★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

人生の節目

2014年06月17日 21時14分05秒 | 徒然(つれづれ)
 あと3ヶ月ほどで還暦だ。
 60年近くもよく生きてきたものだ。10代や20代の時には考えも及ばなかった年齢だ。

 人生の10年毎の節目を振り返ってみても、10歳になった時の記憶はもうない。
 20歳の記憶も、同い年の太田裕美がテレビで「木綿のハンカチーフ」を歌っていたのを憶えているくらいだ。大人になったという実感もなかった。
 30歳になった時も、すで妻子もあったし、さほどの感慨もなかった。
 40、50歳になった時も、なる前に思っていたほどの嫌な感じも残念さもなかった。
 そして今、還暦を目前に控えても、なんの感慨も気負いもない。不思議な感じだ。

 人生の節目とは10歳単位で年をとるということではないと思う。
 強いて言えば、自我が確立して以降の、生活パターンが変わる、高校、大学入学、就職、結婚あたりではないだろうか。
 一応、思い通りの学校に入学でき、会社も入社時は無名だったが、時流に乗り、あっという間に一部上場企業になった。結婚した妻とも35年間続いているということは、正解だったのだろう。

 とにもかくにも、大病もせず、大学を出て、上場企業に入り、結婚して子供もでき、その子供も結婚して、つい先日初孫まで授かり、ステレオタイプの人生のプロセスは一応通り過ぎてきた。
 順風満帆とまではいかなくとも、可もなく不可もなく、至って普通の人生航路だった。
 人並みに挫折や失敗、憤懣や自己嫌悪は当然あったが、決して不幸せではなく、今は不足も不満もなく、恨みや妬みもない至極平凡な人生だ。

 人はそれを幸せな人生というのであろう。
 仮に今死んだとしても心残りはない。それこそ、毎日がオマケの日々と言える。
 まわりには、早死にしたり、病気、離婚、中途退職、借金、介護など人生の悲哀を蒙った知り合いも多数いる。それを考えると何とラッキーな今までの人生だったのだろう。
 
 健康でさえあれば、あと5年は再雇用契約社員として会社に在籍できる。それ以降は少ないながらも年金生活だ。質素倹約すれば、なんとか夫婦ふたり生活はできるだろう。
 それを老後というならば、月一酒を飲み、好きな競馬に小銭を賭け、ウクレレを弾きながら、インターネットを楽しみ、雑文を書き散らしてみよう。
 
コメント
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