このたびの選挙について井沢満先生、吉水神社からのエントリをご紹介させていただきます。(許可を申請済)
★ 井沢満先生 (脚本家・作家・読売テレビ「番記者」コメンテーター)
選挙の翌朝に
2014-12-15 | 日記
結果についてはもはや感想を言う気もない。
予想そのままの、何のためにやったか解らない選挙。
(安倍自民にとっての論理があるのは承知の上で)
一抹の奇跡と民の進化を期待したが旧態依然。
そして本当は一番日本を考えている一群がほぼ消された。
綺麗過ぎたのだろう。清濁合わせ呑まねば政治の濁流は
渡れぬ。頑固に美し過ぎる党首がいる。好きだが、それは若者の姿勢。
手練の政治家が取るべき姿勢ではなかろう、と後追いで言うのもフェアではないか。
それにしても、これが民度。そして棄権者の一団。それも含めてこれが今の日本のレベル。
舛添氏のリコールもこれでは期待できぬのだろう。
・・・・・・と言ってしまっては、気勢を削ぐか。
それでも出来るだけのことはやろう(以上)
http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/604ab58e55e204fe5e7e046002b653cb
★ 世界遺産の吉水神社宮司さまから「ニコニコ顔で、命がけ!」
「西村眞悟先生」・「三宅 博先生」
寒風の中をお疲れさまでした。
お風邪を引かれていませんか?
大丈夫ですか?
喉が痛いでしょうね・・・
そして
奥様・・・・・寒さの中を本当にご苦労様でした
毎日毎日・・・ニコニコされながらもしんどい戦いでしたね。
選挙は、ふたを開けて見るまでわかりませんね。
当選すれば「衆議院議員」
落選すれば「ただの人」
でもね・・・誰も恨まないのですよ
何故なら・・・「神様が落選」させられたのです。
きっと・・・・またチャンスは来ます。
捲土重来を「ニコニコ」しながら、「喜んで」待つのですよ。
西村眞悟先生・三宅 博先生
「本当に、辛く・・・悲しいのは先生方を本気で応援した
支援者ですよ。
国会を去る先生方を惜しみ心で泣いているのは
西村眞悟応援者・三宅 博応援者ですよ
どうか・・・次の選挙まで
地球規模で自分を見つめましょう
地球に比べたら・・我々は小さいのです
まるで塵のように吹けば飛ぶのです
落選という試練は「修行」です。
修行の月日は辛いですが
がんばれ「眞悟」
がんばれ「博」
なんてこともないぞ!
命までとらないから
とりあえず
周りの人に感謝
あなたこなた・・・投票してくれた人も
投票してくれなかった人にも
感謝・・・ありがとう・・・ありがとうの感謝を
忘れないで
とりあえず
小雪の中を
吉水神社に感謝の参拝を忘れるな!!
西村眞悟先生
三宅 博先生
「落選」・・・・それこそは「神様の思し召しと喜べよ!」(以上)
http://blogs.yahoo.co.jp/yoshimizushrine/63687648.html
★ 私ベッラは今回は神様が危険から、西村・三宅先生を護ってくださったような気がします・・・。
★ イタリアのペルージャからミルティリさまのお返事。
Alla Signorina Bella,
ベッラベッラベッラさん、
長身、美形コレッリの「やがて来る自由の日を」
どうも有り難うございました。
シュヴァルツコップのレオノーレを初めて聴きました。
すごいですね。
私はこのようなのを貼り付けてみますね。
https://www.youtube.com/watch?v=sHsFIv8VA7w
https://www.youtube.com/watch?v=V33JKXnYHtg
https://www.youtube.com/watch?v=FWI5Utco5M8
マーラーの第二番「復活」と名付けられた交響曲です。
長いですので、細切れでどうぞ。
第五番の第二楽章が「ヴェニスに死す」です。
箇条書きで見やすかったのでこれも貼り付けます。
http://wachauf.cocolog-nifty.com/blog/2014/12/post-d252.html
次回からは国民一人一人が納得の行く可視性の選挙に
するよう、メールを3か所に送りました。
★ ミルティリさま、ありがとうございました。
リンクでお知らせいただいたcocologブログの名前はワーグナー「マイスタージンガー」の歌詞にありますね。
"wach auf!" そのブログ主はワーグナーの理解者でもあるのでしょうか。政治の記事ですが鋭いと感嘆。
