研修、という名目で、中学校の音楽の授業を見に行くことがある。
これが研修になるのか、と思うことなかれ。毎回、立派に研修になるから素晴らしい。
今回痛感したのは「出だしからちゃんと歌えるように合図を出すのは難しい」ということ。
そもそも、出だしからはっきり歌ったり、演奏したりすること自体、日本人には非常に難しい。
「動いているエスカレーターに乗るように」とか
「流れている水の上に、すっと乗っかるイメージ」
など、教える方は苦労して伝え、習う方は何ヵ月だか何年だかかかって、やっと会得することだ。
日本古来のやり方は、始まってから段々ノッテいくのである。これは能楽をやるとよくわかるし、日本民謡も大抵「ハア~」とか何とか言ってから始まる。
教室の生徒さんは、その日本古来の方法に従って歌い始めるのだが、そうすると「出だしがはっきりしない」と注意される訳だ。
どうすれば良いのか。
このようなことを考えたことは、ほとんどなかったように思う。ゆえに、とても良い研修になったのである。
(どうすれば良いかは、そう簡単に答がでる話ではないので、また別の機会に……)
これが研修になるのか、と思うことなかれ。毎回、立派に研修になるから素晴らしい。
今回痛感したのは「出だしからちゃんと歌えるように合図を出すのは難しい」ということ。
そもそも、出だしからはっきり歌ったり、演奏したりすること自体、日本人には非常に難しい。
「動いているエスカレーターに乗るように」とか
「流れている水の上に、すっと乗っかるイメージ」
など、教える方は苦労して伝え、習う方は何ヵ月だか何年だかかかって、やっと会得することだ。
日本古来のやり方は、始まってから段々ノッテいくのである。これは能楽をやるとよくわかるし、日本民謡も大抵「ハア~」とか何とか言ってから始まる。
教室の生徒さんは、その日本古来の方法に従って歌い始めるのだが、そうすると「出だしがはっきりしない」と注意される訳だ。
どうすれば良いのか。
このようなことを考えたことは、ほとんどなかったように思う。ゆえに、とても良い研修になったのである。
(どうすれば良いかは、そう簡単に答がでる話ではないので、また別の機会に……)
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