ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

時事問題を中心にブログを書く日々です。
イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

今回の「キリシタン遺跡の世界遺産」を批判、これは日本を貶める罠である

2018年05月04日 | 政治

★ 昨日に引き続き「キリシタン遺跡の世界遺産」批判特集です。

(沖縄・奄美の自然遺産がダメなのはなぜか?チャイナが沖縄・奄美を狙っているから???そう思う!!)

 最初に宮崎正弘氏のメールマガジンに下記のような文が書かれていましたのを転載します。

過日の貴誌に奥山篤信氏のキリスト教批判の書評がありました。関連ですが、下記のような情報がネットで流れておりますのでご参考までに。
 (引用開始)
「当時キリスト教は教義で奴隷を公認しており、イエズス会は商船の奴隷貿易に関する 許認可権をもっていた。コエリョ自身が日本人奴隷売買契約書に署名した記録もある  
@株式日記と経済展望 2018年4月27日 金曜日

 ◆イエズス会は日本で何をしてきたか 4月24日 北村浩司
○日本人の奴隷貿易
1587年九州平定過程にあった秀吉は、 イエズス会の日本のトップである、ガスパル・コエリョに、イエズス会の日本での行為について詰問している。
  「予は商用のために当地方(九州)に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。」(ルイス・フロイス「日本史4」)
 当時キリスト教は教義で奴隷を公認しており、イエズス会は商船の奴隷貿易に関する許認可権をもっていた。コエリョ自身がポルトガル商人に代わって日本人奴隷売買契約書に署名した記録もある。日本人奴隷貿易は15世紀後半には16世紀の後半には、ポルトガル本国やアメリカ、メキシコ、南米アルゼンチンにまで及んでいた。

 『東洋ポルトガル古記録』には「ゴアにはポルトガル人の数より日本奴隷の数の方がより多い」「日本人奴隷は男よりも女が好まれた。行き先はゴアを中心とする東南アジアだが、ポルトガル本国にも相当数入っている」と記されている。ローマに派遣された少年使節団も、世界各地で多数の日本人が奴隷の身分に置かれているのを目撃して驚愕している。
  彼らは大村、小西らキリシタン大名らにより捕虜とされたもの達や仲介商人によるものである。奴隷売買と引き換えに当時日本では希少価値であった硝石と交換され、硝石一樽と日本人女性50人が交換されたという記録もある。当時の日本人の奴隷売買は人口1200万に対し2万人から4万人余と推定される。

 
○寺社の破壊と僧侶の殺害
 秀吉は同じくイエズス会のコエリョに「キリシタンは、いかなる理由に基づき、神や仏の寺院を破壊し、その像を焼き、その他これに類した冒涜を働くのか」と詰問する。
 秀吉は農村秩序の核になっている寺社の破棄を、かなり重く見ていた。
 実際特に九州では寺社破壊は凄まじく、例えば大村領では神社仏閣が破壊され、その結果6万人以上のキリスト教信者が生まれ、87の教会ができたという。寺社破壊はキリシタン大名の統治する地域で日本各地に及んだ。キリシタン大名であった高山右近は大阪の高槻城主であった時に、普門寺、本山寺、広智寺、神峯山寺、金龍寺、霊山寺、忍頂寺、春日神社、八幡大神宮、濃味神社といった大寺社を焼き討ちにより破壊したといわれている。イエズス会のコエリョをはじめ当時の宣教師の多くは仏像や仏教施設の破壊にきわめて熱心であり、九州では信者を教唆して神社仏閣破壊させたことをフロイス自身が書いている。

○島原の乱の真相

 キリシタンの悲劇として描かれている最大のものが1637年の『島原の乱』である。教科書からは島原・天草地方のキリシタン弾圧が酷く、重税を課したことから農民たちが圧政に立ちあがったと読める。しかし事実はかなり異なっている。
 当時の反乱勢は3万7千人、篭城戦時では幕府軍は12万以上で圧倒的な差がありながら制圧に半年を費やしている。しかも緒戦においては板倉重昌率いる幕府軍4万人は惨敗。一揆勢の死傷者が僅かに7名なのに対し、幕府軍の死傷者は4千名にのぼった。しかも板倉は討ち死にしている。

