リサイタルの方を良く覚えているのには訳があって、実はこっそり録音していたのである。モノラルのカセットテープレコーダー、録音レベルが自動調整だから、大きい音は小さく、小さい音は大きく入る代物だ。
それでもその後何度も聴き返した。
バッハの無伴奏パルティータ第1番。こちらもちょうどその中のサラバンドとブーレを練習していたところだった。
パールマンは終始美音で流麗にバッハを弾く。楽々と弾いているように見える。楽しそうに。でもレコーディングのように無傷で。
これをヴァイオリン弾きの標準ととらえると、そう思ったヴァイオリン弾き(=私)は打ちのめされる。
今だったら「それはパールマンだから」と言えるだろう。
しかし、その頃身近な人間は一様にパールマンを賛美していて、ヴァイオリン弾きかくあるべし、とその人たちが無言で言っているように私は感じてしまった。
ニコニコしながら完璧に弾く、とてもこんなこと、私にはできない。
ヴァイオリニストになるための熱心さが今一つ足りなかったのは、パールマンのせいも少しはある。
その意味でもパールマンは不滅だ。
それでもその後何度も聴き返した。
バッハの無伴奏パルティータ第1番。こちらもちょうどその中のサラバンドとブーレを練習していたところだった。
パールマンは終始美音で流麗にバッハを弾く。楽々と弾いているように見える。楽しそうに。でもレコーディングのように無傷で。
これをヴァイオリン弾きの標準ととらえると、そう思ったヴァイオリン弾き(=私)は打ちのめされる。
今だったら「それはパールマンだから」と言えるだろう。
しかし、その頃身近な人間は一様にパールマンを賛美していて、ヴァイオリン弾きかくあるべし、とその人たちが無言で言っているように私は感じてしまった。
ニコニコしながら完璧に弾く、とてもこんなこと、私にはできない。
ヴァイオリニストになるための熱心さが今一つ足りなかったのは、パールマンのせいも少しはある。
その意味でもパールマンは不滅だ。