10年くらい前までは少なくとも、年末年始に興味をひくテレビ番組がもっと多かったと思う。民放BSでもサイモン・ラトルなどを観ることができたものだ。近頃は、どうしたことか、その類の番組にとんとお目にかからなくなったのが寂しい。
その中で興味をひいたのは「NHKアーカイブズ」という、結局は昔の番組。少年ドラマシリーズの「七瀬ふたたび」の第1回だけが放送されたのだが、やはり何度観ても面白いものは面白い。
原作者の筒井康隆氏もすごい。その「すごさ」は別の機会に語るとして、出演者だった女優の多岐川裕美さんのコメントが印象的だった。
昔は丁寧に作っていましたよね。
「丁寧」と言ってよいのかどうかわからないが、同じことをするのでも、コンピュータが普及していない時代では時間がかかった。それは確かである。
そして、時間がかかっている間に別のアイディアが湧いてきて、より良いものができる、ということもないではなかった。ここが無視できないポイントになる。
ちょうど平成の世に変わる頃、堺屋太一氏が「知価革命が起きる」ということを唱えていらした。その言葉そのものは浸透しなかったけれど、実際には静かに「知価革命」が起きていた。
それは簡単に述べると「少品種大量生産」の時代から「多品種小量生産」の時代に変わったということ。ひょっとしたらまだ進行中かもしれない。とにかく、コンピュータの普及でそれが可能になったのである。
それぞれの「個」に合わせて、多種多様な物が生まれる時代ということだ。これは良い世の中になったものだ、とその時は思っていたような気がする。ちょうどバブル期の頃のことだし。
これがマスメディアにまで影響するとは当時全く考えが及ばなかった。
現にこのブログの文章、個人から簡単に発信している訳だが、30年前ならば、新聞の投書蘭、雑誌の投稿欄に載せてもらう、という手段くらいしかなかっただろうし、この程度の内容では恐らく載せてもらえなかっただろう。
少品種大量生産の時代は、個人が大勢の好みに合わせていた時代だから、個人的には不満を感じることも少なからずあった。なので、多品種小量生産とは何と素晴らしいことだ、と一旦は思っていたのだ。
しかし、結果的には「優れたもの」の多品種ではなく「まあまあのもの」の多品種が世の中にあふれることになった。場合によっては「つまらないものがいっぱいの世の中」になってしまった。
そして今、省みると「優れたもの」を作るには「お金と時間がいっぱいかかる」という、いわば昔の常識を再確認していることになってしまう。別の言葉で言いかえれば、それが「丁寧」であり、冒頭の「面白い番組」が作れた時代背景が浮かび上がってくる。
お金と時間をいっぱいかけるには「少品種大量生産」の仕組みの方が都合が良さそう。全く厄介な時代になってしまったものだ。
この皮肉な世の中をどう生きていけば良いのか。
全く答が出てこないのだが、唯一自分としてのよりどころは「音楽」である。すでに「お金と時間をいっぱいかけて」いるのだ。これは強みかもしれない。後から続く方々へも呼びかけよう。「お金と時間をいっぱいかけたもの」が、今からは強みを発揮しやすい世の中になりそうですよ。がんばりましょう!