あと3ヶ月ほどで還暦だ。
60年近くもよく生きてきたものだ。10代や20代の時には考えも及ばなかった年齢だ。
人生の10年毎の節目を振り返ってみても、10歳になった時の記憶はもうない。
20歳の記憶も、同い年の太田裕美がテレビで「木綿のハンカチーフ」を歌っていたのを憶えているくらいだ。大人になったという実感もなかった。
30歳になった時も、すで妻子もあったし、さほどの感慨もなかった。
40、50歳になった時も、なる前に思っていたほどの嫌な感じも残念さもなかった。
そして今、還暦を目前に控えても、なんの感慨も気負いもない。不思議な感じだ。
人生の節目とは10歳単位で年をとるということではないと思う。
強いて言えば、自我が確立して以降の、生活パターンが変わる、高校、大学入学、就職、結婚あたりではないだろうか。
一応、思い通りの学校に入学でき、会社も入社時は無名だったが、時流に乗り、あっという間に一部上場企業になった。結婚した妻とも35年間続いているということは、正解だったのだろう。
とにもかくにも、大病もせず、大学を出て、上場企業に入り、結婚して子供もでき、その子供も結婚して、つい先日初孫まで授かり、ステレオタイプの人生のプロセスは一応通り過ぎてきた。
順風満帆とまではいかなくとも、可もなく不可もなく、至って普通の人生航路だった。
人並みに挫折や失敗、憤懣や自己嫌悪は当然あったが、決して不幸せではなく、今は不足も不満もなく、恨みや妬みもない至極平凡な人生だ。
人はそれを幸せな人生というのであろう。
仮に今死んだとしても心残りはない。それこそ、毎日がオマケの日々と言える。
まわりには、早死にしたり、病気、離婚、中途退職、借金、介護など人生の悲哀を蒙った知り合いも多数いる。それを考えると何とラッキーな今までの人生だったのだろう。
健康でさえあれば、あと5年は再雇用契約社員として会社に在籍できる。それ以降は少ないながらも年金生活だ。質素倹約すれば、なんとか夫婦ふたり生活はできるだろう。
それを老後というならば、月一酒を飲み、好きな競馬に小銭を賭け、ウクレレを弾きながら、インターネットを楽しみ、雑文を書き散らしてみよう。
60年近くもよく生きてきたものだ。10代や20代の時には考えも及ばなかった年齢だ。
人生の10年毎の節目を振り返ってみても、10歳になった時の記憶はもうない。
20歳の記憶も、同い年の太田裕美がテレビで「木綿のハンカチーフ」を歌っていたのを憶えているくらいだ。大人になったという実感もなかった。
30歳になった時も、すで妻子もあったし、さほどの感慨もなかった。
40、50歳になった時も、なる前に思っていたほどの嫌な感じも残念さもなかった。
そして今、還暦を目前に控えても、なんの感慨も気負いもない。不思議な感じだ。
人生の節目とは10歳単位で年をとるということではないと思う。
強いて言えば、自我が確立して以降の、生活パターンが変わる、高校、大学入学、就職、結婚あたりではないだろうか。
一応、思い通りの学校に入学でき、会社も入社時は無名だったが、時流に乗り、あっという間に一部上場企業になった。結婚した妻とも35年間続いているということは、正解だったのだろう。
とにもかくにも、大病もせず、大学を出て、上場企業に入り、結婚して子供もでき、その子供も結婚して、つい先日初孫まで授かり、ステレオタイプの人生のプロセスは一応通り過ぎてきた。
順風満帆とまではいかなくとも、可もなく不可もなく、至って普通の人生航路だった。
人並みに挫折や失敗、憤懣や自己嫌悪は当然あったが、決して不幸せではなく、今は不足も不満もなく、恨みや妬みもない至極平凡な人生だ。
人はそれを幸せな人生というのであろう。
仮に今死んだとしても心残りはない。それこそ、毎日がオマケの日々と言える。
まわりには、早死にしたり、病気、離婚、中途退職、借金、介護など人生の悲哀を蒙った知り合いも多数いる。それを考えると何とラッキーな今までの人生だったのだろう。
健康でさえあれば、あと5年は再雇用契約社員として会社に在籍できる。それ以降は少ないながらも年金生活だ。質素倹約すれば、なんとか夫婦ふたり生活はできるだろう。
それを老後というならば、月一酒を飲み、好きな競馬に小銭を賭け、ウクレレを弾きながら、インターネットを楽しみ、雑文を書き散らしてみよう。