ベッラのブログ   soprano lirico spinto Bella Cantabile  ♪ ♫

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イタリアオペラのソプラノで趣味は読書(歴女のハシクレ)です。日本が大好き。

心に迫るドヴォルザークのチェロ協奏曲~ Mstislav Rostropovich , Seiji Ozawa

2016年03月23日 | 器楽曲

  ブログのコンサートホール

Antonin Dvo�・�・k Cello Concerto B minor, Mstislav Rostropovich , Seiji Ozawa

・・・この演奏、いつも涙を堪えるのに苦労した。(泣いてしまうと音楽がわからなくなる。泣くより堪えることの辛いこと。)

ロストロポーヴィチは何と人の心を知っていることか・・・何という説得力か・・・音楽的な「覚悟」のある名演奏。

そこには「誠」あるのみ、一切の虚飾がない。三宅博先生と同じように。

【追加】この曲、第一楽章でふと「冬の夜」(文部省唱歌)を思う旋律がある。(5分30秒頃から)もちろん偶然である。
日本人に馴染みやすい旋律。(ドヴォルザークは祖国への愛をボヘミア民謡などをしのばせて作曲。)


文部省唱歌(1912年)

1 ともしび近く 衣(きぬ)縫う母は
  春の遊びの楽しさ語る
  居並ぶ子供は 指を折りつつ
  日数かぞえて 喜び勇む
   囲炉裏火(いろりび)はとろとろ
  外は吹雪

2 囲炉裏のはたに 縄なう父は
  過ぎしいくさの手柄を語る (日露戦争と思われる
  居並ぶ子供は ねむさ忘れて
  耳を傾け こぶしを握る
  囲炉裏火はとろとろ
  外は吹雪


                      


★ 先日、旧ソ連出身の偉大なチェリスト、ロストロポーヴィチのことをご紹介した。
 ソ連政府を批判し、友人である作家ソルジェニツイン(「収容所群島」を書きノーベル賞)を匿った為に
「人民の敵」として妻子ともに国外追放になった世界最高のチェリスト、巨匠ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ。

困窮する巨匠にボストン交響楽団の指揮者となった小澤征爾氏が、アメリカ公演長期滞在のために購入したアメリカの自宅を提供。
ロストロポーヴィチは恩を感じて「日本人街」で買ってきたお線香を毎日小澤の父の遺影に供えたという。
しかしアメリカ帰化をせず。ソ連からロシアとなった時、祖国に帰りその地で没。心から祖国ロシアを愛した芸術家だった。

★ そしてこのことも付け加えておきたい。
国外追放後、ロストロポーヴィチ氏はモスクワで1991年のクーデターを知り、すべての演奏会をキャンセルして急遽帰国しモスクワに急行、ソ連の体制を打倒の為、モスクワ市民と共に行動に参加した。・・・これは既に高齢だったロストロポーヴィチは共に戦うことは周囲によって止められたが、自らを「音楽の兵士」と言っていた。

★ 小澤征爾氏は恩師の斎藤秀雄・カラヤン亡き後、ロストロポーヴィチを師と仰いだ。
ロストロポーヴィチはモスクワにてソ連の「アフガニスタン侵攻」を激しく批判し、また「収容所群島」を書いた友人の作家ソルジェニツインを匿ったことから「人民の敵」として手荷物ひとつで国外追放、その後小澤征爾氏に助けられ、小沢氏の家に住むことになったロストロポーヴィチ、来日して田舎をまわってコンサートを開いた。

民家に招かれ、いっしょに鍋を囲んだりしてロストロポーヴィチはすぐに地元の人々になじんだ。
無料の青空コンサートだった。
指揮はもちろん小澤征爾氏、ロストロポーヴィチはお寺でコンサートを開く。
地元の人たちは驚きながらもはじめて「世界の巨匠」の名演奏に接した。下記はその時の画像。




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