★ 私ができることを一生懸命することを思い、意を決して京都に。
12月1日の夜、京都で西田昌司先生の会があり、(その前に八尾の三宅博先生の事務所に10~15分寄りました)
西田先生の会からまっすぐに帰ったのですが、帰宅した時間は夜の11時30分を過ぎ、やっとパソコンを開いたところです。
でも西田昌司先生と直接お話ができました!!
西田先生は熱心に聴いてくださいました。その前に、西田先生と以前から親しい京都のKさまにお話をして、
そのKさまが西田先生に「この人の言うことを聴いてやってくださいませんか」と側面から援護射撃してくださいました。
K氏ご夫妻は、昨年の今頃、京都の「国際経済フォーラム」へ行く前に、親しくお話していたかたで、
それからご挨拶を兼ねてメールや電話でお話していたのです。
西田先生はとてもやさしくて、私の話をきちっと聴いてくださいました。
全部は書けませんが、以前、平沼先生を自民党に戻っていただけるように、麻生さんにも了承を得たのに、
平沼先生はお断りになり、西田先生はがっかりなさっていた、
そして最近、安倍総理にその話をもう一度すると「やはり、あの時に戻っていただくべきだった」
と安倍総理はしんみりと言うのです。
私は「次世代の党」を潰すことになると、日本がいかに危険か、そして公明党を除かないと戦後体制は変わらないことを訴えました。
西田先生は「ここにいる方々も次世代の党が好きなようです」と。
まわりの方々も笑ってうなづいておられました。
私の近くで聴いていた方は「小笠原のことも、安倍政権であんなになったなど考えられなかった」と言い、
「以前の尖閣の民主党の時は強く抗議したが、今回は心が痛い」と他の方々もつぶやかれました。
会が終了してからもう一度お話に行きました。そして先生が車でお帰りになるのをお見送りし、京都をあとにしたのです。
西田先生とて、今は自民党内で片隅に追いやられています。
竹中氏などの「諮問委員」について激しく抗議し、それだけではありませんが、『総理への直言』という本を書き、
総理に訴え続けてこられましたが、以前は毎日のように話ができたのに、今はそうではない、
自民党内部のことはわかりませんが、西田先生は「生涯一捕手」ならぬ『生涯一保守』と仰っています。
この前は「勝てば官軍なんて考えを改めなければならない、これは間違いだ」と仰っておられました。
2日に公示です。「次世代の党」はどこまでも潔く清冽、西村真悟・田母神俊雄氏も「次世代の党」に入られた。
そして、公明党の大物がいる選挙区にあえて立候補するのは、我が身の犠牲をかえりみず、「虎口」に突入の覚悟。
「次世代の党」の国士の議員はたとえ逆境でも、「使命感」を持ち、決してひるみません。
こんなに美しい党は見たことがありません。
・・・西村真悟氏と三宅博氏(靖国神社にて)