拉致 金日成主席「年に1~3回」 北元軍幹部情報 動機・手口、詳細に
配信元:産経新聞
2013/06/01 09:41更新
◆基地や原発破壊
元幹部によると、1960年代初めから始まった軍工作員による日本への浸透作戦は、来る対韓国開戦に合わせ、日本にある米軍基地や原子力発電所を破壊するための「軍事地図」作成が目的とされた。これに連動して、主に地形や侵入経路などの情報を確認するために漁船の日本人拉致も開始されたという。
元幹部は「漁民は海岸線の状態や警備状況、レーダー網についてもよく知っている」とし、「陸上で拉致するより、発覚の危険が少ないこともあった」と説明。拉致被害者を教育し、情報収集のため、日本へ送り込む計画もあったという。
党の工作機関と競争関係にあり、成果にはやる軍工作員らは「海上の拉致は容易で回数を増やすよう」進言したが、金日成(キム・イルソン)主席は年に1~3回に抑えるよう命じたといい、発覚を警戒していた様子もうかがえる。
拉致に使う工作船は日本漁船を装うが、4月はニシン漁、6~10月はイカ釣り、8月はサンマ漁と季節に合わせ、偽装を変える徹底ぶりだった。
深夜、漁船団から離れた3~5人乗りの10~20トンの小型船を狙った。元幹部は「船員らは寝入っていることも多く、接近は容易だった」と話す。銃を携行せず、刃物だけで襲撃することもあったという。並行して実施したとされる韓国人の漁船拉致では「重武装で臨んだ」としており、日本の海上警備が甘く見られていたことを物語る。
若い人だけを拉致し、残る船員は機関室に縛り付け、船底に工具で穴を開けたり、冷却水を引くホースを切断して海水を流し込んだりして船ごと沈めた。
日本に潜む工作員らからの情報もあったが、「日本人を情報源として再確認するという安易な目的のために日本人が拉致され、その犯行を隠すため殺害まで行われた」(元幹部)とも。
◆たなざらし状態
元幹部によると、昨年6月ごろには在韓国日本大使館の職員に証言を伝えていた。だがその後、日本側が本格調査に着手した様子はない。
政府関係者は「参考情報として、たなざらしにされていた」と言う。拉致問題対策本部が調査に着手したのも、安倍晋三政権になってからだ。
北朝鮮は、主体思想で「人間が一番大事だ」と教えながら、拉致を継続し、金日成主席と金正日(ジョンイル)総書記もそれを承認していたとされる。
罪悪感を持ち続けた元幹部は「事実を隠蔽(いんぺい)せず、被害者らが日本に帰り、家族の胸に抱かれることを祈っている」とし、証言を決意したという。
☆ 被害者の年齢的に難しくなっている、今までの日本政府の対応が悔やまれる。あまりにも長い間放置、または調査しなかった。
実際に国内に拉致犯がいても、何もせず。
国外の拉致犯を「国際手配」しても、空しかった。
松本京子さんは北朝鮮に拉致され、日本語教育につかわれる。平壌にいるという話も。
ラオスでの脱北者をすぐに北朝鮮の送還させたのも、今回はあまりにもはやい対応。
今回の脱北者の中に「北朝鮮にとって都合の悪い人間」がいた、松本京子さんの息子さんがいたという韓国側の報道もある。
ムン・チョルさん(23歳)がそうだという話、母親が日本人だったということを言っていたらしい。
ラオスは韓国に問い合わせたが対応がなかったので、北朝鮮に連絡したという。