モーツァルトについて考えると,それ以前に整理しなければならないことがたくさんあることに触れざるを得ない。その一つである。
そもそも,「歌う」ということは,どういうことだろうか。「そこは歌って」とか「もっと歌って」という表現を,安易に使う場にしばしば遭遇することがある。これは「言う側」と「言われる側」に「歌う」という行為はどういうことを指すのだ,という共通理解があって初めて成り立つ訳である。それでは,「歌う」,特に器楽で「歌う」というのは,具体的にはどういう行為を指すのだろうか。
それは,自明の理かもしれないが,「声楽」のように演奏することである。器楽の歴史は声楽の模倣に始まり,その拡大の歴史であるから,原点は「声楽」なのである。つまり,「歌うように演奏する」ことが「歌う」行為であろう。
人は,どのように「歌う」のかを分析してみると,人の持つ「のど」のメカニズムと,「歌う」行為が密接に関わりあっていることがわかる。即ち,人の声の音域(声域)は各人それぞれのものだが,共通しているのは,声域の低い部分から高い部分にかけて徐々に声量が上がっていくようになっていることである。そして,声域の最高音から2,3度低い音程のあたりが最も声が出る部分である。その仕組に合わせて,我々は「歌う」のである。
声楽(特にドイツ語圏)において,「Linieführung (線的操作)」といわれる演奏法がある。一言で概要を述べれば「次に何がくるかわかるように演奏する方法」ということになろう。操作するのは,音程と強弱の二点である。
まず,音程についてであるが,特に長い音符の後に高い音が来るか,低い音が来るかで,長い音符の後ろの方を操作することになる。即ち,声楽において音程が跳躍する際,後ろが高い音程であればあるだけ,跳躍の前に喉の支えを必要とする。喉の支えとは声帯周辺の筋肉の緊張ということもできる。それらの筋肉が緊張すれば,自ずと微妙に音程がずり上がるのである。反対に,低い音程に跳躍する時は,筋肉を弛緩させねばならないので,音程はほんのわずかずり下がるのである。これらは通常「ポルタメント」という言葉で説明されるが,節度をもった使用が望まれる。
次に強弱であるが,前述の通り,普通に歌えば高音域はフォルテになり,低音域はピアノになる。従って,漸次的に高音へ移行する場合は軽いクレッシェンド,低音へ移行する場合はデクレッシェンドがかかるのが自然な姿であろう。これを意識して行うのが「リニエフュールングLinieführung」である。独墺系の方が「リニエ」,英語圏の方が「ライン」と言い出したら,これらのことを思い浮かべる必要を感じる。
ただ注意すべきは,やり過ぎるといわゆる「ロマンティック」な味わいが濃くなってしまうことである。どの程度にするか,演奏者のセンスが問われるところであろう。
一般的に「上行型はクレッシェンド,下行型はデクレッシェンド」とは,よく聞く表現だ。つまり,ほとんどの方がご存知のことを,違う角度で解説したにすぎない。ただ,その背景には,これだけの論拠があるということ,これを知ってやるのと知らないでやるのの違いは大きいのではなかろうか。
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