モーツァルト以前の問題はまだまだある。そもそも、演奏の良し悪しとは何だろうか?
表現力とか解釈とか、いろいろ考えられるかもしれない。が、そのような要素で考えていくと、正反対の表現が出てきて、どちらも良いと思う人が出てきた場合、何がいいのかわからなくなるだろう。
ここで齋藤秀雄先生の言葉が蘇ってくる。これも、以前から紹介している「講義録」にある言葉だ。曰く「先ずは、構造がわかる演奏に努めなさい。」
斎藤秀雄 講義録 価格:¥ 3,360(税込) 発売日:2005-01-24 |
敢えて、再記しよう。構造がわかるとは、
・フレーズがここから始まり、ここで終わる
・ここでハーモニーが変化する
・強弱やアーティキュレーションの区別
・声部の優先順位、バランス
・適切なテンポはコレ!
等々のことがわかることを指している。
上記以外にもまだ様々な要素があり、これを「わかる」ように演奏するだけで、大変なエネルギーがいるはずだ。
一方、バッハやモーツァルトは構造がしっかりしている作品ばかりなので、「わかる演奏」であれば、大半の人は満足し、「よかった!」と言ってくれる、ありがたい作品群だと思う。
なので、先ずは「わかる演奏」に専念すべきだろう。他人と違う個性を発揮しようなどというのはクレーメル級の人が考えれば良いというのが筆者の考えだ。
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