井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

パウル・クレーと児童絵画

2010-06-12 21:16:03 | アート・文化

面白いことは良いことだ。が、面白いことも重なるとやはり疲れる。とは言え、それで文句を言うのは罰当たりだ。やはり感謝すべきことである。

6月10日は、そのような一日だった。朝から九州交響楽団の事務局長を招いてのレクチャー。60代後半とは思えないマシンガン・トーク。音楽業界の大先輩ではあるが、世代としては親の世代に近い。しかし、自分も充分旧世代であることを認識させられたお話だった。

これについては、別の機会で語るとして、その後、大学院の講義をしたのだが、前の感動が残りすぎて、なかなか本題にはいれなかった。話していくうちに、ようやく平静さを取り戻して、それは何とか終了。

そして、午後はFD研修会の準備とお世話である。お世話と言っても、大したことはしないのだが、私はFD委員会の委員であり、この研修会は委員会のメインの行事である。

FDとはFaculty Development、直訳すると「大学教員発展」だが、要するに新任教員に対する研修会で、中核教員が講師を務めて、新任さん、がんばれよ、と言う場である。私も5年くらい前に講師をした記憶がある。

参加する前は、常に面倒な気持ちを引きずっているのだが、始まってしまうと、結構面白いことが多い。今回は特に、美術の佐藤先生が破天荒な展開Developmentで、時間オーバーもいいところだったが、強烈に印象的だった。

もともと美術の先生方は、皆さん面白い。意見のまとまらないこと夥しく、一緒に仕事をするのには大変な困難を伴うのが普通だが、個人的にお話すると、全員それぞれの世界を持っているのが特徴的で、しかも話好きが多い。

19世紀の美術は写実的なものから出発して歴史画を描くのが終着点として挙げられる。それを印象派が壊しにかかり、ピカソ等で大転換という美術史の話から始まり、「アボリジニやインド、アフリカの美術は幼稚だから、西洋人が教育してやろう」という発想があったこと、その資料として収集していたプリミティブな造形の数々を見ていた西洋人が、ひょっとして西洋よりアジア・アフリカの方が幸せなんちゃう?と気づいていった過程。

かと思うと、自分たちで「作った」粘土で作ったテラコッタ風の造形を附属小学校の児童に3年やらせた実践例。

それらを写真や実物やスライド入りで話される。話したいことが山のようにあるから、時間内に終わる訳はない。やや収拾がつかないきらいはあったが、様々な点で勉強になったのは確かである。

その一つに、音楽にも関連するパウル・クレーの話がある。19世紀の発想ではクレーは幼稚で片づけられてしまう。しかし、19世紀には写真がなかったのである。絵画には現在でいう写真の役割もあったので、一概に責められないが、これら写実的な絵を書くことは技術的に訓練すれば誰でもできることなのだ。これは現代的視点に立つとアート、芸術ではないことになる。

一方、児童美術というものも20世紀に生まれたものだそうだ。子供の描く絵の典型として、ねむの木学園の絵を見せられた。足が三本で、どちらを向いているかわからない動物のようなものの絵であった。ねむの木学園のスタート時は、子供たちにどうやって「普通」の絵を描かせるか試行錯誤したらしい。しかし、それがいかに無駄な努力であるかを思い知らされたという。

「でもね、子供たちが描く絵、そこには確実に彼らの世界が描かれている訳なんですよ。」

この「世界」が重要なのだと、佐藤先生は力説されていた。子供の感性でしか描けない世界である。ある方向から見れば幼稚にしか見えないが、別の方向から見るといくらでも想像力を刺激する要素が含まれている。

それを洗練させた方向に位置づけられるものとしてパウル・クレーの作品があるという。「パウル・クレーがわかればね、児童美術はOK」なのだそうだ。なるほどねえ・・・。

このレクチャーそのものは新任教員を主な対象としており、その中にはオリンピックのメダリスト(シドニー、アトランタ)もいらっしゃる。そのような新任教員に向かって話すことなどあるのかいな、と思わなくもない。が、堂々たる佐藤先生、話の脈絡はあまり感じられないものの、そのメダリストを含め、皆さんを感動させてしまったのはさすがであった。

ここで思い出すのが、昔、ある先輩が語ってくれた言葉である。

「やっぱり先生はさぁ、先生が一番面白いと思っていることを教えてくれるのが一番いいね。」

これに尽きる。話の脈絡なんてクソくらえ、オーストラリアやらインドネシアから持ってきた珍妙なものが、いかに面白いか、あの手この手で説明されると、聞き手は段々その気になる。それが教育の理想の一つだとも思う。その理想を実現させるには、やはり教える側が、その伝えたいことが大好きだと、いくらでもパワーが湧いてくる。

このような破天荒な美術の先生達、その「貴重な狂気」とでもいうものを受け取れる機会がなかなかない。この先生も今年で定年だなぁ、と思うと、ちょっと寂しい気がしたのも確かであった。