「ヴェニスに死す」はトーマス・マンの原作。
私は高校時代、トーマス・マンをよく読んでいました。
ドイツ文学の奥行きを知ったころです。
チャンネル桜の水島さんがドイツ文学専門でトーマス・マンを研究したというので、
同時にマーラーやワーグナーもくわしいようなので、「美学」を期待したのですが・・・そうではなかった。
ドイツ文学でやはり素晴らしいのはシラーとゲーテ、巨匠としての大きなスケール、
「ヴィルヘルム・マイスター」(ゲーテ)などは「ミ二ヨンの歌」として≪あこがれを知る者だけが≫≪君よ知るや南の国≫
などでリートがありますね。またゲーテの「生涯の悔い」として≪野薔薇≫≪糸を紡ぐグレッチエン≫(シューベルト)
モーツアルトにも≪すみれ≫があります。ドイツリートの歌詞は文学として最高。
シラーはヴェルディの壮大なオペラ「ドン・カルロ」の原作・・・泣けてきます、カップッチッリの歌うロドリーゴ、
そして天使のようなエリザベッタ、
ローマカトリックの権力の前に王冠もひざまずかねばならないのかと泣くフィリッポ二世、
あのスペインの「無敵艦隊」を誇ったフィリッポ二世(フェリーぺ二世)も泣くのです・・・。
それを読んでいたトーマス・マンは「王様が泣いているよ」ってもらい泣きします。
もちろんトーマス・マンの作品にそう書かれていて、それを読んで私ももらい泣きしました。
ヴェルディの役には「悪役」はいない、どのキャストもヴェルディは光を当てている。
だから「悪役」という狭い決めつけはない、そこがまた素晴らしく、あのエボーリ公女もまた魅力的なのですね。
そこがプッチーニの「トスカ」に出てくるスカルピアなどとの書き方の大きな違い、作曲家の大きさの違いでもあります。
このたびの選挙のことで、要所要所にメールを送っていただきありがとうございます。
「三国志」の劉備玄徳の一行は、英雄豪傑を持ちながらもそれを束ねる「軍師」がいなかった、
諸葛亮を三顧の礼で迎えるように「次世代の党」にもそれを望みます。
諸葛亮は巨大な勢力を誇る曹操には「勝つよりも負けない戦い」をすすめる。
それでも・・・最後は「出師の表」そして五丈原、でもこれって「永遠の勝利」では?
「ドン・カルロ」のロドリーゴも。
★ 「表現者」最新号を昨日買った。
西部先生がエウリピデスの「王女メディア」のことを、今の日本の状況に例えてお書きになっていた。
古代のギリシャ悲劇はいくつか10代のころ、読んでいました。
オペラでもマリア・カラスの歌う壮絶なケルビーニの「メデア」(イタリア読み)、
グルックの「タウリスのイフジェニア(イフゲニア)」
また、ドイツオペラでもモーツアルトやリヒアルト・シュトラウスのギリシャ悲劇を題材に作曲したものがあります。
西部先生のお説は、王女メディアを「朝日新聞」と例えられた。何となく理解できるようなできないような・・・。
何度も熟読して考えます。「メディア」という王女の名の固有名詞に「メディア」を考えられたのかも知れないけれど、
オペラを知る者はもしかしたらベッリーニのオペラ「ノルマ」の巫女ノルマの固有名詞も「ノルマ」に???
なんてよけいな心配。
後刻、「表現者」の西部先生の論文、大変よくわかったが「メディア(オペラでは「メデア」イタリア読み)」で例えると
私の場合、音楽が優先してしまう・・・。西部先生の論文の終わりごろに、「メディア」の例えを芸術と切り離した時、
怒涛のように「本質」が迫り、理解できたような気がしました。

★ マリア・カラス、オペラ「メデア」を歌う、歴史的名演です。
イタリア語歌唱。夫の不実を激しい言葉でなじります。「誰ですって?私はメデアよ!!」
カラスの一声はヒロインの性格を表現してしまいます。
メデアの恐ろしい復讐、わが子を殺し・・・異常なまでの悲劇、カラスがフィナーレを歌います。
夫は自分の運命を悲しみます。なんといいましょうか。その凄まじさに、古今を通じてこの役はカラスを超えるソプラノはいないでしょう・・・。そしてカリスマのあるソプラノもここまでは。(字幕はギリシャ語、マリア・カラスはギリシャ人)
日本人女性は、私などはすくみます。もちろんマリア・カラスも「想像を超えた役だった。私には理解できない、私は古風な女なのよ」て・・・。でもこれはカラス以外、無理でしょう。
Maria Callas - E CHE? IO SON MEDEA (Greek Subtitles) 1957