テレビ版「電車男」も観終わり、
うまくいく恋は神様が後押ししてくれるんだよなぁ・・・なんて。
(始終そんな思いで見ていたけれど、電車男の感想としてはきっと少数派かな。
神様ではなく「おまいら」が後押ししてくれたとなるのでしょうが、
私からするとあのタイミングは神の思し召しだと思えてなりません)
さて、久しぶりの更新です。
書きたいものがなかったというより、書きたいものの渦中にいるため、今は書けない・・・
他のことを書こうとするのですが、すべての関心が今そこにあるので、
うまく書けない・・・そんな状況でした。
毎日、どれくらいの方が私のブログを覗きにきてくれているのかを見るごとに何か書かねばと思うのですが・・・
渦中すぎると生々しくなりすぎたり、人を傷つけてしまうので、
私はたいてい寝かせてから書くようにしています。
悩みは日薬の力を借りて。怒りは温度をさげて。思い出は美しくなって。から書きます(笑)
書くという行為は非常に恥ずかしいものです。
後で読み返すと、その当時の自分の未熟さに気づいたり、変化しても取り消せないのが、
書くという行為の恐ろしいところ。では、なぜ私は書くのか。
その恥ずかしさが快感だからではなく(笑)、書くことの浄化作用でしょうか。
溜まっていく思いを吐きだすことで身が軽くなります。
書いて、忘れていくようなものです。
すべて覚えていたら、歳の分だけ体の中がパンパンにふくれあがってしまうことでしょう。
最近物忘れがひどくなったなぁなんて台詞をきくと、
人間てなんてすばらしい機能(忘却)を持っているのだろうと思います。
年を経るごとに色々な悩みに直面し、深刻化していきますから、
忘れないとやってられません。
忙殺され、それは忘れてしまうくらいのことだったのであれば、
それほど重要ではなかったと考えればいいのかなと。
でも、できれば忘れたいものを選択できる方がいいとは思いますけど。
ストレスの解消。人によっては「汗」に変えたり、「歌」に変えたり、「非日常」に。
私はたまたま「言葉」だったのかもしれません。
書くに書けないとこれまたストレス。あぁ早く書ける状況になりたいともがくわけです。
私が書くということは、その状態を脱したということになるので、
読んでくれた方の中で、渦中にいる方の一服の清涼剤になりえたら・・・
今ならあたたかいお茶がいいかな・・・これほど嬉しいことはありません。
そう、茶話ん。
ほころびは、表情がやわらかくなる。笑顔になる。
ここは、そんな思いで名づけた「ほころび茶話ん」
最初に決めた名前のままにここまでこれました。第327話。
第何話と付していない話もあるのですが、
ひとつのお話を書くのに、思いにふけって・・・約2時間換算すると、
32,940分!(計算してこの話を書いているわけではないので、なんてきりの悪い数・・・)
きりは悪いですが、私が命をかけた時間です。もっともっと重ねていきたいなと思いますし、
もっともっと多くの方に読んでいただきたいなと思います。
この恥ずかしさが快感だからではなく(笑)、やはり人間、誰かに認めてほしいからでしょうか。
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