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めんこいテレビまでにはまだまだだった時代

2020年05月23日 | 日記・雑記・ただの戯言
 前に録画した「夜のヒットスタジオ」のアリス登場回を見てました。1978年8月の放送で、チンペイさんはまだ休養中。ベーヤンとキンチャンだけの出演で、「ジョニーの子守唄」を披露してました。ジョニーがどういう人か知りませんが、この曲だけじゃなく、2時間待ってる人がいたり、借金の1000円を催促されたり、いろいろな歌に出てきます。「ジョニー・B.グッド」はどういう歌詞かちゃんと考えたことはないです。

 それで、この回は新沼謙治が出演してたのですが、歌い終わった後スタジオから大船渡のおばあちゃんに電話してました。スタジオの本人としゃべってたのですが、電話を切る時に芳村真理が「最後まで見て下さいね~」と言ったら、新沼謙治が「いや、やってないから。」とすかさず。

 確かに岩手県は当時民放局が2局で、TBS系と日テレ系しかありませんでした。番組もその辺調べればいいのに。ちなみに岩手県は1991年に岩手めんこいテレビができて、フジテレビ系の番組を見られるようになりました。

 私も岩手県に住んでましたが、それは1988年から1990年までなので、めんこいテレビにはなじみはありません。W浅野のトレンディドラマは88年だそうですが、あれももちろんフジ系なので見た事なかったです。

 今は岩手県はテレ朝系もできて、主な民放4局は見られるようです。私は90年に岩手から青森に転居したのですが、青森県も当時はTBS系と日テレ系の2局だったのが翌年に青森朝日放送ができて必殺が見られるようになり「わーい」と喜んだものです。

 ちなみに1994年のプロ野球セリーグの優勝争いは終盤までもつれて、中日対巨人の最終戦で決着となるいわゆる「10・8決戦」だったのですが、これが放送されてなかったのが青森県。

 青森市には函館のケーブルテレビサービスが勢力を伸ばしてきてたのですが、その当時の宣伝文句は「ケーブルテレビ加入者は10・8決戦を見られました」というものでした。あれから26年ほど経ちましたが、青森県にはいまだにフジ系のテレビ局はありません。

 私はというと、就職した頃は岩手県内の内陸部各地を移動しながら営業する生活で、平日は毎日旅館に泊まってました。そんなある日、TOPSが「夜のヒットスタジオ」で「黒い炎」を歌うという情報を入手し「絶対見たい!」と思ったのですが、それは1987年のことでまだめんこいテレビはありませんでした。

 で、当時新入社員の私は知恵を働かせ、「宮城との県境ならいけるのでは?」と思い、その日は一関に宿泊。で、予想通り仙台のテレビ局も見られたので、無事番組は見られ至福の時間を過ごしました。その後、普段はあまり行かない一関にちょくちょく宿泊するので「なぜ?」と上司には怪訝な顔をされましたが、そこはあれこれ理由をつけて切り抜けた気はします。

 こういう苦労は首都圏にしか住んだことがない人はわからないでしょうね。ちなみに青森にいた頃は、「笑っていいとも」が17時から放送されてたので、夕方になるとテレビから「お昼や~すみはウキウキ…」という歌が流れてくるカオスな状況でした。あの頃は昼にランチを食べに入った店でスポーツ新聞の番組欄を見て、「あ、前田日明がゲストだ」とかわかると妻に電話して「いいとも録画しておいて」と頼んだりしてました。

 北東北というと、秋田県も今は民放は3局しかないんですね。TBS系がない地区は珍しいような気がしますが、四国とか九州とか行くとまた違うかも。インターネット全盛の時代ですが、私が今もテレビが大好きなのは昔は見たくても見られない局があったことに起因しているかもしれないと思いつつ、単にテレビっ子なだけということかもしれません。まぁ別にいいです。それでも生きていけますし。