◆選挙結果とこれからの日本
パネリスト:
河添恵子(ノンフィクション作家)
佐藤健志(評論家)
石平(評論家)
筆坂秀世(元参議院議員)
三浦小太郎(評論家)
三橋貴明(経世論研究所所長・中小企業診断士)
三輪和雄(日本世論の会会長・正論の会代表)
司会:水島総
1/3【討論!】選挙結果とこれからの日本[桜H26/12/20]
2/3【討論!】選挙結果とこれからの日本[桜H26/12/20]
3/3【討論!】選挙結果とこれからの日本[桜H26/12/20]
★ 結局、自民党が公明党を内包して、そして公明党は地域の方々の面倒もよく見て・・・ということに落ち着いたのでしょうね。
(この「討論」、水島さんっていつも同じ話ばかり。)政治家は処世術ばかり長けているのが必要ってこと?
これをおかしいと思えないのか? 盆踊りに地域の遠足・バス旅行・観劇など・・・
先の選挙特番で「菅元総理は朝5時から街頭に立っていた」と称賛していたが、例えば、三宅先生は朝4時から「特定失踪者」事件の現場に行ったり、それも自分からは仰らない。
チャンネル桜の水島さんの選挙前からの誘導的なやりかたや「厚顔無恥な仕切り」には疑問だらけ。
特に「大阪14区」を仕切る動きは、長尾氏と三宅氏が同じ政治姿勢とでも思ってのことか?
あきれて信頼などもうない。また、政治家が政治に専念できることが必要であるのは、当然のことだ。
力士は土俵で、作家は作品で、オーケストラはステージで本領を発揮すべきである。
オーケストラが集客をしようとしてビラ配りなどで練習が減り、演奏どころでなくなることもよく見てきた。
これでは「本末転倒」である。
そんな状況でよい演奏、仕事などできるはずはないではないか。
本来の「政治」はどうあるべきか? 政治家がどんな活動や国会質疑をしているか、公平に報道することを要求すべきだ。
神社は寂れて打ち捨てられ、靖国神社すらも穢され、「拉致問題」のポスターも破られる。
かわりに創価学会が、左派が、地域活動にネットワークを広げる。かつて日本のどこにでもあった「地域の力」が削がれる。
人数の少ない「保守」にはそれを補う力はない。
「保守」国士の政治家は国民の盾になり、前面に立ってきた。それが、矢折れ刀尽きたように報道。
民主主義とはひとつ間違うと「エゴ」にもなりうる。
ネット民は動かない? 私は動いた。ネット民もいろいろいろ、保守ばかりではない。「離間の計」か?
「現実を見る」ことは大切、「真の現実」を見たからこそ、命がけだった国士。
この「討論」、佐藤健志氏、また石平氏の警告が迫る。
そしてなぜ「西村幸佑」氏を出さない?
水島氏、また「西部先生」の発言を曲げている。どういう意図かわからないが・・・。
何が「現実」か? 沖縄は? 小笠原はどうだったか? 尖閣は? 報道機関に「しっかりせよ」と言い続けたい。
日本は西部先生の仰る通り「ジャップに成り下がった」、佐伯啓思先生も「偽善栄えて国滅ぶ」と・・・。
★ 佐伯啓思『日本の宿命』より(新潮新書)
「人物」とは、政治家に限らず、あらゆる分野で何かある「価値」を持った人です。
それは、頭のいい人でもなく、要領のいい人でもなく、雄弁な人でもなく、面白いというだけの人でもありません。
人を引きつけ、人を信頼させるような何かを持った人です。
今日の日本では、確かにあらゆる領域でそういう「人物」を見つけることは大変に難しくなりました。
それに代わって、民主政治は「人気者」を、市場経済は「売れる人」を続々と提供しています。
まさにそこに日本の「無脊椎化」が示されています。(以上)
★ マスネ作曲『ル・シッド』より プラシード・ドミンゴのテノーレで。(歌詞はフランス語)
おお、裁きの主、父なる神よ Ô Souverain, Ô Juge, Ô Père
Placido Domingo - Le Cid - O Souverain
・・・オペラの舞台で。
★ コレッリで聴く
Franco Corelli: Ah! tout est bien fini... �・ souverain, �・ juge, �・ p�・re (1973)
・・・当時50歳を過ぎたコレッリ、やはり抜群!!和訳の字幕付き