 これは、反乱勢が大量の武器弾薬を保有していたからにほかならない。では、彼らが大量の鉄砲などを保有していただけではなく、その使い方にも習熟していたのは何故なのか。

  まず、一揆勢の中心が百姓ではなく、キリシタン大名だった有馬や小西の残党だったことである。有馬と小西は関が原の合戦において西軍側につき、他国に移封される。『天草征伐記』と『徳川実記』等の記述にも、キリシタン大名であった小西行長の遺臣が中心になって、それに有馬の旧臣も加わって、困窮した農民を糾合して蹶起したとある。
 しかもただの「農民」とは思えない行動が目立つ。一揆勢の行動で目に付くのは寺社への放火や僧侶の殺害である。有馬村では村民らが、所々の寺社を焼き払ってキリシタンに戻ると宣言し、これに周辺八ヵ村の村民らが同調して寺社に火を点け、キリシタンにならない村民の家には火をかけている。さらに島原城の城下町でも江東寺、桜井寺に放火している(『別当利杢左衛門覚書』)また彼らは、代官の林兵左衛門を切り捨てた後、村々へ廻状を廻し、代官や『出家』『社人』(下級神官)らをことごとく打ち殺すように伝達した為に、僧侶、下級神官や『いきがかりの旅人』までが殺されたという(『佐野弥七左衛門覚書』)。

その後彼らは、九州諸藩の討伐軍の接近を知って島原半島に移動し、島原の旧主有馬家の居城で廃城となっていた原城に籠城する。島原と天草の一揆勢が合流し、大量の鉄砲と弾薬を保有してこの場所に立て籠もったのである。彼らが原城に籠城したのはポルトガルなどの外国勢力の支援を期待していた可能性があり、少なくとも幕府はポルトガル等の支援を警戒していた。それには理由がある。

 ポルトガルやスペインには明と朝鮮を日本の傭兵を使って占領する計画があった。その際幕府と対立することは確実で、九州のキリシタン大名を幕府から離反させる計画であった。
そのためには長崎周辺を軍事拠点化する必要がある。クルスがイエズス会に宛てた書翰によれば、九州が日本から離反する際には、キリシタン大名達がポルトガル人に基地を提供することは確実で、特に小西行長が志岐港を差出すことを確実視している。キリシタン大名たちとの間で計画は相当詰められていたようだ。

  更にフランシスコ会の宣教師の本国への報告によれば「有馬や長崎は1590年には軍事要塞工事が行われており、イエズス会の宣教師達は、長崎近辺に有している村落のキリスト教徒たち全員に、三万名の火縄銃兵を整えた」とある。イエズス会は来たるべき戦いの為に、多くの武器弾薬を準備し、長崎近隣の信徒達に火縄銃の訓練をさせていたのだ。乱の中心勢力は小西行長や有馬の家臣である。スペイン・ポルトガルの影を幕府が想定したのは不思議ではない。
  この3万挺の銃などの大量の武器の押収記録はない。大量の武器は島原、天草、ポルトガル船などに分散して隠され、訓練は江戸時代に入ってからも密かに続けられていた可能性が高い。そう考えないと、島原の乱における単なる百姓一揆とは思えない軍事行動や、大量の武器の調達や島原藩や唐津藩などの正規軍を一時圧倒したことの説明は困難だろう。

  <株式日記氏のコメント>
 今日はキリスト教の暗黒史になりますが、キリスト教宣教師たちが日本人奴隷売買に関与していたことは以前にも書きました。このようなことは学校の歴史教育では教えられることはなく、テレビの歴史ドラマでもこのような事実は描かれることはない。
高山右近が日本の神社仏閣を破壊しまくったことも描かれることはない。しかしこのような行いが日本の鎖国令と大きく結びついているのですが、このような事実が隠されているからなぜ鎖国令が出されたのかが分からなくなる。最終的にはキリシタン大名は日本から追放されましたが、キリスト教は悪魔の宗教だったのだ。
 当時の日本は戦国時代であり、戦闘で獲得した捕虜たちを売り飛ばす商売が出来たのだろう。テレビドラマでは小西行長などは善良なキリシタン大名として描かれるが、奴隷を売り飛ばした悪徳キリシタン大名なのだ。その他のキリシタン大名も同じだ。
 日本のキリシタン大名をこのように仕向けたのがイエズス会の宣教師たちであり、それはアフリカやアジアで植民地にして行く為の第一歩でもあった。秀吉や家康などはそのようなことを聞いていただろう。このような歴史があるから日本ではキリスト教は野蛮な宗教として普及しないのだろう。
 
