河内国民文化研究会で話したこと
三月十日は、陸軍記念日。
百七年前の明治三十八年三月十日、日露戦争における世界最大の陸戦、日本軍二十五万とロシア軍三十一万が激突した奉天大会戦の終結を、大山巌満州軍総司令官が宣言した。
この会戦は、三月一日に始まり三月十日午後三時頃、
将校斥候にでた八騎が「奉天城に敵影なし」と司令部に報告し、同五時頃、大阪第三十七聯隊第二大隊(現、信太山に駐屯する)が、奉天城内に突入して城門に、日の丸を高々と掲揚したときまで続いた。
少数の日本軍にとって、十日間の不眠不休の大会戦だった。
奉天に向かって前進を続けた日本軍の戦死者、一万六千余人。彼等は、皆、二十歳代の青年男子だ。そして凍りつく黄塵の満州の荒野に累々と横たわっていた。
会戦集結直後、彼等の戦死状況を巡察した将校によって、「彼等は、命令や督戦によるのではなく、自ら死地に赴いています」と報告されている。
彼等が、現在の日本を確保した。彼等がいなかったら、日本はロシアの方針通り、「殲滅」されていた。
そして、百七年後の翌三月十一日、東日本を巨大地震そして巨大津波が襲い、死者行方不明者一万九千九人の犠牲者をだした。
その中には、職に殉じ、また隣人を助けるために、自ら死地に赴いた人、自ら死地に留まった人が、あまた含まれている。
この方たちは、日本の再興の証しである。
奉天の将兵を思い、東日本の人々を思う。
このようにして、三月十日と翌三月十一日を過ごした。
その三月十日は、八尾の三宅博さんが主催する河内国民文化研究会で、話しをする機会が与えられた。
その話しに関して、概略述べたい。
まず第一に、押さえねばならないことは、数学者の岡潔先生が、言われたこと。即ち、
「日本人は情の人である」ということである。
情とは知や理と異なる「なさけ」や「思ひ」である。
虫の音を聞いて「もののあわれ」を感じ、
山鳥のほろほろと鳴く声を聞いて、
「父かとぞ思う 母かとぞ思う」(西行) これが日本人である。
(西洋人は、これらは車のクラクションと同じ雑音に聞こえるらしい)・・・・・<是は異論あり、下の青い字を参照、ベッラ>
他方、この情以外の、知や理を主体にすれば、政治はどうなるか。それは、現在の我が国政治が、その答えを出している。
即ち、思慮の足りない知や理によって、グローバリゼイション、インターナショナリズム、民営化、TPP、分権、分権、改革、改革、と絶え間なくかけ声が続く。
そして、その実は、利害得失による離合集散になる。 その結果、日本がなくなってゆく。
これを既に、三島由起夫が指摘している。
「無機質で、からっぽで、ニュートラルで、抜け目のない」輩だと。そして、三島は、このような者達の国では、日本でなくなると言った。
つまり、三島は、既に、民主党政権の連中のことを指摘していたのだ。
そこで、今与党の民主党のなかで、消費税の引き上げ反対のボスがいて、毎日子分を集めて飲食を繰り返しているが、この動きを如何に位置づけるのか。
つまり、日本人の情に基づくものなのか、利害得失に基づくものなのか。
答え、利害得失に基づくものである。
つまり、彼の「営業」である。
そして、之が、今まで政界再編と言われている政界の動きの次元だった。
従って、今まで彼が関与した、自民党分裂と細川内閣誕生、新進党結成と解党、自由党結成、自由党と自民党の連立、自由党と民主党の合体・・・には、理念の筋がない。
何か理念があったのか。
理念を期待した同志を裏切り続けた離合集散ではなかったのか。その通り、利害得失による離合集散であった。
とはいえ、国民は、この平成五年以来の離合集散が政界再編だと思はさせられているので、また、マスコミはそう思いたいので、いや、そう思わなければ記事が売れないので、このボスによって何かが起こるのではないかとの変化の期待を彼に投げかけ、それを受けて彼は裁判を乗り切ろうとしている。
しかし、はっきり言っておく。
これは「営業」の次元なのだ。
そして、もはや日本には、この同じ次元で、彼の営業を繰りかえさせることはできない。
何故なら、既にそのような悠長な時間は我が国に残されていないからだ。
真の政界の再編は、情の次元において為されねばならない。
つまり、分かりやすく言えば、彼のように、国旗国歌を憎み日本は悪い国だと公言する日教組や自治労と組んで政権にありつこうと考える政界の再編と称する「営業」など断じて繰り返させてはならない。
三月十日の一万六千人、三月十一日の一万九千九人の犠牲のもとに、内外から押し寄せる国難を乗り越えようとする、まさに、今、真の政界の再編は、万世一系百二十五代の天皇を戴く日本への愛を以て為されねばならない。
さて、最後に指摘しておきたい。
東日本被災地の瓦礫処理は、何故進まないのか。
はっきり言っておく。
この瓦礫処理不能は、民主党政権の成果である、と。
彼等は、実は、反核、反原発、反放射能、そして、
自分だけの自由、利益を追求する、「無機質で、からっぽで、ニュートラルで、抜け目のない」者達の徒党なのだ。
反原発、反放射能(放射能は恐ろしい、従って反核、反原発)によって支持者を集めた民主党には、瓦礫も処理できない。
瓦礫一つ処理できずに、何が、「福祉と税の一体改革」だ。
単に、金が足りないから税を多く取り立てるという、北朝鮮の三代目のブタでも思いつくからくりではないか。
そう言えば、この三代目と野田は似ている。
いつまでも、日本国民を、馬鹿にするなよ。
☆ 小沢のことも厳しく批判しています。「営業」だって。
政治とは「道を説くもの」と三宅博さんが演説していたが、西村さんのこのお話を伺って、日本独自の考えを深く知り感じた。今まで西村さんは苦手だった。三宅博さんや北山市議が親しくなさっていてご自宅でも気軽にいらっしゃっていることは知っていたが・・・その時も「私、西村さん、苦手なんです」と言っては笑われていた。
このごろ、変に西村さんのファンになってしまった。困った・・・。
それにしても関西の「真正保守」である西村真悟・三宅博のおふたりが落選中、なんて!!
あまりにももったいないではないか、ナントカガールズなどは猿芝居で転倒したり、そのほかにもロクなのがいないというのに。
☆☆ 少し西村氏に反論・・・山鳥のほろほろと鳴く声を聞いて、「父かとぞ思う 母かとぞ思う」(西行)
これが日本人である。
(西洋人は、これらは車のクラクションと同じ雑音に聞こえるらしい)・・・ここが西村さんのちょっといけないところ、西洋人の音楽を聴いて下さい。風の音も雨だれも、そして、ためいきも、みんな素晴らしい音楽になっています。( )が蛇足!!
唐の時代の李白の詩「静夜思」
牀前 月光を看る
疑うらくは 是れ 地上の霜かと
頭こうべを挙げて 山月を望み
頭を低たれて 故郷を思う
何て美しいのでしょう・・・和訳も美の極致です。 (ベッラ)