★★たそがれジョージの些事彩彩★★

時の過ぎゆくままに忘れ去られていく日々の些事を、気の向くままに記しています。

味覚について考える

2014年06月23日 21時34分59秒 | 徒然(つれづれ)
 食に対する執着というか、こだわりはないほうだ。
 腹が減ったら食べる、適当なものを食べる。
 
 当然、嫌いなものは食べない、高いものも食べない。
 高級なフレンチとかイタリアン、割烹とかステーキとか美味さがわからないから、豚に真珠、猫に小判だ。吉野家や王将、市井の中華屋やカレー屋、定食屋の安物で充分だ。

 最近ではコンビニの幕の内弁当がマイブームだ。
 飯やおかずが冷たくても何の抵抗もない。
 
 食生活が貧相だと、人生の価値までも下がるみたいに言われるが、そんなことはないと思う。いくら高くて美味しいと言われるものを食べても、それを旨いと思わなければ、食べる意味も価値もない。舌が肥えていないからと言われても、今更肥やそうとも思わないし、そんなことに金や時間を費やしたくもない。
 
 味覚音痴というのではないと思う。
 吉野家の牛丼や王将の餃子、行きつけのラーメン屋やカレー屋の味は旨いと認識できている。たぶん対費用効果の問題だろう。
 
 極論すれば、標準摂取カロリーさえ摂っていれば、最低限の生活活動は維持できる。
 ならば、自分で旨いと思うものを優先的に食べるのが精神衛生上もいいのではないだろうか。偏食の懸念は、高くて美味しいものでも安くて旨いものでも同じだろう。
 還暦も近くなると自ずと食欲は偏向するものだ。
 食べたいものを食べる、それていいのだ。

 それにしても、吉野家の牛丼、王将の餃子、コンビニ幕の内弁当の焼き鯖やミートボールは旨い。私の味覚は経済的にできている。
コメント
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