 島原の乱についても、「教科書からは島原・天草地方のキリシタン弾圧が酷く、重税を課したことから農民たちが圧政に立ちあがったと読める。しかし事実はかなり異なっている。」というように学校では出鱈目な歴史教育が行われている。実際にはキリシタン大名の残党が反乱を起こしたのであり、その背後にはスペインやポルトガルなどに勢力が糸を引いていたらしい。
 農民たちの反乱と教科書では教えながら、実際には火縄銃などで武装した反乱軍であり、このような事実は教科書には書かれることはない。なぜこのようになってしまうのだろうか。それはアメリカを忖度した歴史観だからであり、戦後において日本の歴史はGHQによって書き換えられてしまったからだ。
◆日本の歴史教科書はキリシタンが日本の娘を50万人も海外に奴隷として売った事は教えないのはなぜか? (2006年1月27日  株式日記)


(宮崎正弘のコメント)ほぼこの概要が真実に近いと思われます。小生も島原の乱については現地に二回行って、原城跡、天草全島を回りました。秀吉の結果的には失敗に終わる朝鮮征伐にしても、列強の陰謀を未然に防ぐ予防的先制攻撃でした。
 こうした史観は敗戦前までは当然の基本知識として、日本では共有されていたはずですが、GHQが解体してしまった。
 ところが、いま長崎県と熊本県はキリスト教跡地を「世界文化遺産」の指定を受けることを喜びとしているのですから、開いた口がふさがらない。
 ついでに言えば天草の乱を鎮圧したのは?川幕府とはいえ、軍事的には背後で列強の大砲の力を借りたのです。

 作家で映画評論家 奥山篤信氏   (クライン孝子さんの「悪友」でもある)

 不愉快だ こんな国賊どもの国家反逆者の騒いだところが世界遺産 こんなタイトル返上せよ 実に自虐史観日本の典型だ オカルト助長にも教育に悪い 性奴隷貿易によって日本の生娘を売り飛ばし火薬を手に入れそれで当時の日本国の秩序に刃向かったまさに反逆者 最低の非国民の群れだ こいつらを教科書で奉ること自体がけしからん話なのだ!歴史上の悪徳としてもっと宣伝せよ!

 

  政治学者 岩田温

日本人によるキリスト教の迫害を論じ、世界遺産に登録がなったとはしゃいでいる人もいるらしい。だが、キリスト教が何故危険視されたのか、その背景まで考えなければ、いたずらに先人を貶めることになる。

キリスト教と奴隷貿易の問題にまで踏み込むべきだ.

日本人が奴隷にされ、ヨーロッパ等々で売り飛ばされて事実を忘れてはいけない。

豊臣秀吉は日本人奴隷解放の父だ。
彼らから見れば、迫害者かもしれないが、日本人を奴隷として売り飛ばす人々を放置していてはならないと考えるのは当然だ。

 

 元陸上自衛隊一等陸佐 作家 佐藤和夫

長崎県の隠れキリスタン遺跡が世界遺産に登録された。

これは日本がキリスト教徒を弾圧していた遺跡と見做される。何故弾圧したかのテーマが隠され、宣教師を遣って植民地支配を行ってきた西欧の歴史を明らかにしなければ日本は酷い国だった事が世界遺産になる。

