2017.12.14 21:27更新
【歴史戦】
自民党、目立つ鈍感ぶり 安倍晋三首相「サンフランシスコは失敗だった…」
自民党の歴史認識をめぐる感度が鈍い。米サンフランシスコ市議会が慰安婦像と碑文の受け入れを決議したことへの対応は大幅に遅れ、韓国政府がトランプ米大統領との晩餐(ばんさん)会で「独島エビ」を振る舞っても無言のままだった。日本の名誉や国益を守るのは与党の重大な責務だ。仕掛けられた「歴史戦」に立ち向かう戦略の再考が迫られる。
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「サンフランシスコは失敗だった。こういうことをしっかり防いでいかないといけない」
安倍晋三首相(自民党総裁)は4日、党外交再生戦略会議(議長・石原伸晃前経済再生担当相)のメンバーと官邸で面会した際、怒気を含ませながらこう語った。怒りの矛先は外務省に向いていたが、後手に回ったのは党も同じだった。
自民党がサンフランシスコ市議会を問題視し、日本の名誉と信頼を回復するための特命委員会(委員長・中曽根弘文元外相)を開いたのは、決議から2週間以上たった11月30日だった。出席議員から「事実でないことは正していく」との意見が相次いだものの、抗議文や日本政府への提言を作るかどうかさえ決められず迫力を欠いた。
党幹部は「衆院選の影響もあり、なかなか開けなかった」と釈明する。二階俊博幹事長も、党所属議員が米国などに出張する際、慰安婦問題を提起させる考えを示したが、抜本的な解決策とまではいえない。
党関係者は「昔は国外にも人脈を広げて情報収集し、問題を事前に押さえ込むことができる議員が何人もいたが、今はほとんど見られない」と嘆く。
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歴史戦を仕掛けてくる韓国に対しても、自民党の反射神経の鈍さが目立つ。韓国政府は11月7日、トランプ氏を招いた晩餐会に元慰安婦を招待し、韓国が不法占拠する竹島(島根県隠岐の島町)の韓国側呼称「独島」の名前のついたエビ料理まで提供した。
日本政府は外交ルートで即刻抗議したが、自民党は晩餐会の3日後に党外交部会を開き、トランプ氏のアジア歴訪や中国共産党大会などについて外務省から説明を受けただけだった。
徴用工をめぐる韓国側の主張に同調する研究者らに文科省などが助成金を交付していたことを伝えた産経新聞の報道(13日付朝刊)を受け、党文部科学部会は14日、文科省幹部を呼び説明を受けた。珍しく迅速な動きを見せたが今後も激化する歴史戦に対応できるかは見通せない。
韓国国会は毎年8月14日を元慰安婦をたたえる記念日とする法案を可決した。カナダでは「南京大虐殺記念日」を制定する動きが広がり、慰安婦像は韓国に限らず米国やカナダ、フィリピンなどでも増えている。日本に対する誤解や悪意を払拭するためにも、自民党は具体的な戦略と気概を備える必要がある。与党ボケは許されない。(石鍋圭)http://www.sankei.com/politics/news/171214/plt1712140031-n1.html
吉村大阪市長(私が携帯で撮影した写真)・・・あとでお話し激励したが吉村市長苦しんでいた。
吉村洋文(大阪市長)認証済みアカウント @hiroyoshimura
★ 産経新聞よく書いてくれた!! あの時、吉村大阪市長を支えるどころか、大阪自民・公明・共産党などはこともあろうに「反対」し、政府はそれについて「維新」の意見にとりあわず、一地域の問題のようなことを言った。またツイートでは安倍支持者が激しく吉村大阪市長に反対し「維新の思うがままではないか」と言うのもいた。
肝心の自民党議員は「貝」のように口を閉ざし、新人議員もそれに倣った。「保身」そのものであった。私のような一般人がたまりかねて吉村大阪市長を激励に行った時、市長は苦悩の表情だった。
菅官房長官・河野外務大臣・ナガオ議員その他、「地方と国は別」と逃げ口上を言った。
安倍首相がどういうかを待ってから自分の意見を言うなど、自民党議員の「保身」「無関心」ぶりに対して「希望の党」の右往左往する政治家とどこがどう違うのか、恥知らずにも程がある。
そして安倍首相は妻の安倍昭恵氏がオーナーの居酒屋「UZU」の5周年記念パーティーなるものを止めるどころか、大型スクリーンに登場して「祝辞」まで言っている、神経を逆なですることがよくある。
政治家が肝心なことが出来ていない、もう書くのも疲れ果てる。
「尖閣」問題もそうだ。石井望長崎純心大学准教授はどれほど自民党に説明してこられたか。
http://blog.goo.ne.jp/bellavoce3594/e/2659b7836019f885d080168974f6053d
ブログのティールーム
本日はマリオ・デル・モナコが歌うレオンカヴァルロ作曲「道化師」~もうパリアッチョ(道化師)ではないぞ!!
Mario del Monaco "Recitar...Vesti la giubba" I Pagliacci 1952