このブログには「アクセス解析」というのがあって,どのような検索ワードに本ブログがひっかかったかがわかる。
ここで,あきれるほど多いのが「難易度」という言葉。過去3ヵ月で80件ほど。
気持ちはわかる。教える側も習う側も,それがわかることで先に進みやすいのは確かだ。
教える側は,やはりステップ・バイ・ステップを考えるから,この順番で良いのかどうかの指標がほしい(個人的なものは皆さんお持ちだが)。
習う側は,多分いきなり難しい曲を渡された時,「これってどのくらい難しいものなの?」ということを知りたくなるはずだ。そして,このくらい難しいということがわかると,少し安心する。
確かに,山の高さが300メートルなのか600メートルなのかでは,心構えは変わってくる。当然だ。
しかし一方、それは大人の感覚というもので、子供にしてみれば、登ってみなければわからないことが多いのではないだろうか。登ってみると、立田山(標高152m)より金峰山(きんぽうざん標高655m)の方がきついと実感する。だからと言って標高が高い九重山中岳(標高1791m)はもっと大変かというと、それは通り道によって違う、などということも登るとわかる。(自分の昔を振り返って考えていたら、当時山登りの好きなヴァイオリンの先生に習っていて、その影響で実にローカルな比喩になってしまいました。)
だから難易度を気にするのは、教えている先生側か、習っている生徒の親御さん、ということなのだろう。さもありなん。私も実は知りたい。
ピアノの場合、エチュードの歴史というものと相まって、様々な難易度表が発表されて百年を超える歴史がある。こうやって考えると、ピアノは実に単純な楽器だ。上から下に指を押さえるだけなのだから。さらに、ピアノにおいて「難しい」とされているのは、指を「速く動かす」ことのみで、例えば一個の和音を「ブラームス風に響かせる」(これはかなり難しいはず)ことなどは度外視されている。だから、実際以上に単純化された難易度が、ある程度定着している。
それにひきかえ、我らがヴァイオリン、右手と左手の技術が全く違い、右手のスピッカート(弓を跳ばす)と左手の重音と、どちらが難しい、と問われても答えようがない。弦楽器は管楽器と比べても、技術の種類が多い。それが難易度を考えるのを困難にしている。
だから、難易度なんて気にしないで、ひたすら練習して下さい、と言いたい気持ちもある。
が、それでは人類の発展がない、と思わないでもない。もう少しは科学的に考える余地があるだろう。
なので、今後も少しずつ考えていくつもりである。(今まで考えたことは「梅鶯林道」を参照されたし。)
まずはクライスラーの「前奏曲(プレリュード)とアレグロ」から。
もちろんスノボーなんてやったことないっすw
息子にとって、ずっと目標曲の一つでもあるので大変興味があります!
お話、楽しみにしています。