歴史公園が成立し、日本の歴史公園100選に指定されている。
まずは戸定歴史館に入った。
この日は、徳川慶喜の没後100年ということで特別展を行っていた。
入館料は通常ならば150円だが、特別展開催ということで300円であった。
戸定邸との共通券は通常240円、特別展価格360円ってことで、共通券を購入~。
特別展では、徳川慶喜の遺品が公開されていた。
徳川慶喜は、水戸藩主・徳川斉昭の七男で、江戸幕府最後の将軍。
大政奉還により将軍位を退くが、戊辰戦争に及び鳥羽伏見の戦いで抗戦するが、旧幕府軍は敗れる。
新政府は慶喜を「朝敵」とし、東征を開始。慶喜はひたすら恭順を示して家名を守った。
明治政府により静岡に謹慎を命ぜられる。2年ほどで謹慎が解かれた後も、静岡に30年在住した。
将軍を退いた慶喜は、書画や写真などの趣味の世界に没頭し、政治の表舞台から姿を消した。
明治35年(1902年)、明治維新に功があったとして公爵に叙され、貴族院議員にも選出された。
父である徳川斉昭の書による和歌懐紙。
慶喜が御三卿の一橋家に養子に入る際、祝いの歌を詠んだものという。
斉昭の諡号・烈公のとおり、強烈に豪快な文字だ。
「秘密事情」と題される原稿。慶喜直筆のメモみたいなもの。
慶喜はなかなか筆まめだったようで、日記も私とは違ってしっかりつけていた。
日記も2つに分け、ブログのようなオフィシャルな日記と、あまりおおっぴらにできないことをメモする「秘密事情」があった。
慶喜の文字は知的で繊細な感じがする。
慶喜が還暦になった際に撮った写真。
写真は慶喜が最もハマった趣味のようで、戸定邸の主である弟・昭武の趣味も写真だったため、ちょくちょく戸定邸を訪れては弟と写真談義をしていたらしい。
館内には慶喜が使っていたカメラも展示されていた。
館内から出ようとすると、カメラにスラッシュのマークが!! ここは撮影禁止・・・。
が、撮ってしまったものはしょうがない、有効に使わせてもらうとしよう!!・・・すみませんでした。
歴史館から出て公園内を散策。
紅葉はそろそろ色あせ始めている。
あざやかな紅の葉をつけているもみじもちらほら残る。
茶屋「松雲亭」と木々。
こちらは公園に隣接する千葉大学園芸学部の構内への出入口。
青い竹林に小さなもみじが彩りをなしている。
つばきはまだ1分咲き。
白いつばきは5分咲き、といったところ。
与謝野晶子の句碑。
それほど広くない園内に、ごろごろ置かれている。
なかなかかわいい女の子だねぇ。
公園内の紅葉を愉しみ、戸定邸に入ることにした。