大学の「新課程(0免,音楽コース/芸術コース)」において,弦・管楽器を中心に勉強する1~3年生が出演する「学内演奏会」というものがある。中間試験の代わりのようなものだが,曲がりなりにも人前で演奏するので,学生にとっては良い勉強の場となっているはずだ。
人によってはガクガクにアガってしまう。今回も1年生に一組,アガりまくっていた者がいた。「アガる」のは体験を積むことによって克服することが必要だから,今回のような経験も有効だ。今後,それをどう克服していくかが課題だし,行く末を見守るのも楽しみである。
逆に,アガりもせず,かといって良い演奏でもなく,という手合いには落胆させられる。
また,1年生の時に原石の輝きがあって「これはいい!」と思っていた学生が,2年生になっても相変わらず原石の輝きのまま,などという事態が生じると,こちらも焦る。今までの指導に落ち度はなかったか・・・磨いていたつもりが,単になで回していただけだったのか,などと様々な思いが交錯する。
そのような中で,最後に演奏したクラリネットの学生の演奏が,こちらを元気づけてくれた。
この学生,入試の演奏は抜群の出来だった。ところが入学してからは,一向に冴えない。たまりかねて「入試の時はスゴく良かったぞ」と言うと,
「あの時は,メッチャ練習しました」
おいおい,入学したらメッチャ練習はしないのかい?
一時が万事,その調子で,やる気はどこへ行ったのやら,という状態が1年以上続いたのだった。
さすがに2年生になると,彼女なりの努力の片鱗は感じるようになった。オーケストラ・プレイが多少できるようになったし,バス・クラリネットの演奏も,あまりいやがらなくなった。
だが,ソロにおいては,さほどの変化が半年前まで見られなかったのである。
ところが今回,(前の記事の表現を借りるなら)「本物」に豹変していた。正確に述べるなら,技術的にはまだ稚拙さが残る。ピッチがかなり上がって,ピアノと全く合っていない。これではアンサンブルになっていない。
しかし,照準はしっかり「本物」の方向を向いていた。いつ変化があったのか,どうやって変化したのか全くわからない。でも,「本物」に近づいていたのは聴いていた学生達にも伝わった。ピッチが全く合っていなかったにも関わらず,一番いい演奏だと思った者もいたほどである。
彼女は今,オーケストラでは隣に1年生を座らせて吹いている。この1年生も彼女の吹き方に影響を受けて,成長していくことが期待できそうだ。
この現実はとても嬉しい(私は何もしていないのだが…)。そしてこの状況こそ,私達が目指すべきものだろう。
「下手かもしれないけれど本物」