今年もセンター試験がやってきた。受験生は大変だ。とは言え,これはある意味当然。一生のうちに何回かしかない「がんばり時」なのだから,がんばり倒してほしい(ちょっと変な表現?)。
ところで監督する方も結構大変なのである。問題を配ったり,運んだり,欠席を数えて報告したり,という仕事が大変なのではない。受験生に目を配る以外は何もしてはいけない時間というのがある。この時間が辛い。当然寝てはいけないし,もちろん読書もできない。ただぼーっとしていなければならないのが,ものすごく疲れる。
中でも辛いのは,数年前に始まった「リスニング・テスト」。これは身動きができない。音をたててはいけないからである。今年もタイム・キーパーという係に充てられた。去年までは,タイム・キーパーのみICプレーヤーの音声を聞くことができた。今年は音声チェック専門の人員が配置され,タイム・キーパーはひたすら時計と受験生を眺めるのみ。
それでも今年は少し慣れてきたようで,30分間立ちっぱなしが何とかできるようになった。その昔,先輩から聞いた言葉を思い出しながら・・・「ソリストは立つのが仕事ですってU野先生から言われたよ」
それ以外の科目では,試験問題の冊子をチラチラ眺めることが辛うじてできる。しかし,へたに読もうものなら劣等感が刺激されるだけ。読まないがマシというものだろう。
そのような中,今年の国語の現代文は「音楽」を扱っており,こちらとしては一時の安らぎを得ることができたのは幸いだった。中学校の吹奏楽部が夏のコンクールを受けるあたりを描いた,中沢けいの小説「楽隊のうさぎ」の一節である。
試験が終わってからじっくり読ませてもらった。さすがは文学者,音楽屋さんとは違う文学的な表現が随所に現れるのは当然として,音楽屋さんも納得の叙述になっているところが嬉しい。演奏する人やコンクールを受ける人にしかわからないと思われる特有の心理描写も巧みで共感を呼ぶ。
例えば「音が音楽になろうとしていた」という文がある。
私もよく使う表現,「それじゃただの音で,音楽になっていないよ」のように。
「スゲェナ」「和声理論の権化だ」
いかにも生意気な中学生が言いそうなセリフ。
さて,ここで問題です。この二つはどういう意味でしょう?五択です。
1. 指揮者の指示のもとで各パートの音が融け合い,具象化した感覚を克久(主人公の名)に感じさせ始めたこと。
2. 指揮者に導かれて克久たちの演奏が洗練され,楽曲が本来もっている以上の魅力を克久に感じさせ始めたこと。
3. 練習によって克久たちの演奏が上達し,楽曲を譜面通りに奏でられるようになったと克久に感じさせ始めたこと。
4. 各パートの発する複雑な音が練習の積み重ねにより調和し,圧倒するような迫力を克久に感じさせ始めたこと。
5. 各パートで磨いてきた音が個性を保ちつつ精妙に組み合わさり,うねるような躍動感を克久に感じさせ始めたこと。
このように,音楽的には,どれを正解にしてもいいようなことしか書いていない。中学生なんか,意味も解らず「権化」と言っていたに違いない,なんちゃって。よーく,よーく考えたら「これだ!」と思うけれど,さらに厳密に考えると,こっちか,みたいな答え。
正直言って,高校生の頃は,ここまで考え抜くことはできなかったと思う。それ以外の問題も合わせて80分で答えなければならないのだから,やはり受験生は大変である。
明日まで「がんばり通せ,受験生!」(これならまともな表現かな?)
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