井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

大ホールでピリオド奏法、是か非か

2012-02-10 00:52:55 | オーケストラ

先日、NHKFMで「ベルリン・バロック・ゾリステン」の演奏会が放送された。ベルリン・フィルの団員を中心とする合奏団で、放送されたのは昨年秋の日本ツアーの初日、東京での公演の模様。

そのツアーは福岡にも来ていて、私も福岡公演を聞いて圧倒された一人だ。

オーケストラではなく、1パート一人の室内楽でもなく、少人数でのアンサンブルで聴き手をここまで魅了する演奏、これ以前にあったかどうか、いまだに思いだせない。

ピゼンデルなどという「誰、これ?」という作品であれ、そんなことは全く問題にならない。主導するパートが明瞭に浮き彫りにされ魅力的に訴えてくる、それを耳で追っていくうちに曲は終ってしまうのだ。聴き手の集中力なんて必要ではない。聴衆の集中力を演奏者が引き出してしまうという見事さだった。

さて、ここで一つ気になったことがあった。彼らはピリオド奏法を採用していたのだ。一体、どのような見解を持ってピリオド奏法を採用したのか?

10年くらい前にラトルがベルリン・フィルとヴィーン・フィルで試みて我々を驚かせた。その頃はピリオド奏法でなければバロックにあらず的な考えが世界中を席巻していたような気がする。N響もノリントンで一回試みたのは本ブログでも書いたことがある。

しかし、ピリオド奏法はピリオド楽器で演奏すべきもので、モダン楽器でやるものではない、という主張もある。これはこれで至極真っ当な意見である。

事実、その後ヒラリー・ハーンやエマニュエル・パユはモダン楽器でモダン奏法のバッハ録音を堂々と提示し始めた。

だからこそ、「なぜ?」と思う訳だ。

ところで、私がその公演を聴きに行ったのは「お目当て」があったからなのである。それはソリストの日本人コンマスではなく、メンバー唯一の日本人、コトワちゃんである。

同じM先生門下で、仕事場でも世話をやいたことのある後輩(のはずだ)。が、20年会っていないので、向こうも「あんた誰?」状態ではあったが、そこでひるんではいけない。忘れていようが何だろうがお構いなしにステージ裏で話しかけ、強制的に思いだしてもらい、一応「縁」は復活。

ちょうどこちらも福岡で2月15日に「四季」を演奏する。その参考になればと思い、上述の気になる件をメールで質問してみた。

面倒な内容にも関わらず、意外とすぐに返事がきた。

要約すると「ピリオド楽器による演奏は音量的に物足りない気がする。だけど真似できるところは真似してみようと思う。できないところはできないけれど。そうやって着実にファンを増やしているハイブリッド集団です。」ピリオド奏法団体に対するアンチテーゼもあるようだった。

なるほどねぇ。彼女のメールでわかったのは、彼らはバロック弓を使用していたこと。1800人収容の大ホールに朗々と響き渡っていたので、てっきりモダンの弓だと思っていた。この技術もさすがである。

翻って、福岡の我が「アンサンブル・エストラータ」、どうなるかな。代表の工藤、九州交響楽団コンサートマスターの近藤、チェロ客演首席の北口と福岡の若手エースが勢ぞろいする演奏会、私はヴィオラを務める。この布陣だと、普通に考えればモダン奏法で突っ走るのだが、チェンバロに鈴木優人がいるのがミソ。鈴木はバッハ・コレギウム・ジャパンBCJの中核メンバー、BCJはピリオド奏法演奏団体の雄である。

それこそベルリン・バロックが公演したアクロス福岡シンフォニーホールで十数年前BCJもマタイ受難曲を演奏。最初の一時間は音量不足に不満を持った聴衆がたくさんいたのが思い起こされる。大ホールでピリオド奏法はダメでしょう、と多くの人が思ったものだ。

さあ今回、ハイブリッドが生まれるか否か、実に楽しみである。都合のつく方は、ぜひ15日、あいれふホールへお越しいただきたい。