ここは我々がこの事実を明らかにしていかなければ明治維新も大東亜戦争もおかし...なものになってしまう。

可愛そうな人達、信仰を捨てなかった人達の括りで世界に喧伝される事のないように長崎県はしっかりした広報をして欲しい。

★★ ところで石井望長崎純心大学准教授は少しドラマティックな見方をされている。上記のどなたとも違うのだが、それはジュネーブ、ロンドン、香港、もちろんアメリカもだが、各国の学者を臨戦状態で見事に論破され(政府にも多くの忠告をしてきていらっしゃるが・・・)香港で自由を主張する香港大学の学生らが受難、危険を承知でその香港大学にて講演され、チャイナ側の権威ある学者をも即刻論破され、ロンドンでは史実とは異なることを訂正させ、また突然の拘束の危険も予知されながらひとつも我が国の為に正義の論を一歩も引かず、一切の妥協もされないで見事なものだった。石井先生の豪胆さにもハラハラさせられるが、ご本人は危険も承知でなさってこられた。そこで、今回の「世界遺産」に関する見解も、戦国武将または軍師が突然出現したかのようなもので、私は一瞬固まった・・・しかし石井先生らしい。

 

石井望長崎純心大学准教授の大胆な見解

日本は侵掠される弱者だったといふ捉へ方よりも「西洋と對決した極東の帝國による宗教戰爭」とする方が血沸き肉躍って面白さうですね。その方が明治以後の歴史に繋がりますし。
 それに、新教と舊教との對決として捉へれば、英米が面白がって仲間になれるでせう。徳川家康三浦按針聯合が、平戸を據點としてポルトガルに戰ひを挑んだ。その中で按針は尖閣にも行った。ちなみに尖閣はキリシタンの島でした。
 それに實際、秀吉は尖閣を通ってマニラに派兵し、スペイン總督府へ攻め込む計劃でした。極東最強の日本と、西洋列強との狹間で、信徒の悲劇を産んだ、として捉へるのが實情として正しいでせう。

 ★★★ 先人の武将たちはこのように肝がすわっていたようですね・・・。豪胆な歴史上の武将たちの覚悟を感じました。

 国際政治学者の倉西雅子氏は、私にコメントでこのように答えていらっしゃいます。

キリシタン遺産につきましては、歴史的にはイエズス会士の暗躍があり、しかも、ユダヤ教も絡んでいるという問題があるようです(アルメイダ等、その多くは改宗ユダヤ人のイエズス会士…)。また、キリシタン大名が神道や仏教を弾圧した歴史もあり、世界遺産の登録には釈然としな思いも致します。この難局を乗り越えには、与野党ともに政治家には騙されない、とする多くの日本国民の覚悟が必要なようにも思えます。(正式にエントリされたものではなく、私へのコメントなのでご了承ください)

 

「ブログのティールーム」

本日の曲はヴァーグナーの名曲、

ヴァーグナー「ニュルンベルクのマイスタージンガー」~前奏曲

イタリアの名指揮者、ジュゼッペ・シノポリ、彼は天才の中の天才だった・・・シノポリのヴェルディを聴いたときなど、わくわくしたものだった。彼は指揮者・ピアニスト・料理人・作家・医者というマルチ人間で、そして早く亡くなった。指揮をしている時だった。このヴァーグナーを聴いてもやっぱり陽気さにわくわくする。

Wagner Die Meistersinger von Nurnberg Overture by Sinopoli, SKD (1998)

★ この曲はコメントを書きすぎてご迷惑をおかけしたブロ友、onecat01さまに捧げます。

 

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長崎・天草の「世界遺産」登録に自虐史観あり、自然遺産の「奄美・沖縄」は登録延期は意図的

2018年05月04日 | 政治

★ 今回の「世界遺産」登録勧告について怒りを禁じえない。

長崎・天草、世界文化遺産に登録へ 潜伏キリシタン遺産

5/4(金) 1:38配信 

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」(長崎、熊本両県)が登録される見通しとなった。事前審査する諮問機関が「登録」を勧告した。一方、世界自然遺産を目指している「奄美大島、徳之島、沖縄島北部及び西表島」(鹿児島、沖縄両県)は「登録延期」の勧告で、明暗が分かれた。6月24日からバーレーンで開かれる世界遺産委員会で最終的に決まる。

 フランス・パリの世界遺産センターが3日(現地時間)、文化遺産登録の諮問機関「国際記念物遺跡会議(イコモス)」と、自然遺産登録の諮問機関「国際自然保護連合(IUCN)」の勧告内容を日本政府に伝えた。勧告は「登録」「情報照会」「登録延期」「不登録」の4段階で評価される。「登録延期」は登録の可能性は認めつつも、推薦書の抜本的な見直しを求めるものだ。再提出後に再びIUCNの現地調査などが必要になり、登録まで早くても数年かかる。

