井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

祝・銀メダル

2010-02-27 01:07:07 | アート・文化

昔の「ビバ!おけいこヴァイオリン」を引用します。

(23)シューベルト「魔王」の世界へようこそ

ダダダダダダダダ、ダリラリラッタ。ダダダダダダダダ、ダリラリラッタ。

「父の七光りで、馬を駆り、立候補しようとするものあり。うでにわらべ、おびゆるを。しっかとばかりいだけり。」

「ショウゾウ、なぜ顔を隠すんだ。」

「パーパ。そこに見えないの。マオーがいるよ。こわいよ。」

「ショウゾウ、何を言っているんだ。毛沢東がいるわけないだろう。今は胡錦濤だよ。」
(中略)
「坊や。一緒においでよ。ヴァイオリンなんかやめてしまえ。用意はとうにできている。娘とスケートでもしてお遊びよ。歌のねーねとデュエットもさしたげる。ここは何でも自由にできるいいところじゃよ。さあ、おいで。」

「パーパ。パーパ。マオーの娘が現れたよ。」

「ショウゾウ、何を言ってるんだ。浅田真央が現れるはずはないだろう。トリノに行けるのは美姫だよ。」

「かわいや、坊や。いい子じゃのう。坊や、じたばたしてもさらってくぞ。さらわれたくなければ、ダダをこねないで、ヴァイオリンをきちんとさらってみるか?」

「パーパ。パーパ。マオーが僕をつかんだよ。放せ、放せってば」
                                     (「魔王のスタジオ」総集編より)

これから4年たった。筆者は4年間ずっと,これに笑いっぱなしだった。ということは一生笑い続けられるネタになろう。でも,4年後のソチでマオーとミキティがそろう可能性は低いので,今が第二の旬である。

やっとマオーが銀メダルに輝いた。金メダルでなくて残念という声も大きいが,自己ベストは更新したのだ。トリプルアクセルを2回(ショートプログラムも入れれば3回)決めたという偉業も成し遂げた。恐らく日本人の全ての記憶に刻まれるスケーターになったはずだ。すごいことではないか!

おもしろいことに,金メダリストが記憶に残るとは限らない。筆者の年代だと札幌大会のジャネット・リン,銅メダルである。金は確実と言われたのに「まさかの」尻餅をついてしまった,でも,それでもニコッとしていたので人気沸騰,だったように記憶している。

一般的な日本人の記憶に残っているフィギュア・スケーターは荒川静香以前では伊藤みどりと渡部絵美,銀メダルと6位入賞。その時の金メダルが誰だったかなんて,誰も覚えていない。
筆者としてはカタリナ・ヴィットが忘れられない。イメージ・トレーニングという手法は彼女を始めとする東独勢の訓練法,これがNHKで紹介されて日本人一同衝撃を受けたはずなのに・・・。

つまり日本人にとって結果的に金メダルの価値はそれほどでもないのか?でも,金メダルがとれなくて残念だった,という感情は持続する。やはり札幌(筆者の年代にとっては絶対的な存在)のジャンプ,笠谷選手は70m級で金メダルをとったにも関わらず,「90m級は惜しかったですね,と16年間言われ続けました」とカルガリーの頃だったか,テレビでおっしゃっていた。実はそれを聞くまで筆者もそう思っていた。
これは良くない,と爾来思ったのである。

ゆえに,浅田マオーは立派なのである。

そして,多分未来永劫キム・ヨナとセットで語られることになる可能性が強い。何せ,二人は生年月まで一緒だと言うし,顔もそっくりだ。

ただ,マオーがジャンプで怯まなかったとしても,点数が上回ることはないかも,という思いもなくはない。

筆者としては,キム・ヨナの顔がヴァイオリニスト,チョン・キョンファの顔にダブって見える。
思い出すのは筆者の師匠がロッテルダムに在籍中の話である。チョン・キョンファがソリストとして現れた。
本番で最初は,普通に進行していた。ところが,途中で,些細なミスがあったそうだ。すると,人が変わって猛然と弾き出し,終わった時はミスのことなんて誰もが忘れていたという。

「日本人はミスすると,そこからペションとなって全然ダメだったりするんだけどね・・・」

この話の時代からそろそろ半世紀,日本人も大分強くなったとは思うが,基本的なメンタリティにこの性質が残っているのではないだろうか。韓国人も同様である。個人戦では,未だに韓国人に分がある傾向が強い。
だから,日本人は集団戦,団体戦で特色を出すのが向いている。

フィギュア・スケートに団体戦があれば,とテレビで言っていたが,男子も女子も3人ずつ入賞者がいるなんて,すごいではないか。

団体戦ではないが,実際のところ,コーチ以外のスタッフ集団の協力もあって,この成績があるのだと思う。
音楽屋さんとして又しても口出すならば,織田選手以上に音楽とピッタリな演技は結局なかった。あれはコーチと本人だけで考えたものとは到底思えない,精緻なものだった。音楽に詳しいスタッフが影にいたことが容易に想像できる。それからするとキム・ヨナのガーシュインは「何じゃこりゃ」のレヴェル(あくまで音楽が,ですよ!)。

マオーの使用曲,ラフマニノフの「鐘」も賛否両論あるようだが,マオーには「否」だったかもしれない。新聞によると,タラソワコーチの強い思い入れがあったようだ。なるほど。皆さんは,この曲,お好きだろうか?

この前奏曲,俗称「鐘」は19世紀末の作品だが,ラフマニノフの自作自演のレコードが驚異的な売り上げを記録したと聞いている。とにかく大人気の曲だった。

多分タラソワコーチが聞いタラソワソワしてくる,いやジーンとくるのだろう。マオーはジーンときているか?

勝手な推測だが「きていない」と見る。ただ,荒川静香のトゥーランドットを作った人の考えることに間違いないはず,という全幅の信頼をおいた結果なのだと思う。

平均的な日本人の感性ならば,ラフマニノフよりも各種追い分け節(美空ひばりの「りんご追分」でも可)の方にジーンとくるはず。でも追分ではジャンプできないので,もうちょっと元気よくいくなら「お祭りマンボ」,「ひょっこりひょうたん島」,西城秀樹の「情熱の嵐」かな・・・,うーむ,思いつかない。

解説者が「音楽に助けられることもあります」と言っていた。さもありなん。次の機会があるのならばマオーの感性にフィットした楽曲にしてもらいたいし,後続のスケーター達はなおのこと,である。日本スケート界の更なる発展に日本の音楽がうまく寄与することを祈りたい。