井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

続・ヴィターリのシャコンヌ

2010-10-02 22:02:14 | ヴァイオリン

件の「厳格なるピアニスト」から返事のメールがきた。

件のエッセイ、とてもとても興味深く拝見しました。ロマン派のコンサートエチュードとして捉える視点にはもろ手を挙げて共感します。その上で、レッスンの現場であの作品の様式やら時代背景やらがどの程度伝えられているのかと思うとかなり疑いの眼差しで眺めている自分がいます。

いや、だからさ、エチュードな訳で、リコシェが跳ぶかとか、オクターヴが決まるかとか、そっちが大事カナダ。様式やら何やらを言ってる先生はオランダ。

例のイタリア古典歌曲の中のSe tu m'amiは、ペルゴレージではなくパリゾッティの作品であることが判明していますが、芸大入試の古典歌曲の選択課題の中には今も堂々と名を連ねています。

ところで、「セトゥマミ」はパリゾッティの作とは知らなかった。しかも私などは先にストラヴィンスキーのプルチネルラ(バレエ全曲版)の方で知った曲だ。ストラヴィンスキーに、この曲を紹介したのはバレエ・リュスのディアギレフと聞いている。てことは、みんな騙されたのか?確かに、最初のロンバルディ・リズム(逆付点)は古典派的で、バロック的ではないか・・・。

だとすると、パリゾッティは立派な作曲家だよ。

ところであのシャコンヌ、中間?のダーヴィドとアウアーの両版はご存知ですか?僕は見たことないのですが、ベーレンライターの序文を見ると、シャルリエは序奏の8小節やカデンツァを加えただけで、あの作品を生んだのはダーヴィドだと述べられていますね。事実はどうなのでしょう?

彼はドイツ語も読める。ヘルマン先生を疑うつもりはないし、どこか別のところにもそう書いてあったから大体はそうなんでしょう。アウアーは多分、通常の校訂をしたに留まるのではないか。でもDavid版は見たことがない。見ろってか?

すると数時間後に、再びメールが来た。

一応確認と思いIMSLPを見たら、Davidの作品としてかれの編曲した譜面がありました。それを見ると、やはりこの作品は85パーセント彼の作品であって、シャルリエは数カ所手を入れた程度、というのが正しいところのように思われます。

便利な世の中になったものだ。IMSLPからダウンロードというのを私も初めてやってみた。

なるほど、基本的なピアノ伴奏のアイディアは、ほとんどここで形作られている。そういう意味では確かにシャルリエが手を入れた部分は少ない。

が、やはりシャルリエ版でだんぜんプロポーションが良くなったのは確かだ。にわかにシャルリエを偉大に感じてきた。私はこういうことに、とても価値をおく。前述の例で言えば、はげ山の一夜を編曲したリムスキー=コルサコフのように。

一方ダーヴィドも大したものだ。友達のメンデルスゾーンがバッハの蘇演をやったのと同様のことを立派に成し遂げている。やはり偉大なヴァイオリニストである。仮にダーヴィドの作曲だったとしても、それならそれで素晴らしい作曲家と言えよう。

ダーヴィドの弟子にはヴィルヘルミがいる。バッハのアリアから「G線上のアリア」を作った人だ。師の業績の伝統を立派に引き継いだ感がある。

先人の偉業に感謝。ヴィターリのシャコンヌを手掛ける方は、ぜひダーヴィド版にも目を通すことをお勧めする。ただ、以前に書いたように、この版が教材として適当かどうかは、もっと時間をかけて検証してみる必要がありそうだ。

Ferdinand DavidのChaconne


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