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本番前の心配は杞憂に終わった。(指揮者が少し寝ぼけ顔なのが恥ずかしい。でも一番アガッテいたのはソリストだった。高校生のプレッシャーに押されたのである。)
放送部の撮影なのだが、放送部は女子ばかりだった。女子高生目線を感じるのは気のせいか。(オーケストラの女性がコンミスも含めてほとんど写っていないんだけど)
カメラワークはご愛敬としても、高校生の真摯なまなざしは、ここからも充分伺える。微動だにしない一群は圧倒的だった。蝶ネクタイは先生方であるが、こちらも真剣。
ここまで一年半の指導にあたった中武先生、練習ピアニストとしてつきあってくれた伊藤康博さん等の苦労が報われた瞬間である。(島原高校、九州大学混声合唱団、と、ずっと合唱を続けていた数学の野口先生という方もいらして、心強いスタッフだった。)
終ってからの段取りは、いろいろ打ち合わせと違ってしまい、あまりかっこのよいものではないが、式典としてスタンディング・オーベーションというのは、まず無いこと。最後に握手をしたのが現在の北浦校長先生で、この企画の仕掛け人である。
発端は福島県郡山市の中学生が第九をやっている新聞記事を見たことだそうだ。中学生に出来るなら高校生にも、と単純に考えたらしい。ソリストもオケも指揮者も必要、などということには頭が回らなかったとのこと。なので当初から「無謀な」と言われ続ける。吹奏楽部員からも「絶対無理ばい」と言われるのを押しきるのも大変だったはずだ。
通常、周年の記念式典は有名人の講演会が多い。これはお金が動く割には、生徒は寝ていたりして、何も生徒には残らない。だから生徒を主役にした式典を、という校長先生の強い願いがあり、それが結局は成功を導いた。
この高校には、なぎなたの世界チャンピオンという先生もいらっしゃるのだが「子供には音楽をさせようと思いました」と、演奏後に語ってくれたほどである。
私としても、「柔らかな翼にのって、全ての人間は兄弟になる」というドイツ語が、ストレートに心に響いてきたのは初めてかもしれない。合唱の高校生もオーケストラも私も兄弟になれたような気がしたのだ。クレッシェンドはできなかったけれど、魂の叫びが聞こえてきたのである。これこそが音楽で一番大切なことだろう。
さらに、この一週間後、私も生誕50周年を迎えた。とても因縁を感じる忘れられない本番であった。
清らかで若々しい歌声に驚き、胸がキュンキュンとして私も土曜日から泣いていました。
楽器の性質上、唇がワナワナ震えるのは音が出せなくなるので泣くのは厳禁なのですが、制御不能でした。
当日も感極まり、ヘロヘロした音しか出せず無念でした。情けない。。。
相変わらず一番後ろの席で演奏しておりましたが、今回の真後ろは女子高生。
土曜日に先生が涙なさった時に、後ろの女子高生達が
「先生、泣いてくれてる。。。」と感激した声で言っていました。
昨今ならば「センセー泣いてるし~ヤバイし~」とか言うところですよね。
生徒さんたちって何て純粋なのだろう!と、それを聞いた私はまた即泣きしました。
演奏後のグダグダさ加減も、ほのぼのとしましたね。
しかし、粗忽な私は居住地から遠く離れた松浦高校に譜面台を忘れてしまい、素晴らしい式典に一点のシミを残したのでした。。。
指揮者も同じような意味で泣いてはいけなかったのですが・・・。
本当に様々な意味で貴重な体験でしたね。