井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

「エイコーラ」を知っていますか

2013-01-10 00:09:31 | アート・文化

「コークと呼ぼう、コカコーラ」という、コマーシャル・ソングが普及していた割には、誰も「コーク」と呼ばなかったような気がする、そんな時代。「エイコーラ、エイコーラ、もーひーとーつーエイコーラ」という歌も有名だった。物を動かす時には自動的に口をついて出てきたものだ。幼稚園児でも歌っていた。

これは「ヴォルガの舟歌」というロシア民謡で、本当は「エイウッフネェム、Эй, ухнем」と歌うのだが、これが日本に輸入され訳された段階で「エイコーラ」に変わったのだ。

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ついでに調べると、民謡の原型を基に、バラキレフ等の音楽家が手を加えて形を整えたとのこと。

民謡に手を加えて世に出すこと自体はどこにでもある話である。私が問題にしたいのは、4,50年前までは幼稚園児でも知っていたこの歌を、30代以下の人はほとんど知らないという現実である。

「森とんかつ、泉にんにく」も知らないかもしれない。昔の歌を今の人が知らない、それも半ば当然の話である。私が問題にしたいのは、この歌に限らず、ロシア民謡がある時から急速に知られざるものへ変貌していた現実である。

しかし、「森とんかつ」って初めて文字にしてみたのですが、おいしそうですね。

知らない人にはピンと来ないだろうが、多分半世紀前ころ世界中にロシア民謡は普及していた。民謡だけではない。ロシアの文化が席巻していた時代があった。ボリショイと言えばバレエだけれどボリショイ・サーカスというのもあったし、ドン・コサックの合唱団や舞踊団、日本人も一度ならずテレビ等で見たことがある存在だったはずだ。

さらに1950年前後になるが「うたごえ運動」というのがあって、これの主役はロシア民謡だった。全国に「歌声喫茶」なるものがあり、そこに集まった人達は、みんなでロシア民謡を歌うのである。そして、その中で結婚する人もいて、その子供が私の世代になる関係もあり、自分の親だけではなく、友人とか小中高の先生達などを通してロシア民謡に接する機会も多かったのである。ボーイスカウトにはいっていたクラスメートは私より詳しかったし。

今考えれば、時のソ連政府のプロパガンダに乗せられていたのかもしれない。ソ連が崩壊して、実はコサック舞踊は民族舞踊ではなく、観賞用に創作訓練されたものだということが知れ渡る。なーんだ、ということになり、多くの人の心が急速にロシア文化から離れていったと推測できる。

それは、致し方のないことだ。私が問題にしたいのは・・・

「グラズノフが必要以上に難しくなったこと」だ。

グラズノフにはサクソフォーン協奏曲がある。私が務める大学ではサクソフォーンを吹く学生が時々いて、そのレッスンをしなければならないことがたまにあるのだが、今どきの学生はロシア民謡をほとんど知らない。なのでロシアに対するイメージが貧困で、説明に窮することしばしば。

もちろんヴァイオリン協奏曲も忘れてはならない。こちらの方が曲としての完成度は高い。これがまた、全然サマにならない学生が多い。うちの学生の問題かと思っていたら、どうも一流音大でも近頃は難曲の方に数えられるようになっているらしいのだ。

最初の第1 テーマはロシア民謡の「トロイカ」と同じリズムだ。

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この「トロイカ」を知らない。ヴィエニアフスキの「モスクワの思い出」にしても原曲の「赤いサラファン」を知らない。ヴァイオリンを教えるにはロシア民謡から教えないといけないのだろうか…。

昔に比べて、資料を手に入れたり接したりするのはコンピュータとインターネットの普及で、はるかに容易になった。いつでも手にはいるから、ということで、いつまでも手に入れていない、という皮肉な状況に今はなってしまっている。

上の動画で「トロイカ」を歌っているのはリュドミーラ・ズィキナ。私が十代の頃、彼女がNHKの番組でこの「トロイカ」を歌ったのを覚えている。解説の誰か(芥川也寸志?)が、日本では「雪の白樺並木・・・」と景気良く歌うのが普通だけど、本当はこのようにゆっくり歌うものなのですよ、と言っていたと記憶している。

この声の伸びに注目していただきたい。減衰せずにいつまでも長く続く歌声、これがグラズノフにも必要なのだ。グラズノフのみならず、チャイコフスキーでもラフマニノフでも、ロシア音楽全般に言えることだ。

ソ連は崩壊して、同時にソ連が作ったものはどんどん消えていったけれど、ロシアの文化は依然強い輝きを放っている。こと音楽の世界では多分伊独仏の次に強い力を持っているといえるだろう。となると、どうしてもロシア民謡の学習は避けられないことになりそうだ。

学習しないでも耳にはいってきた昭和の時代は良かったなぁ、という日がこようとは夢にも思わなかったけれど、平成の世に生まれた皆さんにはコンピュータなどを駆使してもらって、昭和世代のできなかったことを是非やってほしいものである。