Fritz Kreisler plays Kreisler "Liebesleid" in 1930 and 1942
★ 20世紀前半に活躍したヴァイオリニスト兼作曲家、
フリッツ・クライスラーのヴァイオリンをどうぞお聴きください。
そしてこの美しい曲『愛の悲しみ』はクライスラーの作曲です。
愛国者で第一次世界大戦にも出陣、負傷して帰国。
また美人が好きで、そのために自分の貴重なヴァイオリンを質に入れ、
美人に宝石をプレゼント、そしてコンサートがあると馴染の質屋から
ヴァイオリンを借り出し、出演料で買い戻す、その繰り返し。
1930年と1942年の録音両方が収録されています。
時にはこのような奔放な芸術家の名演奏に酔いたい・・・。
いい音色です。
ドイツを愛する愛国者、第一次大戦にも出陣、負傷して帰国したのですか。
ヴァイオリンで素敵な曲を弾いてくれて、質に入れてお金を工面、宝石をプレゼント、コンサートではヴァイオリンを借り出して、出演料で買い戻す、お相手の女性は女冥利に尽きますね。なんかとってもいい男ですねえ。
音楽と共にこういうストーリーを教えてくださるこのブログが一味もふた味も楽しめます。
ありがとうございます。
すごいヴァイオリンを質入れし、美人のためにせっせと
宝石をプレゼント、その繰り返しでしたが、
ついにその質屋に警察が入りました。
「このヴァイオリンはただものではないな、
グアルネリなど質入れなんて、泥棒が盗んで入れたの
ではないか」とおまわりさん。
そこへあらわれた当人クライスラー。
「これは私のです、今からコンサートでいるので
借りにきました。ギャラでまた買い戻す予定です」
おまわりさん「何をふざけたことを!!」
質屋「おまわりさん、このお方は有名なクライスラーさんですよ」
おまわりさん「クライスラーだったらレコードも持っている。世界的なヴァイオリニストだからな、
なんでクライスラーともあろうものが質屋でウロウロしているんだ、こいつはドロボーだ!!逮捕する!!」
クライスラー「もうすぐコンサートはじまるんです。
急いでいるんです」
と言ってクライスラーは一曲弾きました。
うっとりと聴いてしまったおまわりさん、
「これはまぎれもなくクライスラーの演奏だ。
失礼しました。」
後年、クライスラーはこのことを得意になって
話していました。
夫人はその美人でした。
「愛の喜び」という楽しい曲もあります。
対になっています。
何処で?、何時?、どんな時? そんな事は憶えていませんが、この曲はこの人生の中で数回は聞いたことは有ります。1930と1942の録音技術の上達の所為か1942 Philadelphia(米国フィラデルフィアで録音て、事でしょうか?)の方が、生意気かもしれませんが、音質がよく感じました。
でも、こんな曲がベッラ・ライブラリーに入っているのですね? 凄い、貴方は、凄い。
「ドイツ」でなく「オーストリア」出身のユダヤ系でした。
関東大震災の直前にクライスラーは来日しています。
N女史が野村胡堂こと「あらえびす」といっしょに実演を
きいています。N女史のご主人が作曲家で、その恩師が
「軍艦行進曲」を作曲した瀬戸口藤吉先生ですが、
クライスラーと面識があったようです。
クライスラーは後年、ナチスを逃れ、アメリカに亡命
していますが、あとの演奏はその時のものです。
フラデルフィアオーケストラは世界的なレベルでしたが
、今はもうありません。
「オーケストラの少女」などハイフェッツやルービンスタイン
を映画でその素晴らしさを広め、フィラデルフィアオーケストラもその存在感を示しましたね。
ハイフェッツは親しみやすいクライスラーと違って
峻厳なヴァイオリンを演奏しましたが、
関東大震災の直後、すべてのスケジュールを
キャンセルして東京にかけつけ、慈善コンサートを
被災者のために開きました。
アンコールは「君が代」2回、被災者は「万歳!」を
叫び、押し寄せたとか。
帝国ホテルのホールの左に入ると手作りプログラムに
会えます。それが東京に行く楽しみです。
クライスラーとハイフェッツは当時の2大名演奏家
で、ともにヴァイオリンは「グアルネリ・デル・ジェス」で
ストラディバリではありません。
華やかなストラディバリに比べ、グアルネリ・デル・ジェスは強い表現力があります。
次はクライスラーの「愛の喜び」その他、いっぱいあるので。
日本にアイザック・スターンが来日した時、グアルネリ・デル・ジェスで奏でるクライスラーの名曲に涙しました。
微笑みながら弾くスターンの姿を思い出します。
ハイフェッツやクライスラーを継いだのがスターン
でしたね、素晴らしかった!!