 文化遺産で「登録」の勧告を受けた「潜伏キリシタン関連遺産」は、江戸幕府がキリスト教を禁じていた17~19世紀、長崎県と熊本・天草地方で伝統的な宗教や社会と共生しながらひそかに信仰を守り続けたキリシタンが育んだ独特の文化的伝統を示している。島原・天草一揆の舞台となった原城跡(長崎県南島原市)や、信仰を集めた平戸の聖地と集落(同県平戸市)など12件の資産で構成される。

 自然遺産で「登録延期」の勧告を受けた「奄美・沖縄」は、約1200キロに点在する琉球列島のうち、鹿児島県の奄美大島と徳之島、沖縄県の沖縄島北部と西表島の4区域。奄美大島と徳之島だけに生息するアマミノクロウサギと、西表島のイリオモテヤマネコは国の特別天然記念物に指定されている。4島にすむ陸生哺乳類の6割、両生類の8割は固有種。沖縄島北部のヤンバルクイナなどは、IUCNが絶滅危惧種に指定している。

 世界遺産の総数は、文化遺産832件、自然遺産206件、両方の価値を備えた複合遺産35件の計1073件(昨年7月現在)。日本からは昨年の沖ノ島(福岡県)まで、文化遺産17件、自然遺産4件の計21件が登録されている。(朝日新聞社)

★★ また朝日新聞電子版は下記のような自虐史観そのものの記事!!

長崎・熊本両県の12の資産が語りかけるのは、近世のキリスト教弾圧のなかでも信仰を継続し、解禁後の「復活」に至る潜伏キリシタンの歴史だ。

 16世紀、宣教師の来日とともに急速に広がったキリシタン勢力は権力者の警戒を呼び、17世紀初頭、江戸幕府は禁教を断行する。原城跡は大規模弾圧となった島原・天草一揆の舞台だ。発掘調査で鉄砲の弾でつくった十字架なども見つかっており、遺構は壮絶な戦いと悲劇を物語る。

★★★ 朝日新聞の記事は全く自虐思想そのものだ!!!

 

では下記の内容をご覧ください。

http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4179/poruto.html

長崎をポルトガルに捧げたキリシタン大名、大村純忠

一神教であるキリスト教は、仏教の教えを邪宗とみなし、
キリシタン大名の領地では、寺や神社を打ち壊すようになった。
日本人の間では、そこまでやるか?と疑問が生まれて当然である。
松浦藩主はそこまでキリスト教に加担するつもりはなかったので、
平戸でポルトガル人と松浦藩の武士との喧嘩が起こって両者が険悪
になると、南蛮人に冷たくなった。そこで彼らは他に港を探し始める。

そこに声をかけてきたのが、キリシタン大名の大村純忠であり、
「長崎をさしあげよう」というのである。今から考えるとフザけるな!
と思うのだが、信者というのは何でも差し上げたい気分になるらしい。
長崎は港としては絶好の地形を持っていたので、ポルトガル人は
大変喜んだ。それが1580年のことであり、その時をもって現在の
長崎市は、ポルトガルの領土となってしまったのである。

 

「ブログのティールーム」

本日はヴァーグナーのあの長大な4部作の(上演に4日を要する)の最後を飾る大作中の大作・・・

「神々のたそがれ」・・・ブリュンヒルデの自己犠牲

キリスト教以前のゲルマンの神々の世界、(古代ギリシャや日本の神々のように「人間としての愛憎」の心が巧みに描かれている)超ドラマティックソプラノという強靭な声を持つソプラノの圧倒的な神々しい歌で幕となる。

ヴァーグナーのオペラの人間心理描写の素晴らしさは歌唱とオーケストラの対決のような緊迫感からやがて透明な響きで天上の音楽のように高まる。(18分40秒から)

 Brunnhilde's Immolation Scene - Gwyneth Jones - Wagner  ドイツ語歌唱(字幕は英語)

 

 ブリュンヒルデを歌えるソプラノは世界でも多くない。今回はグイネス・ジョーンズによる輝かしい歌唱と、歌が終わったあとの壮麗なオーケストラで深遠なヴァーグナーの世界を。 

 

 

 

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